金銭管理の難しさ

以前から、時には万単位のお金を子どもに持って来てもらうシステムって問題あるのでは?と会社関連の人から指摘を受けていました。

そうはいっても、保護者にも教室にも一番安上がりで手間がかからないし、入金伝票、入金一覧表、出納帳、生徒手帳と三重にも四重にも記録を取っているので、間違いがあればどこかでチェックできるから大丈夫、と言ってました。
確かにこちらも粗忽なので、領収印の押し忘れや押し間違いなどがあり、たまにご指摘を受ける場合がありますが、伝票や出納帳などで確認することでお詫びをしてきました。
逆に滞納の場合も、謙虚に謝っていただくことがほとんどで、本当によくできた保護者に恵まれてきました。

教室では、上達の速さには個人差がありますが、みんな自分なりに一生懸命そろばんに取り組んでいて、挨拶もきちんとでき、指導の邪魔をすることもほとんどなく、保護者の躾の良さがうかがえます。
学級崩壊や諸々の教育問題とは無縁に20年間を過ごしてきました。

けれど、時代は変わり、昔ながらの月謝袋に領収印というお互いの信頼を必要とするシステムに無理が出てきたようです。

先月納入されていなかったそろばんとケースの料金について、保護者に伝えてくれるように生徒に言ったところ、保護者から電話がありました。
「払ったはずですが」
ということですが、入金の記録がまったくないのでその旨を伝えると、
「今さら言われても、何故そのときすぐに言ってくれないのか」
前回メールでお知らせしましたが、と言っても、
「メールなんて届いていないし、お金のことなら電話してくるべきだろう。お金の管理がなってないんじゃないか」
とご立腹の様子。

「だいたい月謝袋の裏にいくらと書かれたって何のことかわからない。請求書も領収書もないなんて、どうなってるんだ」
とだんだん暴言が混じってきて、あまりにひどい言葉に、
「誰に向かって言ってるんですか?いい加減にしなさい!」
と思わず怒鳴りつけてしまいました。
乱暴な口調でまくしたてれば、若い女の先生なら縮み上がって何も言えなくなるでしょうが、こちらは子どもの頃から父親からお金をだまし取るような人間をたくさん見ているのです。どんな怖そうな人にも対応する覚悟はあります。
「家に行ってどんな顔だか見てやる!」
と言うので、
「いつでもどうぞ」
と返しましたが、こんな状況になっては教室に子どもを通わせることもないでしょう。
「二重取りだと思うからな」
と言われたので、
「お金は結構です。こんなに信頼していただけないようなら教室に通わせるのも無理ですよね。せっかく始めたばかりで一生懸命やってくれていたのに残念ですが」
「今日も楽しかったって言ってた子に、もう通えないって伝えなきゃなんないこっちの身にもなってみろよ」
と言われましたが、結局今月でやめるということで落ち着きました。
何の罪もない子どもは本当にかわいそうです。

やはり、確実に支払った、受け取ったという第三者の証人が必要ですね。
保護者にはご面倒をおかけしますが、振り込みなどの方法を検討すべきだと実感しました。
今まで、月謝袋の裏に汚い字で「テキスト代」「そろばん」などと書いただけのものに、よくきちんと支払ってくださったと感謝すべきなのでしょう。

乱暴な保護者に負けず劣らず乱暴な指導者の教室に、みんな喜んで通ってくれることにも常々感謝しています。
老若男女の区別なくキツイ指導で申し訳ないけれど、自分の能力を自分で伸ばすために考える力をつけてほしいという熱意だけは、みんな感じ取ってくれているのだと思います。
そんな一生懸命な子ども達が、つまらないトラブルでやめることがないよう、こちらも真摯に取り組んでいきたいと思っています。

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就職難とはいうけれど

高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、リーマンショックがあり、就職の状況が大きく変わっています。
一流大学を出て大手企業に勤めれば一生安泰、という構図も変わってきました。
そもそも一流大学を優秀な成績で卒業しても、希望の企業にすんなり就職できるとも限りません。
それでも、その幻想から抜け出せず、子どもにエリートコースのための勉強をさせる保護者も多いのが現状です。
日本人は素直なので、お国のために戦争は必要と教えられればそれを信じたように、できるだけ良い学校を出ることが子どもには必要と信じると、それ以外の生き方が信じられなくなったりします。

エリートコースにもバブリーな生活にもまったく縁のなかった身にとっては、案外良い環境になってきたのではないかとも思います。
一流校を出て一流企業に勤めてなきゃ落ちこぼれ、なんて価値観が崩壊したおかげで、いくつになっても自分の能力を磨き、自分の好きなことを追求し、自分で可能性を開くことが普通になってきているのですから。

子どもの同級生にも、高校を中退して大検を受けて大学に進学した子、大学を中退して美容師を目指す子などいろいろいます。
親としては自分たちの時代とあまりに違って戸惑うようですが、好きなことを見つけて頑張れる子は、優秀でも好きなことが見つからない子よりずっと幸せです。
うちの子ども達も、学校の成績はまったくダメですが、みんな好きなことがあって、そのために働いて、お金も時間も好きなことにつぎ込んでいます。
まともな家庭を築いて一人前の大人になる、などという発想はなくて、一般的な考えからは将来が不安な子どもばかりですが、もう成人もしたことだし、老後の面倒を見てもらおうとも思わないので、勝手に自由に生きていってくれれば良いと思ってます。

こんな親になったのは、商売人の家庭に育って、小さな頃から世の中の底辺を見てきたからでしょう。
小学校に上がる前から、お金の貸し借りだ、夜逃げだ、人にだまされたなどの生々しい話を聞いて育ちました。
「またお金貸して夜逃げされて、何度だまされるんだろう。この親大丈夫か?」
など幼児期から大人に批判的で、自分もいつ夜逃げの生活を強いられるかと不安な毎日を送っていました。

少しずつ高度経済成長の兆しが見え、周囲には豊かな暮らしをする友達も増えていましたが、戦時中の「贅沢は敵だ」という思想が消えない親の元では、洋服もオモチャも買ってもらえません。
習い事だけは贅沢で、ピアノ、習字、そろばんと、当時としては珍しく毎日習い事に通っていました。(商売の邪魔だったからでしょうが)
家にいると怒られてばかりいたので、習い事は熱心に通いました。
丈夫なこともあって休んだこともありません。(ただし、家で練習したことはありませんが)
親への信頼が薄いので、いつまで通えるかもわからず、やれる時にできるだけやっておこうと思ってました。

まさか、小学校の時に習ったそろばんを仕事にするとは夢にも思っていませんでしたが、そろばんの先生に、
「お前は本当にそろばんが好きだなあ」
と言われたことは覚えています。
あ、自分はこれが好きなんだ、と気づきました。
親には褒められたことがなかったので、すごく嬉しかった思い出です。

親は好きで本屋をやっていたわけではなく、
「好きなことを仕事にできるのが一番しあわせだぞ」
というのが口癖でした。
自分で選んだ商売なんだからもっと真面目にやれ、と内心思ってました。
それでも、十代で戦争で特攻するつもりが予想外に生き残ってしまい、親戚の手伝いから本屋になってしまった人生を思うと、どんな生き方でも自由に選べる時代に生きられるのは幸せだと実感します。

既成の価値観に左右されず、自分の能力を最大限に活かして、好きな事を仕事にして、そこそこ生活ができれば幸せだと思います。
どんなに好きな仕事だって、人間関係、金銭関係、諸々の事情で苦労は絶対あります。
それでも、何を取捨選択するかは自由なのです。

もし好きなことが見つかったら、親や周囲の大人の反対など押し切ってでも頑張ってほしいと思います。
もし好きなことが見つからなければ、本を読んだり、映画を観たり、いろんな場所に行ったり、いろんな人と出会って、好きなことを見つけてほしいと思います。
それを仕事にするか、仕事とは別に大切にするかも自由です。
希望通りにいかない事の方が多いのも人生です。
これがダメなら次はどうするか、常に次の手を打つことも必要です。
もうだめだ、ってことは絶対ありません。

社会の大きな力に人生を決められるわけではなく、自分の人生は自分で選ぶ自由があるのですから、みんな好きなように人生を楽しんでほしいと思います。

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「読み聞かせ」の思い出

本好きの子どもに育てるためには10歳位まで読み聞かせをすると良いことを最近知りました。

読み聞かせというのは、文字を読めない子どものために読んであげるという認識でいましたが、そうではないようです。例え文字が読めるようになっても、たどたどしく文字を追っているだけでは意味をくみ取る余裕はありません。字が読めたり文章が読めるだけでは、お話を楽しむことはできないのです。

また、読み聞かせというのは耳から聞いて想像をふくらませることができます。音声で聞いて初めて黙読では味わえない言葉の価値が生まれる場合もあります。

自分が親に直接本を読んでもらった記憶はありません。
ただ、三つ違いの弟が毎晩二段ベッドの下で本を読んでもらっていました。
そのため、小学校三年生まで間接的に読み聞かせをしてもらったようなものです。

「エルマーのぼうけん」シリーズ、「ちいさなモモちゃん」シリーズ、「いやいやえん」、「ノンちゃん雲に乗る」などは、読んでもらってから自分で読んだ記憶があります。
その点、下に兄弟がいる子は得してるのでしょうね。

小学校五年生の時、担任の水島先生が給食の時に本を読んでくれたのも大切な思い出です。ご自分は大急ぎで給食を食べてから、生徒が給食を食べ終わるまで毎日本を読んでくださいました。
具体的に何を読んでもらったかはほとんど覚えていません。
ただ、先生の優しい声が記憶に残っているだけでした。

高校生の頃、夏休みに「ビルマの竪琴」を読んでいました。
初めて読むはずなのに、読み進むうちに何か既視感のようなものを感じました。
水島上等兵が出てきて、水島先生のことを思い出していました。
そして歌の部分になって、先生の歌声がよみがえりました。これは先生に読んでもらったことがあったんだ、と思い出しました。

小さな頃の絵本など、何を読んだかは覚えていなくても、記憶の底に原風景として残ります。具体的には何も思い出せなくても、何となく懐かしい、何となく怖い、という感覚で残ります。
本の中の疑似体験は、そのような記憶の底の経験として積み重なっていく気がします。

冒険ものをたくさん読んでいると、大人になっても冒険心を忘れないとか(時には無茶をしてしまう場合もありますが)、困難に出会った時、逃げ出さずに立ち向かう方法を考え出したりできる気がします。
好きな本があると、一生の心の支えになる場合もあります。

勉強のためとか、教養のためとか、見栄のためとかの読書もあるでしょうが、本は記憶の底にたくさんの風景と体験を積み重ね、人間の肥やしになるものだと思います。
特に絵本をたくさん読むことは、いろいろな絵の風景をため込むことで、字だけの本を読むようになった時の空想の助けとなります。
そのため、10歳位までは絵本の読み聞かせが大切なのでしょう。

そろばん教室の生徒では、本が好きという子が多いのですが、教育熱心な保護者のおかげだと思います。
世の中はそんな恵まれた家庭ばかりではありませんから、本に関心のない保護者がいたり、そのために本に関心のない子に育ったり、好きな本でも買ってもらえない子どももいるでしょう。

昨年10月頃、セミナーを企画する会社を経営する妹と話をしていて、絵本のセミナーができないかな、と提案しました。
できれば親子で楽しみながら絵本のことを学べるようなものができないかと企画してきました。
幼稚園教諭をしている友人を巻き込んで企画を進めるうち、『キッズ・ブック・スペース』という親子ワークショップが出来上がりました。

トライアルとして1月~3月に無料体験企画を開催することにしました。
1/28と2/18に実施してみて、予想以上の手ごたえと充実感がありました。
ボランティアでは継続できないので、有料のセミナーに成長させる予定です。
宗教や政治団体の宣伝、物品販売の商法などと勘違いされがちですが、かつての本屋の娘が本好きが高じて始めた企画です。

本に対する思い入れは人それぞれで、スタッフ間でも方向性を見極めながら企画する必要があるのですが、何とか基本方針をまとめて開催に漕ぎつけました。
多くの子ども達に、いろいろな絵本に触れる機会を作りたいと思います。

本が好きになる親子絵本教室『Kids Book Space』
http://www.kidsbook.jp/

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