映画「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」

ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声 ブルーレイ&DVDセット(初回仕様/2枚組初回仕様特製ブックレット付) [Blu-ray]

前科があるアルコール依存症の母親と暮らす問題児の少年が、小学校の校長に歌の才能を見出され、有名な合唱団の学校に推薦されます。が、すさんだ生活の少年は、せっかくの機会を拒否します。

ところが、母親が交通事故で亡くなり、一人ぼっちになってしまいます。
裕福な父親がいるのですが、正式な妻子があり、少年のことは内緒で養育費だけ払ってきただけで、一切関わったことがありませんでした。
母親のお葬式に現れた父親に、事情を知っている校長先生が、少年をぜひとも合唱団の学校に入れるべきだと勧めます。
父親は、引き取るわけにもいかず、寄宿舎付きのその学校に入れることにします。

それまで音楽教育など受けたことのない少年は、音符も読めず、音楽理論も知らず、いじめにも合い、転校した学校で苦労し、さらにすさんでいくのですが、自分の声に自信を持つようになってから、猛烈に勉強を始めます。
遅れを取り戻すために人一倍努力をし、ソロパートを競い合うまでに成長しました。

そんなある日、指導の先生が、「みんなの今のこの美しいソプラノは、ある日突然失う時がくる」と告げます。
「それなら、何故こんなつらい訓練に耐えなきゃならないんですか?」と少年は尋ねます。
「声は失っても、訓練に耐えたことは無駄にはならない。将来君たちは何になりたい?医者か?弁護士か?何にだってなれるよ。」と先生は答えます。
自分に自信を持つことが大切なんだ、ということです。

そろばん教室で目指していることと一緒です。
暗算や数字を扱う能力は実生活に役立つでしょうが、そろばんそのものを仕事に生かす機会はほとんどないでしょう。
けれど、そろばんを自在に扱えるまでに練習したことは、決して無駄にはなりません。
基本を守って地道に練習すること、無意識に指が動くまでに継続したこと、テストに合格するために集中力を高めて早く正確にできるように努力したこと、何度失敗してもくじけずにやり直したことなど、精神力がかなり鍛えられるはずです。
そのうえで合格した成功体験は、自分に自信を持つ大きなきっかけになるでしょう。

自分に自信を持つことは、自分自身と自分の人生を大切にすることにつながります。
人生を楽しく豊かにできるのは、自分だけです。そろばんを続けたことが、他人に依存せず、自分自身で人生を切り開ける力に育ってくれたら、嬉しいですね、

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22年間の成果

1993年に始めたそろばん教室も、もうすぐ22年たちます。

同じ教材で、同じようにキツイ指導で、今時の大事に育てられている子ども達がよく続けてくれるなあ、と感心します。
年長や小1から中学、高校まで続けてくれる生徒もいて、長い子は10年以上通ってくれます。
学校などでは、直接指導しながらこれほど長期間の成長を見られる機会はないでしょう

英才教育をするつもりはないので、入れるのは年長さん以上。
競技会や検定試験の成績を競う気もないので、やる気満々の子も、のんびりの子も、それぞれのペースで上達できるようにするのが目標でした。

検定3級以上を全員が目指せるように、基本の姿勢と指使いには厳しく指導してきました。よその教室より、基本のテキストが多く、のんびりしていると中々進みません。
早い子はどんどん進めるはずだし、理解の遅い子でも確実に上達できる方法だと信じてやってきました。

それでも、数年前までは、検定試験に合格するまでにとても時間がかかりました。
検定試験は、内容の改訂により難度が低くなって合格しやすくなったはずなのに、なかなか3級以上に合格させるのは大変でした。

1級以上段位に挑戦するのは、よその教室から移ってきた生徒ばかりの状態でした。
検定試験の会場では、よその教室の小学生が多く、中学生以上で受験することが多いうちの生徒は、「周りが小さい子ばかりだったよ」と愚痴を言ってました。

けれど最近は、小学生で検定試験に挑戦する生徒が増え、今年度は3人の小学生が教室のテストで1級に合格しました。
そのうちの1人は、検定にも合格して巣立って行きましたが、残りの2人は段位検定に挑戦すると言ってくれました。

段位検定は、自分の限界にまで挑戦するテストです。
もうこれ以上は無理!というところまで頑張って欲しいと思います。

これほど上達が早くなったのは何故だろう、と自分でも不思議です。
教材もキツイ指導法も20年来変わっていません。
基本の教材も、従来通りたくさんやらせるどころか、同じ教材をもう一度やらせることもあります。
これが良かったのかもしれません。

基礎の教材は、どうにかこうにか終わっただけでも、以前は次に進んでいました。
でも最近は、完全に自分でできるまでマスターしていなければ、もう一冊同じ教材をやってもらいます。
そうすると、簡単な問題に戻るので、スラスラとできます。
それが自信につながり、前に悩んでいた問題も難なく進めるようになっています。

5になる数と10になる数の練習をする最初のテキストでつまずく生徒が時々います。
これが理解できないと、そろばんができません。
案の定、そろばんの最初のテキストでも珠の動かし方が覚えられず、なかなか進みません。
できなければ、数のテキストも、そろばんのテキストも、算数計算のテキストも、同じテキストを何度でもできるまでやらせます。
内心、これ以上もう無理かも、と諦めかける頃、スルッとできるようになります。
10歩進んで9歩戻りながらでも、少しずつ進んでいたのです。

そんな生徒の中にも、小学生のうちに検定試験が視野に入っている子がいます。
普通の生徒の何倍ものテキストをこなし、行きつ戻りつしながら、わからないで困った顔を繰り返しながらも、いつの間にか上達していたのです。

できる子はできるなりに、できない子はできないなりに、自分の能力を信じて自分で伸ばせる生徒がたくさん育ってきました。
これが、22年間教室を続けてきた一番の成果だと思います。

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22年目に突入!

坂本そろばん教室も、この四月で22年目に突入しました。

自宅で教室を始めた当初は、新聞広告やベランダに看板を掲げたりしたけれど、まったく申込はなく、とりあえず小3の長女と小1の長男の二人で始めようと思いました。
初日の前日、近所で看板を見た方から申込があり、どうにかうちの子ども達を合わせて三人の生徒で開始しました。
9月に長女の同級生が入ってくるまで、実質生徒一人の教室でした。

そろばん教室を始めた理由はいくつかあります。

まず、それまで経理を手伝っていた父の事業(本屋ではなく仲間と始めた喫茶店)が失敗し、父と仲間の間でトラブルがあり、仕事がなくなっただけでなく、調停作業を手伝う羽目になったこと。
勤め先を探す気にもなれず、自由な時間を確保するには自分で何かを始めるしかない、と思いました。

あの頃は、我ながらよくやったなあ、と感心します。
小3、小1、2歳の三人の子育てをしながら、実家の本屋を手伝いつつ、父や弟と数人の相手と交渉し、弁護士と打ち合わせて裁判所への提出資料を作成し、打開策を練り、借金の返済方法を検討し、という怒涛の毎日が二年ほど続きました。

週2回1時間ずつのそろばんの時間は、生徒を教えつつ子ども二人の勉強も見ることができる貴重な時間でもありました。
たった一人でも、嫌がらずに喜んで通ってくれた最初の生徒は、忘れられません。

別の理由は、長女の計算能力が小学校でまったく伸びなかったこと。
大人になった今でもすぐに別世界に行ってしまう長女は、学校向きではなく、興味がないことは全てスルーして、授業中は空想の時間になっていました。
数字も数の把握も苦手で、小学校のタイルを使った繰り上がりの計算などお手上げでした。
これは、数の大きさや繰り上がり繰り下がりも目で見て計算できるそろばんを使うしかない、と思いました。

もう一つの理由が、二十代の初めに指導していたそろばん教室にあります。
父の本屋仲間が経営していたそろばん教室で、前任者の代わりに教えてほしい、と頼まれました。
始めた当初は、数人の生徒が3クラスほどでした。
経営者が本屋で宣伝する効果もあって、そのうち生徒が増えてきて、部屋を広げて20人以上入れる教室で4クラス教えることになりました。
一人では無理ですと言うと、経営者が助手をするから、ということでしたが、本屋の片手間の助手などあてになりません。
わからない生徒を全員見てあげることができずに終わることも増えてきました。
大人しい生徒がずっと待っていたことに最後に気付いた時の、悲しそうに見上げる生徒の顔が忘れられません。

自分で教室をやるとしたら、絶対10人以上のクラスにはしない、わからない子は時間内に全員見てあげる、という理想を持っていました。
それで、現在はキャンセル待ちの生徒さんもいる状況になっていますが、少人数制を保っています。(部屋の狭さも原因ですが)

結婚して子どもが二人になった時、そこの教室は後任に譲りましたが、親のトラブルに巻き込まれなかったら、自分の教室を持ったかどうか疑問です。
親のトラブルが解決した直後、弟と会社をやることになり、これまた苦労の連続ですが、会社運営が順調だったら、そろばん教室を続けることはできなかっただろうと思います。

物心つく頃から、小さな商店街の小さな本屋で、商売のトラブルを見ながら育ったので、困難な状況で落ち込む、ということはほとんどありません。
転んでもタダでは起きない、というのが鉄則です。
莫大な借金を抱えて小さな本屋でどう返していくか、というお先真っ暗な状況でも、何とかするしかありません。
返済時期になると「首くくるしかない」と言い出す親に、「ふざけるな!自分で作った借金は自分で返してから死んでくれ」と言い放つキツイ娘に育ったのも、仕方ないでしょう。
そんな父は、運良く店と自宅が売却できて借金を返済したら、一年も立たずに亡くなりました。

ビジネスも人生も、初めから終わりまで順風満帆なことなんてめったにありません。
うまくいかない時は、落ち込んでいる場合ではなく、即座にどうするか打開策を考えるだけです。
そろばん教室で一番教えたいのも、そこです。

一珠でできない時は五珠、五珠でできない時は十を使う、という基本を教えたら、後はできるだけ自分で考えさせます。
すぐに「できない~」と言う子には、「できない時はどうするんだっけ?」とすぐには教えません。
できない時、困った時、どうしたら良いか考えを巡らせ、自分で思いつく、という経験は絶対役に立つはずです。

そろばん自体は、金融機関でも使わないし、私自身も会社の仕事はほとんどパソコンで処理します。(そろばんや暗算の方が早いこともありますが)
それでも、そろばんを習って身に付くことはたくさんあるし、何年も継続して上級の検定試験に合格した体験は自信につながるでしょう。
年長や小1から始めて、中学以上まで続ける生徒もたくさんいて、同じ生徒をこんなに長く教えられることは嬉しい限りです。
キツイ指導に耐えて、何年も通い続けてくれた生徒は、将来社会に出て嫌な場面に出会っても、そろばんの時に比べれば大したことない、と思えるでしょう。
困った時には、どうしたら良いか考えて、強くたくましく生きていってほしいなあ、と思います。

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