受験開始

いよいよ今日から、次女の受験月間が始まりました。
顔を合わせると何時間でも親子でおしゃべりしていて、
「一体いつまでしゃべってる気?」
と(勉強とは無縁の)長女に注意されてしまう緊張感のない受験生ですが、とうとう本番が始まってしまいました。

一昨日長女は、受験生向けの合格祈願のお菓子をいろいろ買ってきました。
コンビニで買ったら、合格祈願の入浴剤をオマケにもらったそうです。
普段は時間がもったいないと、ほとんどシャワーですましてる子どもたちです。
当然、お風呂掃除もしたことがありません。
それなのに
「受験前日は風呂掃除してあげるから、この入浴剤使いな」
と言って、昨日夜遅く仕事から帰ってきた長女は、
実際に次女のためにお風呂の準備をしてくれました。
(自分は翌日朝早いからと、さっさと寝てしまいましたが)

長男は「ドラゴン桜」を熟読して受験指南をしたり、
日本史の問題を出してやったりしてたようです。
(本人にはまったく日本史の知識はありませんが)

普段は、バカにされてコキ使われてたりしますが、
結構姉兄に恵まれた妹だと思いました。

母親はというと、とうとう忙しさにかまけて放任のままでした。
栄養バランスを考えた食事なども作らず、
成績にも勉強時間にも特別関知せず、
いつまででもおしゃべりに付き合ってました。
その中で(ほとんど趣味に近い)歴史に関することや、
文学の話や、歌や映画に関わる英語の話などもしましたが、
受験には数パーセントも役立たないでしょうね。

親の仕事としては、どうにかこうにか塾代を出したくらいです。
塾では、気に入った先生を見つけたもので、
熱心に一番前で受講したり、質問に行ったりしてました。
兄のときとは比較にならない活用の仕方です。
もっと早く行かせていれば良かったと思いました。
同じ兄弟でも、個人指導が良いか集団の塾が良いか、
好みがはっきり違います。
ちゃんと見極めていれば、もっと早く勉強に取り組めたかもしれません。

受験校の選択も本人任せでしたが、
歴史の勉強ができればどの大学でも良いということで、
偏差値による大学への偏見もなく、
どの大学にどんな特性があるかをいろいろ調べてました。
一応高い希望はあるものの、
レベルも満遍なく選択したようなので、
無茶な受験校選択をしてません。
学校の面談では、アドバイスの必要がないと言われたそうです。

高二までは、勉強の方法がわからない、成績も上がらない、
いつも進級が危うく、親が毎学期学校に呼び出される、
という苦労をさせられました。
そんな調子ですから、中学レベルからのやり直しで、
一年間受験勉強をしてきたわけです。
信頼する塾の先生からは、受験が始まっても、
まだまだ伸びるはず、と指導されたそうです。
そのための、段階を踏んだ受験校選択など、
いろいろ工夫もしているそうです。

親は、子どもがやってみたい、という通り挑戦させるだけです。
見かけは子どもでも、もう大人のはずなので、
すべて子どもに任せました。
親は、受験当日のお弁当とおやつを用意してあげるくらいです。

少なくともこの一年間は、学校も塾も休まず、
それまでとは比較にならない位よく頑張ったと思うので、
なんとか希望通り大学生になってほしいものです。

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継続は力なり

小三から中三まで西教室に通って1級を目指しながら、高校受験で中断し、高校で復帰する予定が、学校が遠いため通えなかった生徒からメールが届きました。
大学進学も決まり、高校の授業ももうすぐ終わるので、また珠算と暗算の1級を目指したいということです。

一流といわれる高校から大学への進学が決まっても、それに安住することなく、今は資格が物をいう時代だから、やりかけていたことをやり遂げたい、ということです。
同級生である次女やその友人たちのおしゃべりにもめげず黙々と練習し、着々と実力をつけていった寡黙な男の子でした。
それが、自分からメールを寄越し、いろいろなアドバイスに礼儀正しく対応し、さわやかな文面で意欲を語る返事をくれたことに、ちょっとびっくりしました。
教室に通っていた6年間に話した以上に多くのことを話してくれた気がします。
いろいろな面でこんなにも成長して、と感動してしまいました。

一橋の学生さんで、証券会社に就職が決まってからの10ヶ月で、まったくの初歩から教室内のテストで準二級まで合格した生徒がいました。
優秀な生徒に共通するのは、非常に素直に指導に従い、忠実に練習を続けることができることです。
勝手な思い込みで指使いを変えたり、独自の方法を編み出したりせず、わからなくなったら何度でも聞き、基本には忠実に従うことが上達の早道だと知っているのでしょう。

去年、18年かかって公認会計士の試験に合格した友人がいます。
その間、結婚し、二人の女の子を出産し、子育てしつつ夫の会計事務所を手伝い、試験前には学校に通って受験する、という生活を毎年送ってきました。
普通ならとっくにあきらめて挫折するところですが、あきらめなかったことが合格につながりました。
「継続は力なり」の見本です。

何でもコンピュータで処理する時代に、珠算1級がどれだけの価値があるかといえば、実際にそろばんをはじくことで資格を生かす機会はほとんどないでしょう。
実生活で暗算は使えますが、実際の事務作業は、私でも全部パソコン任せです。
たまに検算を暗算でやるくらいです。

ただし、どんな資格でも1級などのトップランクの資格を取ることは簡単ではなく、勉強なり訓練なりを継続する必要があります。
特に珠算は一朝一夕で上達することは難しく、通常1級を取るまでには何年か訓練する必要があります。
一つのことに何年も取り組み、小さな目標を達成しつつ、最終的な目標に向かって努力したという経験は、ほかの勉強や仕事や人間関係など、人生の多くの場面で生かせるはずです。

多くの習い事に手を出し、何一つ最終目標を達成できないより、一つのことに何年も取り組むということが大事だと思います。
それには、遅過ぎるということはありません。
仕事でも人間関係でも、何やっても続かないという人は、何か一つの資格の最高レベルを取得する勉強を継続したら良いと思います。
何をやってもそつなくこなせる器用な人より、不器用で人の何倍も努力を必要とする人の方が、上達には時間がかかりますが、経験を有効に生かせるはずです。


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そろばんを学ぶ意義

幼児が珠算検定で1級を取ったことが話題になることが時々ありますが、そろばんを英才教育の一種と考える人がいます。
確かに、小さな子どもに加減乗除を教えたり九九を教えれば、記憶力は抜群に良い時期ですから、反射的に覚える場合もあるでしょう。
そうすると、この子は天才だということで、周囲の大人も熱心に特訓して、たちまち上達することもあるでしょう。
そういう子の家庭では保護者も熱心で、毎朝早く起きて、朝食前に1時間そろばんをやり、そろばん教室へも毎日のように通うそうです。

その熱心さには脱帽ですが、一体何がそこまで親子を駆り立てているのかが理解できません。
せっかく才能があるんだから、最大限に伸ばしてあげたい、という親心はわかります。
けれど、それって本当に子どものためでしょうか?
うちの子ってすごいでしょう、って自慢したい気持ちの方が大きくないんでしょうか?
幼児期にしか持てない子どもの大切な時間を奪ってないでしょうか?

小さな子どもは、親が唯一の頼りで生きていますから、本能的に親のために一生懸命になれます。
親が喜ぶ顔が見たくて、一生懸命ハイハイしたり、歩いたりして発達していきます。
その延長で、親が勉強を教えて、良くできたとき喜んでくれれば一生懸命頑張りますし、逆にできなくてがっかりしたり、怒られたりしたら、萎縮して、なんとか機嫌を取ろうとするでしょう。
子どもの方が、親よりもずっと献身的だと思います。

でも、中には私のように反抗的な子どももいるでしょう。
自意識過剰で、親なんか頼らず生きていけると信じてるような子は、親が干渉すると反抗してやらなくなります。
いろんなことに反抗してた子ども時代ですが、そろばんなどの習い事には、通わせるだけで、家でやらされたり、習っていることに干渉はされませんでした。
そのおかげで、小三の一年間で6級まで進んだので、小四のうちに3級、五年の二学期までに2級が受かれば、小学校のうちに1級は合格するだろう、と自分で計画をたてました。
そして、2級まではほぼ計画通り進みましたが、1級の検定試験で何度も失敗し、中一までかかってしまいました。

子どものくせに生意気ではありましたが、特別優秀だったわけではなく、昔は週に4~5日と毎日のようにそろばん塾に通ってましたから、小学生のうちに3級以上合格するのは普通でした。
ご両親の中には、大した苦労もなく検定試験に合格した経験から、週1~2回で同じように検定に受かるだろう、と勘違いされる方も多いのですが、今はそう簡単ではありません。
いろいろな習い事や塾に忙しい子どもにとって、そろばんにだけ集中できる環境ではなくなっています。

ことに優秀な生徒に限って、早くから進学塾に通ったり多くの習い事で忙しくなり、途中でやめるケースが多いようです。
また、最初は簡単過ぎることから始めるので順調に進んできたのに、急に難しくなって行き詰まると、「できない」ということに慣れていないために、やる気をなくしてしまう場合もあります。
そろばんの良いところは、どんなに優秀な人でも、いずれどこかでつまずき、スランプに陥り、それを乗り越えることで成長できる点だと思うのですが。

今、検定試験の上級まで目指す生徒の多くは、特別優秀というわけではなく、多くの失敗にもへこたれることなく、地道に継続できた子ども達です。
特別早く進むことにもこだわりませんし、できなくてもあまり落ち込むことなく受け止め、何度でもわからないと聞き、間違いを繰り返しながらも、いつの間にか進んでいることが多いようです。
ですから、中学、高校になっても自分の意思で続けることができます。
そういう子の保護者のほとんどが、普段はあまり深く干渉せず、いま何級で何をやっているかも知りませんが、途中で嫌になってやめたいという時だけ、目標までは続けるように勧めています。

保護者の方があきらめが早い場合も多いのですが、本人と保護者があきらめた時点で、何事も終了してしまいます。
目標に達成しないでくじけそうになっている時は、何とかフォローすることも必要です。
指導する側としても、決してあきらめないことが鉄則です。
何十回でも何百回でも、同じ生徒に同じ事を教える場合があります。
時には、このままで大丈夫だろうかと不安になることもありますが、絶対どこかでスルッと抜け出してくれます。

自分がそろばんをやって良かったと思うことは、計算が速くなったことだけではありません。
目標を達成するためには、あきらめずに続けることを身を持って実感できたことです。
最初の頃は周囲より早く進んで得意になってた時期もありますが、後から入った一年下の天才的な子にあっという間に抜かれ、世の中甘くない、ということも学べました。
昔は段位検定というのがなかったのですが、珠算塾で指導助手のバイトをしてた時、先生に受けてみないかと勧められ、何年ぶりかで珠算練習を再開しました。
20歳を過ぎて段位を取った時、教室で初めての段位検定合格者だと喜ばれました。
その時は、教えながら自分も練習するという体験ができたので、指導者講習に参加するよりも指導の勉強になりました。

計算が得意だからさらに伸ばしたい、計算が苦手だから何とか克服したい、とそろばんを始める動機はいろいろです。
元々計算が得意な人は、そろばんができなくても数字に強く、頭の中で独自の計算方法を編み出している場合もあるでしょう。
だから、必ずしもそろばんが計算力を伸ばす一番の方法とは限りません。
ただ、そろばんは数字を珠に置き換えて、目で見て指で動かして頭でイメージしてと、人間の感覚を駆使して計算を身につけます。誰にでも簡単にできるのです。
ただし、習ったことを忠実に繰り返して、反射的に指が動くまで身体で覚える必要があります。
とても時間がかかるので、途中であきらめてしまう人が多いのです。

本人が嫌になってあきらめるのではなく、保護者の方が何年もやってて級が進まないから他の塾や習い事に変える、という場合もあります。
進学塾などでどうしても続けられなくなって、という場合もあります。
そんな場合、現在挑戦している級を合格することを目標にして、合格したらやめる、というように目標達成した時点でやめることで、挫折感を減らすことができると思います。
6級に受からなくてやめたんだ、というより、6級に合格してやめたんだという方が、自分を否定せず肯定的に生きられると思うのです。

最近はそろばんが再認識され、計算力をつけるにはそろばんが一番という関心の高さは嬉しいのですが、毎日何時間も練習している天才児と同じように、週に1~2時間で飛躍的に上達できるわけがありません。
週に1~2時間でも、休まず何年も続けることで、少しずつ上達するのです。
その間には、必ず停滞する時期もあり、飛躍的に伸びる時期もあります。
何を学ぶにも一朝一夕では達成できず、上達には山あり谷ありで、自分のモチベーションをどうコントロールしていくかを知ることが大切です。

たかがそろばんですが、長期間学ぶことで、いろんな勉強、仕事、人生の縮図のような体験ができると思います。
親に言われて嫌々続けてたような子でも、検定を取るまで継続できた子は、きっと自分のことをよくわかっていて、自分の人生を大切に考えることができるでしょう。

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オーディオブック

最近、オーディオブックにはまっています。
勝間和代さんの著書を数冊読んだ影響と、自分の新しい携帯にオーディオプレイヤーの機能があることに気づいて試してから、携帯を常にポケットに入れてます。

以前から、いろいろな学習法の本でオーディオブックを勧めてましたが、日本語のものが少ないせいか、英語のものを勧めるものが多かったので敬遠していました。
視覚情報がないと生徒の名前を覚えるのも大変なのに、耳から聞いた情報なんて残るはずない、という先入観も強く、実践していませんでした。

それでも、次女の勉強には良いだろうと勧めようと思っていたら、先に、ICレコーダーが欲しい、とねだられました。塾の英語の先生から、授業を録音して繰り返し聞きなさい、と勧められたそうです。
それで、かなり早いお誕生日プレゼントとして買ってあげたのですが、選んでいるうちに自分でも欲しくなってきました。
その場は我慢して、iPodにダウンロードして試したりしましたが、画面がない小さなタイプなので好きな作品が選べません。好きな音楽と本が混在していれば、つい音楽の方を聴いてしまいます。

そういえば今の携帯なら音楽を聴けるのでは、と調べてみると、WMPという機能がついていて、ネットからダウンロードしたオーディオブックも保存して聞けました。
今まで読みたいと思って買ったまま放っておいた新書本が、ネットでいろいろダウンロードできました。
薄い新書本でも数時間のものがあり、目で読んだ方が早いのでは、とも思いましたが、とんでもない。一日で一冊以上聴くことができました。

小説なら分厚くても熱中してすぐ読めますが、ビジネス本だと薄くてもなかなか読み進められないことがあります。特に、マンガや小説でさえ読むのが遅いと子どもたちから馬鹿にされているので、自分で読んだら一週間はかかる本でも、家事や移動や打ち合わせの待ち時間だけで一冊終わりました。

中には図や表など視覚的に見ないとわからない内容もありますが、主な内容は十分つかめて、本だと途中興味のない退屈なところで挫折するかもしれない部分も、さらっと流せるので、自分に必要なところだけ最後まで聞けます。
耳からの情報を覚えておくことに自信がなかったのですが、目で読んでも100%残っていることなどなく、印象に残った部分だけが定着するわけで、耳で聞いても印象に残る部分はあるのだから、その点は変わりません。
しかも、何度も読むことはなかなか難しくても、何度も聞くことは簡単にできます。

日本語のオーディオブックはまだ種類が少なく、最近のものではビジネスやスキルアップ関連に偏っているようですが、文学作品などでは、良い声の俳優さんや声優さんが吹き込んでいるものもあります。
小説などは、遅いと言われようが自分のペースでゆったり読みたいと思ってましたが、プロが読む世界を味わうのも良いかな、とも思い始めました。

成功している人たちの本を読むと、速読術を身に付けていて読書量もすごいのですが、みんなオーディオブックを活用しているな、と思っていました。どんなに忙しくても家事や移動などの時間は毎日あるわけで、その時間を無駄にしていないのですね。

それにしても、日本の駅ってうるさいなあ、と実感しました。
「左側を歩け」「エスカレーターは気をつけて乗るように」「白線の内側に立て」「もうすぐ電車が来る」など、同時に何重にも放送が流れてきます。
イヤフォンで聞いていても何も聞こえなくなります。
外国から来た人たちがびっくりして、大きなお世話だと言う気持ちがよくわかりました。

もっとも、駅でオーディオブックを聞いていて一番困るのは、つい笑ってしまいそうになって我慢するのが大変な時ですけど。

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脳を活かす勉強法

脳を活かす勉強法

元々勉強好きで、家庭環境にも恵まれ、勉強を無理強いしない両親に育てられ、東大、ケンブリッジ大とエリートコースを歩んできた脳科学者の学習方法なんて、凡人にマネできる点があるだろうか、と先入観を持ってしまいそうですが、そろばん教室でも実践しているような基本的なことを、科学的に説明してくれていて、とても参考になりました。

脳は、何かを達成したという「喜び」から、学習の回路を生み出すそうです。
その「喜び」のためには、簡単なことばかりやっても、難しいことをやってもダメで、自分の能力より少し難しいことにチャレンジし、それを達成できた時に脳は一番喜ぶそうです。

そろばんでは、最初は簡単でも、そのうちどんなに優秀な人でも行き詰まる時がきます。
加減乗除だけの単純な計算なのですが、時間内に決まった題数をこなそうとすると、集中力をどんどん高めていかなければ壁を乗り越えることができません。
常に、自分の能力より少し上のレベルにチャレンジしています。
それも、少しずつ段階を経て上のレベルに上がるから上達するのであって、優秀な人でもいきなり一級の問題をこなそうとしても無理があります。

時には、なかなか進めなくなって、優秀な生徒ほど今まで体験したことのない挫折感を味わい、スランプに陥ったりします。
小さな子だと泣き出したり、中には「できない」「もう無理」とヒステリーを起こすこともあります。
冷たいようですが、泣いたから終わりには絶対しません。
多少教えて援助はしても、決めたところまでは終わらせないと帰れません。
できないところで終わると挫折感しか残りませんが、どんなに小さな目標でも達成したところで終わることが大切だと思っています。
それも、脳科学的に学習効果が証明されているようです。

そろばんの学習で誰もが必ず味わう挫折感は、とても良い体験だと思います。
(それには自分の限界まで続けることが必要ですが)
人生の早いうちに挫折感を何度も体験しておけるのですから、将来的に一番役に立つ学習ではないでしょうか。

「タイムプレッシャー」が脳の持続力を鍛える、というのも常にそろばんでやっていることです。
制限時間内でどこまで集中力を発揮できるか、というのが一番の課題ですから、時間に関係なく同じ問題をこなすのとは違う刺激が脳を活性化します。
ただし、他人から強制されるのではなく、自分で制限時間を設定し、自らチャレンジすることで大きな効果が得られるそうです。
そろばんでのやり方を、自分の学習に活かせるようになったとき、本当に学習能力が上がるのでしょう。

日本の学習環境で難しいのが、変人と言われようと、構わずに好きなことをとことん突き詰めていく姿勢でしょうか。
ケンブリッジなどでは、身なりには構わず自分の好きな研究に打ち込む人ほど優秀で、そんな優秀な人達が、専門分野に関係なく交流し、知の交換をして刺激しあってるから、さらに知的レベルが上がっているそうです。
「勉強」と言うと拒絶反応が出てしまいがちですが、好きなことをもっとよく知りたいと思い、オタクと言われようが変人と言われようが構わず突き詰めていく姿勢が大切なのです。
日本では蔑視されがちな我が家のようなオタク族も、全国のオタク達も、偏見に負けず自分の好奇心を徹底的に満足させていけば、そのうち何らかの成果をあげるかもしれません。

そのような留学体験や学習のきっかけなど著者自身の体験や、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の司会で出会った、スポーツ選手、棋士、競馬の調教師など様々なプロの体験談も交えて、能力を伸ばす秘訣をわかりやすく教えてくれています。
精神論だけでなく、記憶術や読書法など、実践的な勉強法も参考になります。

子どもの能力を伸ばしたい親の心構えとしては、過保護や過干渉にならず、子どもが失敗を恐れずにいろんなことにチャレンジできる「安全基地」であること、だそうです。
TBSドラマの「エジソンの母」がまさにそうですね。
成績やよその子との比較で判断せず、子どもの興味や好奇心を大切に見守り、子どもが何かをしたいと思い立ったチャンスを逃さないようにしたいものです。

勉強法に悩む受験生や子ども達の参考になるだけでなく、子どもにだけ期待をかけて自分の人生をあきらめている親たちも参考にしたい本です。
「勉強とは、自分という存在を輝かせるものであり、人生における次のステージに登るためのものなのです」

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博士の愛した数式

先日、次女と「博士の愛した数式」のDVDを見ました。
一年くらい前に原作を読んで、次女にも勧めたのですが、数学嫌いの次女はイマイチ興味を示しませんでした。
けれど映画を見て、読んでみようかな、と言っています。
数学にも数字にも相変わらず興味は湧かないけど、登場人物が興味深いからみたいですが。

とは言いつつ、不思議な数字の関係には感動していました。
映画版では、数学の説明のためか、息子が中学の数学の先生として登場し、博士が話す内容の解説をしてくれます。
ところどころ設定は変わっていましたが、映画版も原作の良さを生かして作られていました。
自分の大好きなものをとことん愛し、大切にする姿勢を教えてくれるお話です。

以下は小説版の紹介で、ご自分で読もうと思われる方は、ご覧にならない方が良いかもしれません。

交通事故で、1972年以降の記憶は80分しかもたない元数学教授と、そこに雇われた家政婦と10歳の息子の交流のお話です。
子どもの頃から数学だけが友達で、数字や数式の美しさを愛し慈しむ博士が、とても愛らしい。
毎回会うたびに初対面となる家政婦に、靴のサイズや電話番号や出生時の体重を尋ね、それぞれの数字のすばらしさに感動しています。
「24とは潔い数字だ。4の階乗だ」
「素晴らしいじゃないか。それは一億までの間に存在する素数の個数に等しい。」
「君の誕生日は、僕の受賞記念の時計に刻まれた番号と友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。」

家政婦は、学生時代には数学なんて寒気がするほど嫌いだったのに、この博士の数字の解説に、自分に関わる数字がそんな偉大なものだったなんて、と驚きつつ、数字に関する博士の説明に関心を持っていきます。
そんな博士が、家政婦に10歳の息子がいることを知り、
「息子を放っておいて他人の食事を作っているなんて、いかんいかん」
と、普段の物静かな態度を一変させて、家政婦を追い返してしまいます。
次からは息子をここに来させなさい、忘れるだろうって見くびってはいけない、メモしておくからね、ということで、家政婦協会で禁止されている子連れのお世話を始めます。

息子が来ると、博士は満面の笑顔で迎え、両腕を広げて抱きしめて、歓迎します。そして、野球帽を取り、平らな頭をなでて、名前を聞く前に愛称をつけます。
「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号だ。」
それまでずっと母子二人だけで生きてきて、小さい頃から一人で留守番をさせ、息子が誰かに抱擁されることなどなかったので、博士から愛情一杯に抱擁されるのを見て、母親は幸せな気持ちになります。

子どもに対して、ものすごく真摯に向き合い、その存在を絶対的に尊重する、という博士の態度は、多くの親が反省させられるでしょう。

博士は、数字に関してはものすごい記憶力で、80分の記憶しかないにもかかわらず、身体中にメモを貼り付けることで、難しい数学の懸賞問題を解いて、何度も一等の懸賞金を獲得しています。
それなのに、自分が取るに足らない、つまらない小さな人間だと思っていて、ものすごく謙虚なのもかわいらしい。
いくらお金を儲けても、お金だけが目的でお金持ちになったり、自分を偉そうに見せようと他人を馬鹿にしたりする傲慢な人達には、何の魅力も感じないし、尊敬にも値しません。
自分の好きなものに夢中になり、情熱を燃やし、大切に愛して慈しむことができる人の方がずっと素敵です。

博士は毎朝起きると、
「僕の記憶は80分しかもたない」
というメモを見て、毎日その事実にショックを受け、そのために周りの人間に迷惑をかけることを恐れ、数学のためだけに控えめに生きています。
そんな博士が、野球好きで、息子と同じ阪神ファンだというのが意外でした。
中でも江夏の大ファンで、うっかり息子が、江夏は他の球団にトレードして今は引退したよ、という話をしたら、17年間の記憶のギャップを思い知らされ、江夏が阪神以外に行くなんて、とものすごいショックで、慰めようもないくらい落ち込んでしまいます。

でも実は、博士はテレビもない家に住み、誰もが野球場で試合を見られるということも知らず、野球の試合を一度も見たことがないのです。
博士にしてみれば、野球ほど数字に満ちたスポーツはなく、大学の図書館のスポーツ新聞で読む野球のデータだけで、ルールを知り、ひいき球団を作り、江夏の大ファンになったのです。
記憶がなくなる1972年以前の野球データは、小数の単位まで記憶され、その細かい数字の流れで試合を想像し楽しんでいるのです。
そして、野球カードを集め、几帳面に分類し、大切に缶に保管しています。
博士にとって、試合を見たこともやったこともないのに、野球は数学同様に大切な存在なのです。

博士が大切に野球カードをしまっている缶の底には、数学の論文が隠されていました。
その間に、若い頃の博士と、はにかみながら寄り添う女性の写真が挟んでありました。
その女性は、冷ややかで事務的に家政婦を雇った、博士のお兄さんの未亡人でした。
みすぼらしい博士の家とは別棟の、りっぱな家に住み、決して博士の家には顔を出しません。それでも、家政婦の休みの週末には、博士の世話をしているようでした。
論文の一番最初に、
「~永遠に愛するNへ捧ぐ。あなたが忘れてはならない者より~」
と手書きで書かれていました。
博士には、数学と野球以外にも、とても大切に慈しんでいるものがあったのです。

家政婦は、ある日突然解雇されます。博士が専門の医療施設に入ることが決まったからです。
家政婦は、施設でもお世話しましょうか、と申し出ますが、未亡人は、
「私がおります。義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません。」
と断ります。
夫の遺産で生活し、仕方なく義弟の援助をしている、と思われていた未亡人にも、永遠に変わらない想いがあり、博士への信頼からくる自信があったのです。

数学と野球と記憶喪失というかなり特異な状況設定はあっても、特別大きな事件が起きるわけでもなく、坦々と時間が流れていきます。
その中で、数学と野球と未亡人に対する、控えめだけど深く静かな博士の愛情、80分という細切れの時間に示す家政婦親子への愛情が、人も物も大切に慈しむ真摯な姿勢を教えてくれます。

  

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呉下の阿蒙に非ず

中国の三国時代に、呂蒙(りょもう)という猛将がいました。
有名な赤壁の戦いなど、いくつもの大きな戦いで功績を残す武将でしたが、教養が全くなく、主君の呉の孫権から教養の大切さを諭されます。
それから猛勉強をし、久しぶりに会った呉の参謀・魯粛(ろしゅく)からの質問に次々と答え、
「呉下(ごか)の阿蒙(あもう)に非(あら)ず」(呉にいた頃の蒙君とまったく違う)
と魯粛や孫権を驚かせます。
その後魯粛の後を継ぎ、呉の参謀となり、文武両道の武将になります。

呂蒙は、成人してから勉学に励んで、短期間に成長した人物の代表になりました。
逆に、「呉下の阿蒙」とは、進歩のない人間のことを言います。

最近そろばん教室には、成人の生徒が増えてきて、小さな子と一緒に、そろばんの初歩から学んでいます。
就職するまでの半年間という制約の元に週三日通ってきている大学生は、半年もしないで、まったくの初歩から三級合格まで一気に上達し、残りの一ヶ月で二級合格を目指しています。
元々「呉下の阿蒙」とは違って勉強に馴れているとはいえ、ものすごい進歩です。
一般のお勤めをしながらや主婦の仕事の合間に練習をしている人もいます。
年齢に関係なく、自分の能力を伸ばしたいと思えば、いつでもできるのです。
仕事が忙しい、時間がない、もう手遅れ、などと言い訳を言う前に、やりたいことがあるなら、まずやってみることです。
親になると子どもに依存して、自分でやりたいことまで子どもにやらせたり、自分をごまかしてしまいがちです。
いくつになっても、自分がいいと思ったことは、自分でやればいいんです。
子どもは子どもで頑張ればいいように、親は親で、死ぬまで自分の可能性を信じるべきです。

とはいえ、まだまだ大きな期待をかけられる子どもがいると、どうしても子どもに予算も時間も取られ、親にまでお金も時間もかけられないのが現状でしょう。
どんなに予算や時間をかけても、勉強嫌いの「呉下の阿蒙」ばかりを育ててしまっている親としては、これ以上子どもにかけるよりは、自分にかけた方がマシ、と親としてはあきらめムードもあるのですけどね。

ところが最近、勉強嫌い、学校はもっと大嫌いの長女が、勉強したいことがあると言い出しました。
漫画家はあきらめたのか、イラストやデザインの勉強をしたり、そういう関連の仕事で実地に勉強したら、という周囲のうるさい声にうんざりしたのか、アートセラピーを勉強して、子どもを相手にした仕事をしたい、というのです。
一見強そうで実は精神的に非常に脆いので、本人が一番セラピーを求めているのかもしれませんが。長男が保育士や学校の先生になりたいと言ってたときは、子ども相手によく仕事できるもんだ、自分は絶対無理、と言ってたのに。

そろばん教室とは言え、子ども達の愚痴を聞いたり、鬱憤晴らしの場でもある教室を見て、面白いと思ってしまったのでしょうか。
もっとも、こちらはセラピーどころか子どもと同レベルで、言ってることに突っ込みを入れる、という漫才のノリで相手しているだけですけど。
答え合わせとか集中している時は、ろくに返事もしないので、子ども達からは生徒を差別してるんじゃないか、と非難されることもありますし、そんな反面教師を見てるから、かえって子ども相手の仕事を目指したがるんでしょうか。

何にせよ、いくつになっても、目指すものがあるということは良いことです。
自分で目指したからには、最後まで達成してほしいものです。

残り二人の「呉下の阿蒙」たちは、時々仲良く?ゲームをしています。
『三国無双』で、瀕死の状態で呂蒙に向かっていこうとするので、
「何やってるの?そんな状態で呂蒙に勝つのは無理だよ。呂蒙って強いんだよ」
と言うと、
「そんな無駄知識はいらねえ!」
と言われてしまいました。
三国志マニアが命名した長男は、三国志トリビアへの拒絶反応が強いのです。
知力を使わず、力ずくで強引に責めまくってゲームクリアするなんて、軍師の名が泣くよ・・・

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人生は時間でできている

クリスマスが終わると、子どもの年中行事も終わったという感じですね。
今年は、6歳の甥っ子と3歳の姪っ子へのプレゼント選びに時間がかかり大変でしたが、私のプレゼントしたものが一番受けたようで、ちょっといい気分でした。
母や弟夫婦は、知育玩具のような教育的なものを選んだので、子ども達だけでは遊べないで、すぐに飽きてしまったようです。
姪っ子の代わりに母親の妹が、熱心に織物をしていました。

私は、散々探し回って迷った末、妹に子ども達の好きな動物を聞きました。甥はライオンとトラ、姪はウサギとリスだそうです。(強い動物とかわいい小動物で、それぞれの理想が見えて面白い)
ライオンとトラは見つからず、甥には前に好きだと言っていた虫キングのカブトムシをあげました。一匹では虫相撲ができないけど、リモコンで動かしていろんな物を角で投げ飛ばせて、面白そうでした。
姪には、バッグに入った柔らかいウサギのぬいぐるみとシルバニアファミリーのリスをあげました。
「ウサギ大好き!だってかわいいんだもん」
と喜んでくれました。そう言って遊んでいる姪っ子の方がかわいいんですけどね。

こんなかわいかった時期も遠い昔で、問題山積のうちの子ども達三人には、図書カードと「7つの習慣プランナー」という手帳をプレゼントしました。
それぞれに好きなことがあり、目指したいことがありながら、どう見ても的確に実現させようとしているとは思えません。
特に次女は、休みの日は放っておくと日暮れまで寝ていたり、嫌いな学科からは逃げてばかりいたり、自分の反省すべき点を認めず、勉強に対する姿勢がなかなか改善できません。
そのうちできるようになる、という脳天気さから、時間を浪費してばかりいます。
根本的に自分を見直さなければ、絶対に向上は無理なことを理解していません。

この手帳は、「時間を浪費してはならない。人生は、時間でできているのだから」というベンジャミン・フランクリンの言葉を標語に掲げています。
ベンジャミン・フランクリンは、凧で雷の実験をしたことで有名ですが、印刷業で成功してから、物理学者、気象学者、外交官、政治家など様々な分野で活躍した人です。
この手帳は、それだけの活動を実践した時間管理術、ライフプランの作成システムを取り入れたフランクリン・プランナーというシステム手帳のコンパクト版です。
単に予定を書き留めるだけでなく、ロングセラーとなった、スティーブン・コヴィー著「7つの習慣」の成功への原則を実行するための手帳です。
まず、自分が本当にやりたいこと、なりたい人、目指したいことを見つめ直します。
そのためにはどうしたらよいか考え、飽きずに、あきらめずに、最後までやり通すために、実現への習慣を身に付けるための手帳です。

簡単には実行はできないでしょうし、なかなか自覚もできないでしょう。
どこまで活用してくれるか、多少の意識改革だけでもしてくれないかと思うのですが・・・
予想はしていましたが、長女はすぐにそこらに放りっぱなし、長男はふ〜んという感じ。次女は、こういう手帳欲しかったんだ、と言いつつ、相変わらず生活改善はできず、自己管理もできず、塾をすっぽかそうとします。

親がいくら口うるさく言っても無駄で、先生方に親身に注意され、諭されても馬耳東風。
本人も、どうにかしたい、とは思いつつも、頑なでルーズな性格と、体力はあるのに精神力がないために年中具合が悪くなり、そのためにどんどん奈落に落ちていってます。
生まれ変わったから、と何度口先で言っても当てにならず、気長に待つしかないかな、と思ってます。

それでも、若い人たちには時間がたっぷりあるので、いくらでもやり直しがきくからいいですよね。
そんな余裕をかました人たちに構ってばかりはいられません。
こっちはそれほど時間の余裕はないのですから、やりたいことを目一杯楽しんで、自分の目標を達成していかなくては。


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夢は自分で叶えるもの

オムツやミルクの世話から解放されると、動き回る子どもから目が離せなくなり、小学校に上がってようやく子育ても少し楽になったかと思うと、成績の心配が始まり、受験生の親となり、結局親は、ずうっと子どもを心配し続けなきゃならないみたいです。
でも、その間子どものことばかり考えて心配ばかりしていては、親の人生は子どものためだけに終わってしまい、子どもにとっても親がうっとうしいだけの存在になってしまう気がします。

うちの下の二人は危うく誘拐されそうになったり、息子などはさらに、ケガで救急車に乗ったり、迷子でパトカーに乗ったりという経験の持ち主です。長女だけは、知らない人に声をかけられても、答える気もないし、気づきもしないで通り過ぎるような子だったので、何事もなかったようです。(危険な目にあってても気付かないかも)
何度も血の気の引く思いをさせられています。
ですから、家でひたすら子どもの帰りを待つだけの生活を送っていたら、サイレンを聞く度に、うちの子ではと気になって、気が狂いそうになったでしょう。
何をしでかすか、どんな事に遭遇するかわからない子ども達ですが、親は子どもの生命力と判断力を信じて放任することにしました。危うい目に合っても、機転をきかせて逃げ帰って来たのですから、それぞれの能力を信じるしかありません。
どんなに頑張っても親が四六時中ついて回ることは不可能ですし、結局は自分で考えて判断して行動するしかないのですから。
その代わり、一緒にいるときは、できるだけ楽しく過ごしたいと思っています。
(そりゃあ、共同生活においてのモラルでキレることは多々ありますけど、基本的にこうすべきという指示はしません)

人間なんて、いつ運命が尽きるか誰にもわかりません。
だから、お母さんは美人薄命で永く生きられないはずだから、自分たちで生きていけるようにするんだよ、と小さい頃から言い聞かせてきました。(すでに十分生きてるから、美人でないこと証明しちゃったねえ、と言われてますが)
子どもだって、親より長生きできる保証はどこにもありません。
将来のことを見据えるのは必要ですが、将来のために今の生活をすべて犠牲にすることはないと思うのです。
だから、ほとんどの判断基準が、自分が好きかどうか、楽しいかどうか、自分にとって役に立つかどうか、です。
親が自分の夢を子どもに託すことはありえません。
例えば、親が東大に行ってたから子どもも東大へとか、親に学歴がないから子どもは東大へとか、親がレールを引くなんてナンセンスです。
子どもを東大に行かせたいと思うなら、親自身が自分で東大を目指せば良いでしょう。
子どもに何かをやらせたいと思うなら、親自身がやれば良いのです。
年齢なんか関係ありません。夢は、自分で作り自分で叶えるものです。

うちの息子も、二度目の大学受験真っ最中です。
浪人中勉強ばかりやれるわけもなく、ギターにゲームに映画と、十分な息抜きをしつつ迎えた本番です。(大丈夫かな〜)
それでも、勉強なんか大嫌いで、受験を決めた高三までほとんど勉強して来なかった息子にしてみれば、勉強の習慣がつき、勉強のコツがつかめ、やればやるだけ身に付くんだという実感を感じることができたのは、かなりの成長です。
浪人してまで大学なんか行く気はない、と言い切っていたのに、ある程度勉強して、もう少しという手応えを感じたのか、失敗したら、やっぱり浪人して勉強し直す、と言い出しました。
うちの子にしてみれば、画期的なことです。
父親は、ろくでもない大学なら行かなくてもいい、と言ってるようですが、大学は親の見栄で行くものではありません。
本人がやりたい学科を見つけ、行きたい学校を見つけたら、どんな学校でも勉強の場となるはずです。
成功するかどうかは際どいところですが、子どもが将来の夢を見つけ、勉強したいことを見つけ、そのために自分なりに頑張ってきたことは、誉めてあげたいなあ、と思ってます。

それにしても、うちはみんな勝手に息抜きだらけで緊張感のない受験生家庭ですが、真面目な受験生家庭の親御さんは、受験生本人より疲れてるでしょうね。
息抜きしてみてはどうでしょう。
「アイ・アム・サム」という映画をご覧になったことあるでしょうか。
七歳までの知能しかない父親が、七歳以上になる娘を育てられるか、ということで裁判になるお話です。
この父親は、親として根本的に必要なものを持っていて、こんな親子っていいなあ、と思わせてくれます。
ビートルズナンバーが効果的に使われていて、ビートルズを知っている人には別の楽しみもあります。

子育てって、こうすべき、こうあるべき、という枠を作ってしまうと楽しめないけど、こう育っちゃったか、と思いつつ今ある状態を受け入れていけば、案外楽しめるはずです。

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