富士山の見える部屋から
去年は、あと数年は引越しの予定のなかった東教室で、突然退去の申し出があったり、移転先探しでもいろいろ問題があったり、その他いろいろツイていないことが続き、踏んだり蹴ったりでした。
年末に引っ越してみて、西の窓から富士山が見えることがわかりました。
最初に部屋を見に来たときも、入居が決まってから下見に来たときも、時間と空模様のせいか、見えませんでした。
方角的には見えるはずだと思ったので、西友のビルの陰になってるのかな、とちょっとがっかりしてました。
でも、そんなにツイてないことばかりじゃなかったんだ、と思えました。
人間誰しも良いことばかり続くことはなく、悪いことが続いたり、小さなことでも次から次へとアンラッキーが重なると、自分はツイてないのでは、と思える時があります。
心身ともに絶好調の時なら、まったく気にしないようなことでも、体調が悪かったりすると全てが不幸の種のように思える時もあるでしょう。
そのために、不幸が続いているような気になったりもします。
また金メダルを取ったソフトボールの話に関連しますが、チームを優勝に導いたのは、イメージトレーニングの効果が発揮されたという話があります。
いろいろなスポーツやビジネスなどでメンタルトレーニングの指導をしているという西田文郎さんの「ツキと幸運がやってくる31日の習慣」という本は、一見何かの宗教か怪し気な商法かと思いました。
でも、具体的に何をしたらポジティブになれるか、何を続けたらメンタル面で強くなれるかを示し、単に「果報は寝て待て」的なラッキー本ではありませんでした。
ポジティブシンキングの本はいろいろありますが、元々ポジティブな人間には無用な精神論だったり、悲観的な人には、どうやったらポジティブになれるのかが少しもわからない内容がほとんどです。
でも、自分の夢や目標、目的を自覚したり、前向きな気分になるための何らかの行動を自分で考え、実行し、続けることで、結果的に夢が実現したり良いことが起こるという理論です。
基本は、「自分はツイていると信じる」「人も自分も喜ばせる」「周囲のみんなに感謝する」という、あらゆる宗教や怪しげな商法でも活用され、多くの成功本やビジネス本でも書かれていることです。
ドラマにもなった「夢をかなえるゾウ」も同じような感じでしたね。
そんなわかりきったことも、実際にはなかなか実行できなかったり、続けられなかったり、落ち込んだ時はとてもそんな気分でなかったり、ということが問題なわけです。
ところが、ツイてないと思った時、落ち込んだ時、自分でちょっとした行動や言葉を決めておくと良いということです。
昔の人は、よくやっていたことですよね。「クワバラクワバラ」などと言ったり、信心深い人はお祈りやお経などを唱えたり。
ちょっとしたことで、すぐに気分を回復させる技を身につけることで、常に自分を信じることができれば、目標に向かって努力を続けることもできますし、必然的に夢を実現することもできるでしょう。
何をやっても、試行錯誤のない成功はありませんし、あきらめさえしなければ失敗ではなく、成功への一つの段階でしかありません。
自分を信じられなければ他人を信じることはできませんし、自分を大切にできなければ他人を大切にできるはずもありません。
でも、続けることが難しいですよね。
そのためには、自分なりのおまじないも有効かもしれません。
もうすぐ受験の時期ですが、みんな自分を信じて、自分と自分の目標を大切に、体調や成績の不調に左右されることなく、合格した自分を確信しながら、最後まで能力を伸ばし続けて頑張ってほしいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
アトピーに向き合う
最近、まるで洒落っ気のない次女が、
「化粧品って使った方がいいのかなあ」
などと言い出しました。
今までアニメオタクの仲間だった友だちまでオシャレに目覚め、化粧品の買い物に付き合わされたり、昼食時のおしゃべりでオシャレの話題についていけなくなってあせり出したようです。
「その前に、ちゃんと顔洗って、アトピー治して、シャンプーの後はドライヤーかけろ」
と兄や姉から散々言われてました。
実際、無闇に化粧品を使うなどもってのほかの状態で、普通の女子高生なら外に出られないと思い悩むような顔です。
今まではまったく無頓着なため、薬もひどい時だけつけたり飲んだりするだけで、すぐにサボり、平気で出歩いていました。
最近、多少受験勉強に取り組むようになって、症状が悪化してきたようです。
見てくれの悪さでストレスはなくても、勉強のストレスは大きいので、今年こそは本気で対策を練らなければ。
まあ、一番の原因は、ろくに掃除をしないことと、怠惰な生活、とわかりきっているんですけどね。
家族中でアトピーなんだから、もっと早くからなんとかすれば良さそうなものですが、周期的に痒くなるのは花粉症みたいなもので仕方ないと、アトピーかつ花粉症の親自身も慣れきっていました。
でも、ただでさえ勉強が苦手なのに、受験勉強など始めてしまっては、ストレスは増すばかりで、顔の痒みもひどくなり、痛々しい状態になってきました。
試験中など、無意識に顔を掻きむしってるようです。受験どころではありません。
そこで、いろんなアトピー本を読み漁り、きちんと向き合えば治せることもわかり、一念発起でやらなければと思い立ちました。
『「アトピー」勝利の方程式』では、アレルギーのわかりやすい解説と、ステロイド剤の使い方、プロトピックや新しい薬、抗アレルギー剤など最新の治療法が丁寧に書かれています。
今までアレルギー検査も受けず治療を受けていたのですが、それでは治るわけがないこと、根本原因を除去しつつ、正しく薬を使っていくことで、確実に改善されることが納得できました。
私自身も、手足に猛烈に痒い小さな湿疹が周期的にできるのですが、もしかしたら金属アレルギーかもしれない、と思い当たることがありました。
ネックレスのチェーンなどでかぶれるので、アレルギーがあるのはわかっていましたが、歯にかぶせた金属が原因とは思いもよりませんでした。
サプリメントも、金属性のものが含まれている可能性もあるので、無闇に飲んではいけないと肝に銘じました。
防ダニ加工の寝具に変えたり、部屋のホコリやカビを掃除するだけでなく、洗濯機のカビも定期的に除去して、浄水器をつけて、シャワーヘッドもフィルター付きのに変えて、などなど、お金と労力を惜しまずに環境を整える必要があります。
防ダニ仕様の掃除機と空気清浄器はあるので、まだましと思うことにします。
無駄なことに使っていた時間とお金をアトピー対策に使えば、家族中がつらい痒みから開放されるのですから、積極的にやるべきですね。
あとは、きちんとアレルギー検査をしてくれる病院で、真面目に治療を受け、きちんと薬を使って治しきれるかが問題です。
あまり気にしないというのは、ストレスの面では良いのですが、薬の使い方がいい加減になりやすいので、長期的な治療がうまくいきません。
ズボラで飽きやすい性格を、なんとか家族中で矯正しないと。
今では独特のオシャレに気を使う長女も、高校生くらいまではまったく無頓着でしたから、次女もそのうち気を使うようになるのでしょうか。(あまり期待はできませんが)
その時に今の状態では相当なストレスになるでしょうから、そのときが来るまでには、何とかツルツルの肌にしてあげたいものです。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
鈍感力
今年の流行語大賞のトップ10にも入った渡辺淳一の『鈍感力』。
繊細できめ細やかな神経が尊重される日本では、図太く打たれ強い鈍感な人間は肩身が狭いのですが、鈍感な方が、どんな世界でも何をするのでも良い結果をもたらすという、鈍感な人間には嬉しい本です。
子育てだって、鈍感な方が楽で楽しくやれると思いませんか?
優秀な子どもが親の期待通りに育つなんて、そうそうありません。
きちんと早寝早起きの習慣をつけて、賢くなる食事に気をつけて、様々な能力を伸ばせる住環境を整え、ふんだんに教育費をかけられる経済力を持ち、最大限の努力で子どもの世話をして、優秀な子に育てていらっしゃる方もいるでしょう。
でも、どこの親もみんな同じようにできるわけもなく、する必要もないでしょう。
よその家庭を気にしたり、他の子どもと比較したり、成長に一喜一憂しても仕方ありません。
子どもの逞しい鈍感力を引き出し、親も神経質にならずに気楽につき合っていきたいものです。
親は、自分自身が好きな道を進み、やりたいことをして、楽しく生きている姿を見せることが一番の教育でしょう。
子どもにも、いろんなことをさせ、好きなことを見つけて夢中になれる環境を整え、自分の能力を伸ばし、活かす方法を身につけさせることです。
そのためには、テレビも映画もゲームもマンガも遊びも、年齢によってある程度親が管理しながら、やりたいことをやらせても良いのではないでしょうか?
親の趣味や好みでダメと決めつけたり、子どもがやりたくもないものをやらせたり、親の思い通りに育てようとしても、そううまくいくとは思えません。
先日、甥と次女と三人で本屋さんに行きました。
「誕生日のプレゼントを買ってあげるから、何でも好きな物を選んでいいよ」と言っても、甥はなかなか欲しい物を言いません。(うちの子ども達ならここぞとばかりに、親には絶対に買ってもらえない物を選ぶでしょう)
一緒にいた次女が
「これが欲しいんじゃない?」
と手に取ったのは、マイクで駅員さんのマネができる、いろんな音の出る電車の絵本です。
何度もその本の前をウロウロし、手に取り、滞留時間が長いので、きっとその本だろうと思ったそうです。
「どうせお母さんいないんだし、何でも選んでいいんだよ」と言っても、
「でも、お母さんがダメって言うし・・・」
確かに、まだ小一とはいえ、あまりに幼い選択ですし、多分似たような本も持ってるでしょうから、怒られそうです。でも、甥は電車が大好きで、似た本でも同じでなければ欲しくなるのもわかります。
「それじゃあ、お勉強もできる物と一緒に買ってあげる。それなら大丈夫だよ」
と言って、日本地図のパズルゲームを組み合わせてプレゼントしました。
甥はニコニコ顔でした。
教育的指導も良いけれど、ほどほどにしないと、大人の顔色をうかがう神経質な子どもに育ってしまいます。
親に時間的、経済的余裕があると、子どもの教育に熱が入り過ぎ、いろいろな習い事をさせたり塾に通わせたり、子どもの意思とは関係なく子どもの時間を奪ってしまうこともあります。
それでも、小さい子どもほど文句を言いませんし、親の期待に応えようとします。
親が好きなことを好きと言ってみたり、親を喜ばせようと一生懸命です。
でも、そういう子どもの気遣いには敏感でありたいものです。子どもの鈍感力をどんどん失わせてしまうからです。
親は、全精力を子どもにかけるなんて有り難迷惑なことをやめ、もっと鈍感に大らかに、子どもと一緒の時間を楽しんだらどうでしょう。
「これから全世界に羽ばたき、新しい時代を切り拓いていこうと思う人は、まず自らの鈍感力を確かめ、あると思う人はそれを大切に、ないと思う人はそれを養うよう、さまざまな環境にとび込み、鍛えるべきです。
そしてそのためには、なにごとにも神経質にならず、いい意味で、すべてに鈍感で、なにごとにも好奇心を抱いて向かっていくことです」(『鈍感力』より)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
CAN(やればできる)
2月に会社の申告、3月に個人の申告があって、忙しい日々がようやく終わりました。
日常的に整理しておけばどうってことない作業を、ため込んでしまうがために、毎年苦労するのはわかってるんですけどね。
でも今年こそは、毎月帳簿整理して、きちんと仕事しよう、とつくづく思いました。
いつものごとくたまった領収証と新しく導入した経理ソフトの狭間で、なかなか本腰が入らず、100枚近くCDを用意して、ガンガン音楽をかけまくって外の世界から隔離されて集中して、もう間に合わないかも、という気分を吹き飛ばしながら、どうにか片づけました。
始めてしまえば、どうってことないのです。
書類を分類して、整理して貼って、仕訳しながら入力して、チェックして、決算書を作成する、というそれぞれの作業はさほど嫌いではないのですが、何事につけ始めるまでに時間がかかり、コンスタントに作業をこなすことが苦手です。
毎日の積み重ねが大切な英語などが苦手なのは、多分この性格のせいで、みんなに遺伝して苦労させて、子どもらゴメンよ、と思います。
そろばんで培った集中力がなければ、多分何もこなせないとは思いますが、こんなに早くできるなら、早く始めればたくさんの仕事がこなせるのに、とわかっていてもなかなか実行できません。
人生の敗因はこれだな、と反省はしてるんですけど。
先日テレビの「アンビリバボー」で、すごい親子を見ました。
全身マヒで生まれて来た男の子とお父さんの実話です。
ヘソの緒が巻き付いて生まれたため脳に損傷があり、全身マヒで知能の発達も望めないだろうと特殊施設へ預けることを勧められた赤ちゃんを、自分たちで普通の子と同じように育てようと決心した夫婦がいました。
手足も動かせず、声も出せず、何の反応もなかった男の子リックに、両親は毎日話しかけ続けていました。
ある日、父親ディックが目の前を通り過ぎると、それを目で追い、落ちたコップにびっくりして泣いたことで、リックは、耳も聞こえており、自分の意思もあることがわかり、両親は大喜びします。
それから、リックからの意思表示はなくても、いろいろな言葉を教えていきました。
ある大学で、頭の上下左右の動きで入力できる装置を研究していることを知ったディックは、5千ドルを寄付して研究の援助をします。
試作品が完成すると、リックは文章を入力し、ちゃんとコミュニケーションが取れることを証明しました。
一行を入力するのに10分もかかる作業でしたが、それで勉強ができるようになり、同年齢の子と同じ知的レベルであることを証明し、普通のハイスクールに通えるようになります。
友人の協力の元に、普通の子と同じように学校に通い勉強ができるようになると、リックは、自分が何かをできないかを考えるようになりました。
ある時、地元の大学のスポーツ選手が事故で全身マヒになり、その応援のための8キロのチャリティマラソンが開催されることになりました。
リックは、そのマラソンに出たいとディックに言いました。
同じ全身マヒになった選手のために何かしたい、というリックの意志を知って、ディックは車椅子を押してマラソンに出場することを決心します。
ディックはそのとき、運動不足で中年太りになりかけの38歳。マラソンの経験もありませんでした。
毎日、走る練習だけでなく、60キロ以上の車椅子とリックを押すための腕力を鍛え、二週間後、二人で8キロを完走します。
全身の筋肉痛でクタクタのディックでしたが、
「走っているとき、障害者だってこと忘れてたよ」
というリックの言葉に疲れも吹き飛びました。
そして、今度はフルマラソンに出たい、というリックの希望を叶えるため、車椅子を軽量化し、自分の身体を鍛え、各地のレースに出場するようになります。
息子のために日々努力してくれる父親に応えるように、リックは勉学に励み、名門ボストン大学に入学します。
そして父親のディックは、たるんでいた身体が鍛えられ、日増しにアスリート体型になっていきました。
マラソンを始めてから4年後、世界的なボストンマラソンの車椅子部門に申し込みました。
けれど車椅子部門は、自分で車椅子を動かせる人しか参加できません。
懸命に頼んでどうにか参加はできましたが、正式な出場ではありませんでした。
しかし、その2年後のボストンマラソンでは、一般部門での出場が認められました。
ディックは、車椅子を押しながらもタイムを伸ばし、リックと同じ20代男子の出場資格をクリアしていたのです。
アスリートとしての評価が高まってきたディックは、勲章が授与され、トライアスロンレースの招待選手に選ばれました。
それは、アスリートとして大変名誉なことでしたが、ディックだけ、ということだったので、それでは意味がないと出場を断ります。
するとリックは、トライアスロンに出たい、と言い出します。
水泳、自転車、マラソンという、とても過酷なレースです。
しかも、ディックはそのとき、ほとんど泳げませんでした。
とても無理そうなことに挑戦するときに、いつもリックが言ってくるのが、
「CAN」(できるよ)
それから5年後、49歳のディックとリックは、世界一過酷なトライアスロン、ハワイ・アイアンマンレースに出場します。
ゴムボートに乗せたリックを牽引しながら3.9キロを泳ぎ、前にリックが座れるカゴをつけた自転車で180.2キロを走り、車椅子を押しながら42.195キロのフルマラソンを完走しました。
その後もいろいろなレースに出ていた二人ですが、ディックが62歳のとき、レース直後に心筋梗塞で倒れます。
幸い処置が早かったため命に別状はありませんでしたが、医者から言われた言葉に驚きます。
「もし身体を鍛えていなかったら、50歳まで生きていられなかったでしょう。」
リックに言われてマラソンを始めていなければ、今まで生きていられなかったのです。
ディックは、66歳になった今でも、リックといろいろなレースに出ています。
リックは、猛勉強の末ボストン大学を卒業し、全身マヒを抱えた最初の学位取得者になりました。
そして45歳の今、大学のコンピュータ研究所で、障害者用の補助装置の研究をしています。
リックの一番の夢は、一回でいいから、お父さんを車椅子に乗せて押してあげること、だそうです。
普通に生活ができていると、普通であることが当然だと思い、感謝もしなければ、それ以上に頑張ろうとはなかなか思いません。
まして、毎日身体を酷使して、それを何年も続ける、ということは難しいでしょう。
すごい!と感動しても、子ども達に話して、共感し合うだけで終わってしまうところが、ダメ親子なんですけど。
でも、信じられないほどすごい偉業は達成できなくても、自分にももっと何かできるのでは、と思わせてくれません?
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
子どもと戦争の話をしてますか?
12月8日は、65年前太平洋戦争が始まった日でした。
子ども達と戦争の話をすることはありますか?
今の子ども達は、戦争体験者から直接戦争の話を聞くことができる最後の世代でしょう。
子ども時代に戦争を体験した人たちは60代後半、実際に戦地に行った経験者は、ほとんどが80歳以上になります。
思い出したくない事実も多いでしょうから、話したがらない方も多いでしょうが、機会があったら子ども達にはできるだけ聞いてほしいと思います。
私の父は、特攻隊の生き残りで、あと一ヶ月戦争が続いていたら出撃して死んでただろうという話です。
母は、東京大空襲の三日前に、荒川区から茨城に疎開しています。
どちらも、ほんのちょっとした幸運で生き残ったわけで、そのおかげで、三人の子どもが生まれ、五人の孫が存在しています。
父は、九人兄弟の末っ子で、年の離れたお兄さん達は優秀で、軍隊でも将校クラスにいたそうです。
戦争の状況も一般家庭より現実的に伝わっていて、日本が勝てる見込みがあるとは思っていなかったようです。
しかも、飛行機ごと人間が突っ込んでいくような作戦に参加していたのですから、先があるとは思えないでしょう。
志願した当時15〜16歳の旧制中学生で、終戦当時は18歳、今の高校生くらいです。
体育と美術が得意で、兄たちほど勉強の成績が良くなかった自分が偉くなるには志願していくしかない、と思ったのかもしれません。
徴兵の場合、どこに配属されるかわからないけれど、志願すると陸軍か海軍かが選べたそうです。
どうせ死ぬなら、地べたを這いずって苦しみながら死ぬより、空から一気に落ちて死んだ方がマシだ、という理由で海軍の航空部隊に志願したそうです。
一番若いくせに、志願していったため、徴兵で強制的に兵隊になったずっと年上の人たちが部下になった、と威張っていました。
とはいえ、仲間が次々と出撃していき、次は自分の番かと何度も死の覚悟をしながら、結局生き残ってしまった、というのは、ある種のトラウマとしてずっと残っていたようです。
戦争映画などを見ていて、「天皇陛下万歳」などと叫びながら突っ込んでいく場面を見ると、
「あんなこと言って死ぬ奴がいるか!みんな、お母さんって言いながら死んでいったんだ」
とよく話していました。
自分が志願すると母親に言うと、何も言わずに送り出してくれたから、偉いお母さんだった、という話もしていました。
そのたびに、
「馬鹿じゃないの。言えない時代だったからじゃない。どこの親が、子どもに守って欲しいと思うもんか」
と反論してました。
ディベートのようなことをさせたがる親でしたから、わざと子どもが反論するような発言をしたのかもしれません。
でも、自分は母親を守るために戦争に行ったんだ、という自慢話を聞かされるたびに、そんなの自己満足だろう、と思ってました。
親にとってはいくつになっても小さいと思える末っ子で、まだ十代半ばの子どもに、命をかけて守ってもらって生き延びて、何が嬉しいでしょう。
親なら、自分より子どもが先に死ぬほどの不幸はないでしょうし、いくつになっても、命をかけても守りたいと思うのが普通でしょう。
そんな普通のことも発言できない時代だったのです。
普通に考えれば、戦争をしたい人間なんているわけないと思えます。
けれど現実には、いつまでたっても戦争はなくなりません。
日本の経済成長も、よその国で起きた戦争のおかげであるように、戦争でお金儲けができるしくみがなくならない限り、戦争をしたい人達は確実に存在し、戦争はなくならないでしょう。
日本では、戦争が60年以上も過去の話となり、いまさら戦争なんて関係ないとも思えます。
でも、戦争をしたい人達が支持してる人がたくさん政治家となり、少しずつ国民の自由を奪っていき、いつのまにか管理され、戦争に巻き込まれていく可能性もあります。
それを実際体験した人達がいるわけで、同じ間違いをしないためにも、今の子ども達にもしっかり伝えていく必要があると思います。
戦争を扱った映画やテレビを親子で見て、いろんな話をしてもいいと思います。
親も子どもも、それぞれに自分で感じ、考えたことを話し合うことで、世の中の動きにも敏感になり、怪しい状況には間違っていると発言し、対処できる人間に育つのではないでしょうか。
今では、直接聞かせられなくなった父の戦争体験は、私から子ども達に話して聞かせています。それをさらに、友達や子どもに話していってくれるといいな、と思ってます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
イジメは、なくならない
イジメで子どもが自殺する、というのは、いつからこんなに増えたのでしょう。
昔からイジメはありましたし、これからもなくなることはないでしょう。
社会自体が差別だらけで、学校自体が排他的なのですから、なくなるわけがありません。
昔の方が、生活格差はもっと大きく、もっとひどいイジメもあったような気がします。
それでも、子どもが自殺する、というのは、めったになかったのではないでしょうか?
そもそも、「自殺」という発想が、子ども時代にはあまりなかったような気がします。
校長先生でさえ自殺するくらいですから、自殺という手段が非常に身近になってしまったのでしょうか?
自殺原因釈明の記者会見で、教師と教育委員会との溝はあきらかで、大人の世界自体にイジメ体質があるのを証明したような場面がありました。
中学・高校で一番熱心に行われているのが、勉強に関することより、頭髪チェックです。
長女が高校入学の時に、生まれつきクセっ毛であることを証明するために、小さい頃の写真を提出させられたのにはビックリしました。
髪や服装の乱れが不良の始まり、と学校側は信じてるようですが、それ以前に、乱れるような気分にさせる学校教育自体を改善すべきでしょう。
単一民族と信じ切っている、日本人的排他思想丸出しの教育方針こそ、なんとかしてほしい。
多民族の国で、クセっ毛や茶髪を取り締まりますか?
クセっ毛や茶髪などの生まれつきの個性を、ここまで堂々と差別する学校で、イジメがなくなるわけがありません。
うちの子ども達は、三人とも小学校前からメガネをかけていましたし、上二人はクセっ毛ですから、何もしなくてもイジメられる要素を持ち合わせてることになります。
ですから、そう簡単にイジメでくじけるようでは困るので、こんなこと言われたらどうする?などの問答を繰り返したりもしました。
でも、一番大事なのは、「みんなと違って何が悪い?」という考えを植え付けることです。
みんな別の人間なんだから、いろんな顔、いろんな格好、いろんな考えがあって当たり前。
なんで同じじゃなきゃいけないのか、ということを、誰に対しても言える人間になれれば、強くなれます。
けれど、この生き方は、さらに周囲から浮いてしまい、イジメの原因にもなり、孤立することも多々あります。
長女が小二のとき、クラス全員で、隣のクラスの女の子の一人をあからさまに避ける、というイジメがあったそうです。
それを人づてに聞いて、長女に聞くと、自分はやっていない、と言いました。
「それでも、それが変だと思ったら、やめようって言えなきゃ、共犯だよ」
と叱りました。
後日、その問題で保護者会があり、先生が、クラスでイジメに参加しなかったのは、うちの子だけだったと話されました。
長女が転校してきたとき親切にしてくれた、今でも仲の良いお友達が、みんなそんなことに参加してたなんて、ビックリしました。
長女は、年中ボーっとして別世界に行ってる子なので、みんながやっていることに気づかなかっただけかもしれません。
だけど気づいても、みんながやっているから、自分もやらなきゃ、という発想はないので、集団イジメには参加しないでしょう。
長女が中学に入った時は、体育の先生からいびられている、という情報が入りました。
本人は何も言わないので知らなかったのですが、お友達のお母さんが知らせてくれました。
入学準備のとき、体育の靴は学校指定がなく、本人も要らないと言うので、買いませんでした。けれど、他の生徒はほとんど同じ運動靴を履いていて、長女だけは普段履いている靴で体育を受けたことで、毎時間先生から怒られている、ということでした。
いくら貧乏だって、必要な物なら買ってあげるのに、何で?と聞くと、
「この靴は、小学校の終わりに買ってもらったばかりで、小学校では体育もこの靴で大丈夫だったし、まだ履けるから、新しい靴はいらない。先生にもそう言ったけど、わかってくれなかった」
と言い張るので、本人の意志を尊重し、履きつぶすまで履いてから、新しい靴を買いました。
おかげで、中一の間ずっと、体育の先生からは、にらまれていたようです。
「メガネザル」などと古臭い言葉を、今でも時々生徒が言っているのを聞きます。
どうするかな、と見ていると、
「そうだよ、メガネザルだよ」
などと軽くかわしているのを聞くと、よく言った、と思います。
そして、
「このメガネ、かわいいマークがあって、いいメガネだね〜」
と言うと、
「そうだよ。高かったんだよ。お母さんがいいメガネ買ってくれたんだ!」
と誇らしげに話してくれます。
親は、どう頑張っても、イジメを防ぐことも、直接守ってあげることもできません。
できるのは、イジメに立ち向かえるように育てることくらいです。
でも、みんながみんな、強くなれるわけでもありません。
何かあった時に、避難できる場所が必要です。
外で何があっても、家は、おもしろおかしく過ごせる避難場所でありたいですね。
下の二人は、妙に頑固ですが普段大人しかった長女に比べれば、ずっと活発でした。
誰とでも話せますし、長女と比べれば他人とも迎合しやすいので、社会的にはずっと楽に過ごせそうです。
それなのに、この二人、小学校から中学校にかけて、月に一度は休んでました。
微熱だ腹痛だ、と限りなくズルに近い休みです。
学校も先生も嫌いじゃないし、友達もたくさんいるけれど、定期的に休みたい病になります。
長男の小六の先生がとても良い先生で、
「そうやって、自分なりにストレスを調節してるんでしょう。あまり気にしないでいいですよ」
と言ってくださいました。
実家では、
「母親がいい加減で、学校には絶対行くものと、きちんと教えないのが悪い」
と言われてましたが、行きたくないなら仕方ないのでは、と思ってました。
今、イジメられても学校に行き続け、学校が世界のすべてになって、そこで見捨てられたら死ぬしかない、と思っている子ども達がたくさんいるのを知って、間違ってなかったのでは、と思います。
イジメで自殺を考えてる、全ての子ども達に言いたい。
行きたいか、行きたくないか、自分でちゃんと考えて、行きたくないなら、行かなくたっていいじゃない。
世界は、もっと広いんだから。
家と学校だけが、すべてじゃない。
まだまだ見ていない、知らない世界がたくさんあるんだから。
知らない世界を知らないまま死んじゃうなんて、損だよ。
つらいことだけで人生を終わったら、これから楽しいことがたくさんあるのに、もったいないよ。
自分の好きなことを見つけて、夢中になって楽しむのが人生なんだから。
自分以外の人間に、自分の人生をコントロールされるのだけは、絶対に拒否しなさい。
人生の主役は自分だけなんだから、脇役に翻弄されただけで幕を閉じるなんて、ありえない。
気にくわない脇役がいたら、場面を移せばいい。
脇役は消えるしかないんだから、主役は、好きなように活躍して、ハッピーエンド目指して人生を楽しめばいいんだよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
生きてくれさえすれば、いいんだよ
先週土曜の深夜、NHKで夜回り先生の特集番組の再放送を見ました。
以前にも別の局の番組で見たことがありましたが、壮絶な活動をしてらっしゃる方です。
長男のクリスマスプレゼントにあげた本(「夜回り先生」)も読んでみました。
ところどころに先生の生い立ちも書かれていて、一人で危険を冒してまで、病身に鞭打ってまで、他人の子どもたちのために尽くせる理由が、少しはわかりました。
夜回り先生(水谷修先生)は、大人たちのせいで夜の裏の世界に落とされ、暴走族、暴力団、薬物中毒、自傷行為、援助交際、売春などから抜け出せない子どもたちを、なんとか昼の明るい世界に引き戻そうとしています。
「イジメやってた」
「シンナーやってた」
「リストカットやってた」
「援助交際やってた」
「暴走族やってた」
「家に引きこもってた」
と告白し、本当は抜け出したいのにどうにもできない子ども達に、
「いいんだよ」
と一言、過去も現在も否定せず、ありのままの姿を受け入れます。
もがいても自分ではどうしようもなくて、苦しいから死にたいという子ども達に、
「それだけはダメだよ」
「今は、生きててくれるだけでいい。これからどうしたらいいか、一緒に考えよう。」
と説得し、話を聞きます。
児童相談所や薬物依存、性感染症のための病院の世話、安全に住む場所の確保など、様々な協力を要請しながら、危険な現状から、明るい世界での生活を目指させようします。
どんなに水谷先生や本人が頑張ろうとしても、裏の世界から抜け出すことは簡単ではなく、ほとんどが何度でも元に戻ってしまい、悲惨な結末を迎えることも多いそうです。
水谷先生自身、暴力団から指を詰めさせられています。組を抜けるために組長と交渉し、せっかく抜けられたのに、約束をやぶってつかまった少年の身代わりになったのです。
他人がこれだけ身体を張って子ども達を救おうとしているのに、身体を張って子どもを育てられない親が多いため、次々と苦しむ子どもが増えています。
身体的虐待や性的虐待をする、抹殺したいような親のせいばかりではありません。
一見何の問題もなさそうな、中流家庭以上の恵まれた環境でも、兄弟を激しく差別したり、子どもの悩みを無視したり体面を気にして隠したり、大人から見ればそのくらいのこと、と片付けてしまうことで、死ぬほど苦しんでいる子ども達もたくさんいます。
救いを求めた大人たちが、気付かなかったり、無視したり、逃げたりすることによって、さらに傷ついていきます。
二回見た夜回り先生の番組で、二回とも話された少女の話が壮絶でした。
少女は、ちょっとした興味本位から夜の集まりに参加した時に、集団暴行にあいました。
それで自分は汚れたと思い、将来が絶望的になり、それ以降もその犯人達とさらにその仲間から「雑巾」と呼ばれながら暴行され続け、ドラッグ購入のために売春もさせられ、ボロボロの状態で水谷先生に出会います。
薬物中毒と性感染症のために入院治療をさせようと思いましたが、エイズだとわかると、少女は男達への復讐のため、放浪の旅に出ます。
最初に見つかったエイズは、薬で抑えておける種類のもので、絶望することはないと説得したにもかかわらず、少女は行方不明になってしまいます。
しばらくして、何十人もの男性に(相手は気付いてないでしょうが)復讐して戻ってきた少女は、さらに深刻な別の種類のエイズを移されていて、治療は困難になっていました。
どんどん衰弱していくだけで、回復の見込みもなく、痛く苦しい毎日から救うには、一定量のモルヒネを打って、痛みをなくしつつ死を迎えさせるしかありませんでした。
モルヒネを打ち始めると、脳神経が麻痺するため意識がなくなります。
そのため、開始の前日に、やせ衰えて変色した顔に、精一杯のお化粧をしてもらい、お気に入りの服を着て、家族と水谷先生にお別れをしました。
両親も揃っていて兄弟もいる、普通の家庭の少女だったのです。
娘に、死に向かわせるための最後の別れをしなければならなかった両親の思いは、どんなだったでしょう。もっと早く気付いて、みんなで身体を張って救い出していれば、といくら後悔してもしきれないでしょう。
でも、それだけではありませんでした。
通常なら、何日かたつと自然に死を迎えられるはずが、いつまでたっても死ねません。
さらに、薬が切れると、意識がなくても激しい痛みにもだえ苦しみ、叫び続けます。
そんな拷問のような日々が何日も続いた後、ようやく息を引き取った少女に、
「死ねて良かったな」
とお父さんは声をかけたそうです。
水谷先生は、少女と約束をしていました。
「先生は、これからもいろんな所で講演するでしょう。そのとき、必ず私のことを話してほしい。こんな馬鹿な子がいたって。そしたら、同じ馬鹿なことをやってても、やめる子がいるかもしれないでしょ。」
夜の裏の世界は、はるか遠い世界ではありません。
ちょっとした興味本位、怖いもの見たさから、あっという間にはまっている子ども達が身の回りにたくさんいて、気付かないだけかもしれません。
罪悪感もなく、弱い子ども達を利用している大人たちも、たくさんいます。
社会が悪い、と他人のせいにして、子どもをストレス発散に利用する大人も、いくらでもいます。
そんな大人をなくすことは不可能でしょう。
でも、そんな大人にならないように気をつけることはできます。
夜回り先生のように、身体を張って夜の世界を見回り、知らない子ども達に声をかけて回る勇気はなくても、周囲の身近な子ども達の話を聞いてあげることなら誰にもできます。
最低限、自分の子どもの現状をまず受け入れ、これからの人生をどうしていくか、一緒に考えてあげることくらいはしなくてはなりませんね。
最低の成績をとってきては、これから真面目にやります、と言いながら何度でも裏切り、平気で大人をだまし、おちょくっているとしか思えないお調子者の娘でも、ゲンコで連打なんかしちゃダメで、あるがままの現状を受け入れ、見守るべきなんでしょうが・・・
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
自分が自分を大切に思わないでどうする!
次女が、お正月におばあちゃんと叔父ちゃんと歌舞伎を見に行って、帰りに浅草の「今半」ですき焼きを食べた、という話を最近になってしました。
「今半」といえば、「異人たちとの夏」という映画を見なきゃ!
というわけで、昔録画した200本余りの我が家のビデオライブラリーの中から見つけ出して、二人で見ました。(長女は、前に見たことあると言ってました)
主役は、ある程度仕事には成功してるが、離婚したばかりの脚本家(風間杜夫)。
仕事の取材中に立ち寄った浅草で、12歳の時に死に別れた両親に出会います。
まず、郷愁に満ちた音楽と共に、寄席で父親(片岡鶴太郎)に出会うシーンがいい。鶴太郎がすごく良い味の父親をやってて印象的です。
その父親が、母親(秋吉久美子)の待つ、昔ながらの質素なアパートに連れていきます。
脚本家が住んでいる広々としたマンションとは大違いの、お風呂もない1Kの部屋で、明るい両親に歓待されて、今まで突っ張って頑なに生きてきた脚本家が変わっていきます。
腕は良いけど仕事が長続きしない鮨職人の父親だから、生活は貧しかっただろうけど、12歳までは、こんなにとてつもなく明るい両親に育てられ、楽しかっただろうと想像できます。
それが突然両親が亡くなり、おばあさんやおじさんたちにちゃんと育ててもらったとはいえ、それまでとのギャップは大きく、無理して取り繕い、気を遣いながら、気むずかしい大人に育ってしまったようです。
両親に悪気はなかったけれど、異世界の人間に会い続けることは脚本家を消耗させ、一気に老化していることがわかり、両親と別れることにします。
12歳のとき最後に両親と行った「今半」でご馳走するよ、ということで、異世界のテリトリーからははずれているので、長くは存在できないお店に、両親は行くことにします。
両親は、12歳までしか育ててやれないで、大事なことを何も教えてやれなかったのに、りっぱに育って嬉しいよ、と繰り返します。
脚本家は、自分はお父さんみたいに良い父親になれなかったし、良い夫にもなれなかったし、ダメな人間なんだと言います。
すると父親が
「自分が自分を大切に思わないでどうするんだ!」
と言い、母親も
「そうだよ。私たちはおまえを誇りに思っているよ」
と言いながら消えていきます。
せっかく煮えたすき焼きを食べる間もありませんでした。
リストカットや援助交際や、自分を粗末にしている子どもがたくさんいますが、親は生きている限り、「自分で自分を大切にしなさい」ということと「親は子どもを大切に思っているし、誇りに思っているよ」と言い続けてあげたいですね。
大人になってからだって、いろんなつらいことがあって、自分はダメ人間ではとか、誰からも好かれないのではとか、絶望的な気分になることもあるでしょう。
でも、誰がなんと罵倒しようが、自分だけは自分を大切に思いたいですよね。
勉強そっちのけで映画を見させたりして親失格なのですが、親子でボロボロ泣きながら感動を共有するのも大切ではないかな、と思ってます。
映画に限らず、テレビドラマ、アニメ、コミック、小説と何でも、これ良かったよ〜と教え合ったり、一緒に見て感動したりできるのも、子どもが自立して巣立つまでのことです。
子ども時代にしか楽しめないものもたくさんあるので、親子で大いに楽しみたいですね。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)



最近のコメント