地下鉄(メトロ)に乗って

少し前に、テレビで映画版「地下鉄(メトロ)に乗って」を見て感動して、浅田次郎氏の原作を読みました。

地下鉄を通してタイムトラベルをするというSF的要素のある、親子の確執と恋愛の切ないお話です。
戦後一代で大企業を築いた横暴な父親に反発する主人公と不倫相手の女性が、地下鉄や夢を通して何度も戦時中と戦後の過去に運ばれ、過去で親の意外な姿を見せられます。
女性は、主人公が同居している母親と妻子を捨てられないことを悟っていて、淡泊な態度を取りながら何年も付き合ってきました。
過去を知り、二人が出会ってはいけない関係だったことを知ります。

その女性が、自分がお腹にいる、臨月の母親に質問します。
「私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私の愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら?」
その母親の答えは、
「親っていうのは、自分の幸せを子供に望んだりはしないものよ。そんなこと決まってるさ。好きな人を幸せにしてやりな」
その結果、
「ありがとう、おかあさん。ごめんね」
と言って、自分や自分の母親の幸せよりも、愛する人の幸せを最優先する道を選びます。

親子関係だろうと、男女関係だろうと、自分の欲や幸せよりも、どれだけ相手のことを考えられるか、というのが本当の愛情ですよね。

先日、母方の叔父が母の所に用事で来ることになりました。
叔父の孫に、うちの次女と同級生の優秀な女の子がいるのですが、
「また自慢されるよ。うちには自慢できるような優秀な孫がいないもんかね」
といつものように母は嘆きます。
幸か不幸か、大人の虚栄心の種になるような子どもは我が家にはいません。

それでも、劣悪な家庭環境に対する愚痴は一切言わず、
それぞれに好きなことを見つけ、生まれて良かったと思ってくれて、
家ではだらしなくても、外に出ればきちんと大人の対応ができているようだし、
お互いに無関心を装いながら、三人でにぎやかにしゃべってて仲良さそうだし、
親が死んでも、いざとなったら三人で助け合って生きていってくれそう、
というのが親としては自慢です。

親の方も、自分を犠牲にしてまで献身的に子育てしてきたわけではないので、
子どもに多くのことは望めません。
何も残せないけど、できるだけ子どもに頼らない自立した老後を目指すから、
子ども達にも親に頼らない自立した人生を望むばかりです。
できれば、多くの人と知り合い、損得抜きでつき合える関係を築き、
自分も他人も、常に楽しくさせることができる人間になってほしいと思ってます。

地下鉄(メトロ)に乗って (講談社文庫)

地下鉄(メトロ)に乗って―特別版

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夢中になれること

Inuyamajo_2 今年も、次女(高三)と毎年恒例の親子旅行に行って来ました。
(受験勉強中にもかかわらず)
次女の希望が「犬山城」だったので、ついでに近くの「明治村」にも行って明治時代の勉強もしてくることにしました。
(古代と戦国時代と幕末にしか興味のない次女は無関心でしたが)

犬山城は、小さいけれど、日本で数少ない天守閣まで現存する国宝級のお城だけあって、急な階段や部屋の造りまでリアルでした。
「小さっ!これ銀閣寺?」
とか言って親がからかっても、次女は感動しまくりでした。
「すごい!これって平城じゃなくて、平山城だよね?」(そんな専門的なこと知らないし)
「ここから石を落としたのかあ。本当に戦いに使ったって感じだよね。こんなお城欲しいなあ。」(まるでお城マニアのおじさんみたい)

一番の目的の犬山城巡りは初日にあっという間に終わり、親の目的の明治村に一日半を費やしました。
明治なんて好きじゃないけど、親に付き合ってやるか、程度についてきた次女は、ここでも感動しまくりでした。
小金井の江戸東京たてもの園で喜んでいた子ですから、その何十倍も古い建物があり、中にも解説付きで実際に入れたり、食事ができたりするのですから、喜ばないわけがありません。

夏目漱石、森鴎外、小泉八雲、幸田露伴などの文学者が住んだ純日本家屋、政治家の住居や公共の西洋風家屋、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルなど有名な建物以外にも、監獄など特殊な建物もたくさんありました。
次女が一番喜んだのが、昔の牢屋の中でお茶を飲めたことです。
お盆シーズンの特別イベントだったのですが、雑居房に二人だけ閉じ込められて、出るときは「ありがとうございました」ではなく「出所おめでとうございます」と言われました。
華麗な調度品に囲まれた西洋館ではなく、文学者達の執筆当時を再現した書斎でもなく、こんなところに喜ぶのがうちの子らしい。
(これでも史学科を目指してます)

何でも平均的にできる優秀な子ほど、好きなことが見つからないから進路が決まらないと聞きます。
うちみたいに歴史しか好きじゃないし、勉強もそれしかしない、と徹底してると迷いようもないのですが、どれも平均以上にできるけれど、これが好きだから徹底的に勉強する、ということがないと、勉強もつまらないものになります。

うちの子はアイドルにしか興味がない、ゲームばっかりやってる、マンガばかり読んでる、とよく言われますが、好きなものがあるなら止めてはダメです。
好きなことには、徹底的にのめり込ませれば良いと思います。
次女の歴史好きは親の影響というより(親は歴史や社会系が一番苦手です)、マンガやゲームの影響が大きいと思います。
マンガやゲームから興味を持って、本を読んだりネットを調べたり、どんどん興味を広げていくのです。
基本的に最低限の勉強さえやったら、あとは好きなことを思い切りやって良い、ということにすれば、いつか本当に好きなことが見つかると思うのです。
親の偏見で、そんなもの、と言って禁止したら、もしかしたら特殊な分野のパイオニアになったり、ものすごい専門家になる可能性をつぶしてるかもしれません。
そんな大成はしなくても、自分の好きなことがあって、夢中になれる人生ほど幸せなことはないと思います。

来年80歳になる母は、「千の風になって」のヒット以来秋川雅史の大ファンで、自分で何度も電話してコンサートのチケットを取った、と話してました。
誰もが、ビジュアル系追っかけの長女や、ロックバンドにはまってイギリスまで行った母親の源流は、祖母だったのか、と血筋を実感しました。
10年来乳癌やC型肝炎の治療を続けながらも、歌舞伎を見に行ったり、プリザーブドフラワーの講習に通ったり、老後を満喫してましたが、この年になって、ここまで音楽にはまるとは思いませんでした。(家にいると一日中同じCDがリピートされてます)

子どもに好きなものを見つけさせたいと思ったら、親が好きなことを見つけて夢中になって、その感動を子どもに伝えるのが一番です。
必ずしも直接的に効果が出るとは限りません。(勉強につなげようと露骨だと逆効果にもなります)
親がいろんな音楽を聴いてても、同じ曲に興味を持つとは限りませんが、音楽自体には興味を持つかもしれません。
感動した本や映画の話をしても、面白そうと言って話にのったり、実際に読んだり見たりするかどうかはわかりません。
(我が家の確率では、ほとんど3分の1です。)
それでも、長女と一緒にコンサートに行ったり、長男と海外ドラマに夢中になったり、次女と三国志のマニアックな話をしたり、と親子のコミュニケーションには困りません。

ただし、親が大人げなく夢中になることには、大抵の子どもは冷たい視線を向けてきます。
でも、子どもにとって親は「元気で留守がいい」という存在ですから、まったく気にすることはありません。
そのうち「まったくうちの親は」とあきれながらも、保護者的にあたたかく見守ってくれるはずです。

【明治村】

明治村ホームページ

【マンガで読む明治時代】


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『坊っちゃん』の時代(第3部) 【啄木日録】 かの蒼空に ―凛烈たり近代なお生彩あり明治人  アクションコミックス



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最悪の子育ての結末

『強育論』(宮本哲也著)に
「最悪の子育ての結末とは、親が子を殺す、子が親を殺す、です」
という文章があります。
最近頻発している「誰でも良かった」という動機の無差別殺人は、親を殺したいけど実行できずに殺意が他人に向けられた代償殺人、という説もあります。

子どもが犯罪をを犯したら、それはやはり最悪の子育ての結果だと思います。
二十代の若者が事件を起こすと、親がテレビで謝っている場面がありますが、
「もし俺が何かしても、もう成人なんだから親が出なくていいからな」
と息子は言います。
でも、二十歳過ぎてもまともな判断力も自己責任能力も身につけていないとしたら、親の責任以外のなにものでもないでしょう。

たった二十年で、的確な判断力、生活能力、社会適応力などを身につけさせて自立させるのは簡単ではありません。
実際我が家でも、扶養期限がとっくに過ぎているのに自活できず、微々たる生活費を入れるだけで好き勝手なことして居候している娘がいます。
親も、出来の悪い子に産んでしまった負い目があって、なかなか強力に追い出すこともできません。
なんとかまともな生活力が身に付くまではと、多少でも勉強意欲を見せている間は仕方ないか、と甘やかしてます。
本人も負い目があるので、主婦業の半分を請け負ってます。
(といっても、母親自身がろくな家事をしていないので、微々たる仕事ですが)
遅くとも24歳までには自立させることを目標に育ててきたのに、一人目はもう無理そうです。

先日の秋葉原の事件では、犯人がネット書き込みしたという言葉が印象的でした。
「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。親が周りに自慢したいから完璧に仕上げたわけだ」
親の過干渉の最悪の結末です。

私も、父親に対して一番むかついたのは、小学校5~6年の頃、図工の宿題を勝手に仕上げられたことです。
ロウの直方体で、人間の頭を彫るのが宿題でした。
美術が得意だった父は、不器用に彫刻刀を使っているのが見ていられず、
「ちょっと貸してみろ」
と言って取り上げて、やり方を教えてくれるだけならまだしも、目鼻立ちの整った頭蓋骨の形まで完璧な人間の顔なんかを彫ってしまいました。
モアイ像みたいに四角い頭部に目と鼻と口らしきものがついてれば上等なのに。
こんなの小学生の作品に見えない、学校に持っていけやしない、と必死に崩す作業をしましたが、翌日、美術の得意な同級生に
「おまえ、親に作ってもらっただろう」
と言われても何も言い返せず、とてもくやしい思いをしました。

親は、子どものためとか言いながら、結局は自己満足のために余計なことをしがちです。
そのせいで子どもがどれだけ苦労するかなんて、思いも及ばないのです。
子育てなんて、親の自己満足のかたまりです。
こうしてあげたい、ああなってほしい、自分がこうだったから子どもだけは、など親の欲求のままに子どもは育てられます。
でも、一番子どものためになることは、親は極力手を出さないことです。
その方が親の我慢が必要で、忍耐力を試されますが、子どもにとっては、自分で考え、判断し、行動することが、一番能力を伸ばせるのです。

とは言っても、『強育論』の作者のように、算数の難しい問題を、やり方も教えず、質問も受け付けず、ただひたすら考えさせるというのは、かなり優秀な子どもでないと実行は難しいでしょう。
うちの子ども達では、すぐに別世界にとんでしまい算数の問題などに真面目に取り組まず、あっという間にやめさせられそうです。
子どもにはそれぞれ向き不向きがあり、能力の違いがあり、発育の仕方や時期も違います。
同じ年齢でも、兄弟でも、比較するのはナンセンスです。
それぞれの子どもが、自分で自分の能力を伸ばし、活かしていけるようにするのが教育です。
そのためには、最低限の手助けをし、能力に合わせて徐々に手を離していき、自分でやらせていくことが必要だと思います。

今は、エリート校に入学しても、一流企業に就職しても、堅実な将来が約束されるわけではありません。
そのおかげで親が子どもにレールを敷きにくくなったのは、良い傾向です。
親は、子どもの能力と生きる力を信じて、過干渉にならないように気を付け、極力手をかけないようにすべきです。
子どもは、親が思っている以上にいろんな能力を持っていますが、親が関わっている限り能力を発揮できません。
親は、子どもの成長と共に、子育ての時間を仕事や趣味の時間に移行させ、子どもだけの時間を増やすことです。

といっても、贅沢な個室を与え、引きこもりが可能な環境を提供することはありません。
自分の自由になる個室が欲しければ、自分で稼いだ収入で払える部屋を借りて独立すれば良いのです。
親と一緒に住む限りは、完全な自由はなくて当然だし、親兄弟との共同生活における最低限のルールを守る必要があります。

もっとも、環境に恵まれなければさっさと自立してくれるかと思えば、そう期待通りにはいきません。
男女混合の狭い子ども部屋で、夕方はたくさんの子ども達が出入りする教室になってて共同スペースは使えないという、うちみたいな最低な環境にあっても、早く独立したいと思わない子がいますからねえ。

強育論-The art of teaching without teaching-

強育論
  • 強育論
  • 著者:宮本哲也
  • 価格:1470円(税込)

【目次】

第一章 賢い子育て 愚かな子育て

最悪の子育ての結末とは?
優秀児の壊れ方
ゆとり教育の「ゆとり」とはゆとり返済の「ゆとり」と同じ
中学入試を子どもの自立に「活用」する

第二章 自立を見守るまともな母親 自立を阻む有害な母親

追い風には乗れない
誰のための学習か?
わが子をよその子と比べるということは……
弱虫ママの負け犬語録集
優しさより強さを
心の傷 身体の傷

第三章 学習に王道はあるか?  

学問の王道
学習は本能である
効率的で無駄のない勉強法?
楽は得か?
筋力と学力

第四章 頭のよくなる学習法 悪くなる学習法

中学入試とワールドカップ
努力はつらいのか?
生きるための学力
善意は正義か?

付録 実践 試行錯誤型学習と手順暗記型学習

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オーディオブック

最近、オーディオブックにはまっています。
勝間和代さんの著書を数冊読んだ影響と、自分の新しい携帯にオーディオプレイヤーの機能があることに気づいて試してから、携帯を常にポケットに入れてます。

以前から、いろいろな学習法の本でオーディオブックを勧めてましたが、日本語のものが少ないせいか、英語のものを勧めるものが多かったので敬遠していました。
視覚情報がないと生徒の名前を覚えるのも大変なのに、耳から聞いた情報なんて残るはずない、という先入観も強く、実践していませんでした。

それでも、次女の勉強には良いだろうと勧めようと思っていたら、先に、ICレコーダーが欲しい、とねだられました。塾の英語の先生から、授業を録音して繰り返し聞きなさい、と勧められたそうです。
それで、かなり早いお誕生日プレゼントとして買ってあげたのですが、選んでいるうちに自分でも欲しくなってきました。
その場は我慢して、iPodにダウンロードして試したりしましたが、画面がない小さなタイプなので好きな作品が選べません。好きな音楽と本が混在していれば、つい音楽の方を聴いてしまいます。

そういえば今の携帯なら音楽を聴けるのでは、と調べてみると、WMPという機能がついていて、ネットからダウンロードしたオーディオブックも保存して聞けました。
今まで読みたいと思って買ったまま放っておいた新書本が、ネットでいろいろダウンロードできました。
薄い新書本でも数時間のものがあり、目で読んだ方が早いのでは、とも思いましたが、とんでもない。一日で一冊以上聴くことができました。

小説なら分厚くても熱中してすぐ読めますが、ビジネス本だと薄くてもなかなか読み進められないことがあります。特に、マンガや小説でさえ読むのが遅いと子どもたちから馬鹿にされているので、自分で読んだら一週間はかかる本でも、家事や移動や打ち合わせの待ち時間だけで一冊終わりました。

中には図や表など視覚的に見ないとわからない内容もありますが、主な内容は十分つかめて、本だと途中興味のない退屈なところで挫折するかもしれない部分も、さらっと流せるので、自分に必要なところだけ最後まで聞けます。
耳からの情報を覚えておくことに自信がなかったのですが、目で読んでも100%残っていることなどなく、印象に残った部分だけが定着するわけで、耳で聞いても印象に残る部分はあるのだから、その点は変わりません。
しかも、何度も読むことはなかなか難しくても、何度も聞くことは簡単にできます。

日本語のオーディオブックはまだ種類が少なく、最近のものではビジネスやスキルアップ関連に偏っているようですが、文学作品などでは、良い声の俳優さんや声優さんが吹き込んでいるものもあります。
小説などは、遅いと言われようが自分のペースでゆったり読みたいと思ってましたが、プロが読む世界を味わうのも良いかな、とも思い始めました。

成功している人たちの本を読むと、速読術を身に付けていて読書量もすごいのですが、みんなオーディオブックを活用しているな、と思っていました。どんなに忙しくても家事や移動などの時間は毎日あるわけで、その時間を無駄にしていないのですね。

それにしても、日本の駅ってうるさいなあ、と実感しました。
「左側を歩け」「エスカレーターは気をつけて乗るように」「白線の内側に立て」「もうすぐ電車が来る」など、同時に何重にも放送が流れてきます。
イヤフォンで聞いていても何も聞こえなくなります。
外国から来た人たちがびっくりして、大きなお世話だと言う気持ちがよくわかりました。

もっとも、駅でオーディオブックを聞いていて一番困るのは、つい笑ってしまいそうになって我慢するのが大変な時ですけど。

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読書の環境

子どもを本好きにしたい、とは多くの親が思うことでしょう。
とりあえず、手近に本があって、小さな時は親が本を読んであげること、大きくなったら親が本を読む姿を見せること、などは必要かと思います。

そうはいっても、同じ環境に育っても同じように育つとは限りません。
次女はかなり本好きで、長女も海外の文学なら読みますが、長男はライトノベルくらいしか読みません。
それでは、次女に一番本を読んであげたかというと、そうでもありません。
次女の小さい頃は、いろいろと忙しい時期で、夜になると親の方が眠くなってしまいます。読みながら半分寝ぼけてデタラメを読むので、年中子ども達から訂正されていました。
まあ、それで親は頼りにならない、と自分で読むようになったのかもしれません。

我が家には、昔実家が本屋だったおかげで、ちょっとした本屋が開けるほど本はあります。(全部読んだの?と言われると積ん読の方が多いのですが)
文庫なら日本文学、西洋文学、古典までいろいろ揃ってます。
それなのに、そのほとんどは誰も読んでくれません。

たまに、話の流れで、こんな本があってね、などと話すと興味を持ってくれます。
カフカの「変身」などは、マンガやいろんなところにパロディとして使われていたりして、元ネタはカフカだよ、なんて話すと、長女などは飛びつきます。

先日は、次女と国語の話をしていて、それにしても夭折の作家って二十年くらいの人生で普通の人の一生分の体験をするのかね、という話になり、ラディゲの話をしました。
「肉体の悪魔」なんて、十代の子が書いたとは思えないよ、なんて話をしたら、下ネタ好きの親父ギャルは俄然興味を示します。
親がそんな本読ませて良いのか、という批判は気にしません。(次女が「蛇とピアス」を友達に貸したら、なんて本貸してくれるのよ、と驚くようなお堅い親じゃないもので。)
多少際どい描写があっても、それを上回る感動があれば、ぜひ読ませたいとも思います。
しかも、同年代の17歳くらいで書いている作品であれば、文学部などで多少でも小説らしきものを書いている次女にとっては、相当な刺激になるでしょう。

普段から、興味を持ったら読んでほしいと思い、読んだ本は食卓近くに置いておきます。
(特に、勉強法などの本は、次女に読ませたいと思いつつ)
先日ご紹介した「脳を活かす勉強法」の本も、消えていたので、次女が読んでくれたか、と思ったら、珍しく長男が読んでいました。
マンガなら、少年マンガ青年マンガから、少女マンガまで制覇する長男で、ライトノベルは読んでも文学書などはほとんど読まず、ベストセラーにも興味がありません。親としてもあまり期待していなかったので、ちょっとびっくりしました。

そろそろ勉強しようかなと思って、それには効率的にやった方がいいかな、と読んでみたそうです。(大学の二年間は何やってきたんだか・・・)
自分がやってる方法が結構あって、それが科学的に解説されてて面白かったそうです。

初めて、本のある環境は必要なんだ、と実感しました。
自分は、あんなに本に囲まれた贅沢な環境に育ちながら、マンガばかり読んでまともな本は少ししか読まず、なんてもったいないことをしてたんだろう、とつくづく後悔してます。
それでも、本の知識だけは人並みに持てて、子ども達に多少は教えることができただけでも無駄ではなかったのでしょう。

本をたくさん読んだからって偉くなれるのか、成功できるのか、と聞かれると、定かではありません。
だけど、成功している人のほとんどは、確実に大量の本を何度も読んでいますし、読書は必要条件であることは確かだと思います。
そのうえで大量の行動を起こさなければ、十分ではないのでしょう。

でも読書は、いろんな世界を体験でき、感動できるってことだけで価値があるでしょう。
せっかく、読もうと思えばいくらでも本が手に入り、小さい頃から働かなければならないとか戦わねばならない、などの過酷な環境でもない日本にいるのです。
毎日10分でも15分でも時間があれば、本は読めます。
たくさんの子ども達が、たくさんの感動を味わってほしいなと思います。

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鈍感力

鈍感力

今年の流行語大賞のトップ10にも入った渡辺淳一の『鈍感力』。
繊細できめ細やかな神経が尊重される日本では、図太く打たれ強い鈍感な人間は肩身が狭いのですが、鈍感な方が、どんな世界でも何をするのでも良い結果をもたらすという、鈍感な人間には嬉しい本です。

子育てだって、鈍感な方が楽で楽しくやれると思いませんか?
優秀な子どもが親の期待通りに育つなんて、そうそうありません。
きちんと早寝早起きの習慣をつけて、賢くなる食事に気をつけて、様々な能力を伸ばせる住環境を整え、ふんだんに教育費をかけられる経済力を持ち、最大限の努力で子どもの世話をして、優秀な子に育てていらっしゃる方もいるでしょう。
でも、どこの親もみんな同じようにできるわけもなく、する必要もないでしょう。
よその家庭を気にしたり、他の子どもと比較したり、成長に一喜一憂しても仕方ありません。
子どもの逞しい鈍感力を引き出し、親も神経質にならずに気楽につき合っていきたいものです。

親は、自分自身が好きな道を進み、やりたいことをして、楽しく生きている姿を見せることが一番の教育でしょう。
子どもにも、いろんなことをさせ、好きなことを見つけて夢中になれる環境を整え、自分の能力を伸ばし、活かす方法を身につけさせることです。
そのためには、テレビも映画もゲームもマンガも遊びも、年齢によってある程度親が管理しながら、やりたいことをやらせても良いのではないでしょうか?
親の趣味や好みでダメと決めつけたり、子どもがやりたくもないものをやらせたり、親の思い通りに育てようとしても、そううまくいくとは思えません。

先日、甥と次女と三人で本屋さんに行きました。
「誕生日のプレゼントを買ってあげるから、何でも好きな物を選んでいいよ」と言っても、甥はなかなか欲しい物を言いません。(うちの子ども達ならここぞとばかりに、親には絶対に買ってもらえない物を選ぶでしょう)
一緒にいた次女が
「これが欲しいんじゃない?」
と手に取ったのは、マイクで駅員さんのマネができる、いろんな音の出る電車の絵本です。
何度もその本の前をウロウロし、手に取り、滞留時間が長いので、きっとその本だろうと思ったそうです。
「どうせお母さんいないんだし、何でも選んでいいんだよ」と言っても、
「でも、お母さんがダメって言うし・・・」
確かに、まだ小一とはいえ、あまりに幼い選択ですし、多分似たような本も持ってるでしょうから、怒られそうです。でも、甥は電車が大好きで、似た本でも同じでなければ欲しくなるのもわかります。
「それじゃあ、お勉強もできる物と一緒に買ってあげる。それなら大丈夫だよ」
と言って、日本地図のパズルゲームを組み合わせてプレゼントしました。
甥はニコニコ顔でした。

教育的指導も良いけれど、ほどほどにしないと、大人の顔色をうかがう神経質な子どもに育ってしまいます。
親に時間的、経済的余裕があると、子どもの教育に熱が入り過ぎ、いろいろな習い事をさせたり塾に通わせたり、子どもの意思とは関係なく子どもの時間を奪ってしまうこともあります。
それでも、小さい子どもほど文句を言いませんし、親の期待に応えようとします。
親が好きなことを好きと言ってみたり、親を喜ばせようと一生懸命です。
でも、そういう子どもの気遣いには敏感でありたいものです。子どもの鈍感力をどんどん失わせてしまうからです。
親は、全精力を子どもにかけるなんて有り難迷惑なことをやめ、もっと鈍感に大らかに、子どもと一緒の時間を楽しんだらどうでしょう。

「これから全世界に羽ばたき、新しい時代を切り拓いていこうと思う人は、まず自らの鈍感力を確かめ、あると思う人はそれを大切に、ないと思う人はそれを養うよう、さまざまな環境にとび込み、鍛えるべきです。
そしてそのためには、なにごとにも神経質にならず、いい意味で、すべてに鈍感で、なにごとにも好奇心を抱いて向かっていくことです」(『鈍感力』より)

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お金の教育~一生お金に困らない子に育つ本

6歳からのお金入門

お小遣いをいつから与えるか、子どものお金の管理をどうするか、ということから、親子で経済についてどう学んでいくか、ということまで丁寧に説明されている本です。
親でさえ家計簿が続かないのに、子どもにお小遣い帳をつけさせるのは難しいし、親戚の家に行くたびに余分なお小遣いをもらって、親は管理しきれないし、と子育て中に子どものお金で悩むことは多いものです。
そんな悩みの参考になると思います。

日本では、子どもにお金の話はタブー、という風潮がありました。
現在でも、早期教育で二桁、三桁の計算は教えても、お金の数え方は教えていない、という家庭もあります。

そろばんでは、そろばんの珠をお金で置き換えると説明が簡単なのですが、一円が五個で五円、十個で十円などの感覚がわからない場合、お金の説明から始めたりします。
どうせ計算を教えるなら、簡単な買い物をさせてお釣りの計算をさせたり、お金の数え方から教えてほしいと思うことがあります。

また、早期教育で計算を覚えた子の中には、数字の変換だけが素早く、数をイメージでとらえることができない場合があります。
そうすると、目で見て手で動かすそろばんの計算になかなか慣れないことになります。
当然お金の両替の感覚もなく、お買い物でお釣りがいくらか、という計算もできず、実生活には使えない計算力となっています。

親が自営業の場合は、物を仕入れて売ったり、技術やサービスでお金をもらうという収入の流れ、事業を運営していくために資金を貯めたり、借金をしたり、帳簿をつけたりというお金の運用管理などを身近にみることができます。
時には子どもも直接手伝い、経済活動に参加する機会もあります。

ところがサラリーマン家庭では、労働の現場も見えず、お給料も銀行振込で、給料明細も紙ではなくネットで確認という時代になっています。
さらに通信販売で物を選び、カードで支払い、銀行から引き落とされる、というようにお金の動きが昔以上に見えにくくなっています。

そんな中でお金の価値をきちんと教え、お金を得るためにはどうするか、苦労して得たお金をどう使うか、ということは、子どものうちから身を持って学ぶ必要があると思います。

何年か前にベストセラーになった「金持ち父さん貧乏父さん」では、小学生の頃から働いてお金を稼ぐ経験をさせ、ゲームの「モノポリー」で経済教育をする、ということが書かれていました。

DSのゲームで「おいでよ どうぶつの森」というのがありますが、これもちょっとした経済の流れを経験できます。
よくあるゲームのように、戦いに勝ったり、宝物を探すことでお金をもらうのではなく、果物を育てて収穫したり、虫や魚を捕ったりして、それを売らないとお金になりません。
長く続けると、事業家のタヌキや博物館のフクロウ、喫茶店のハトからいろんな苦労話が聞けるのですが、子どもにわかるかなあ、というような愚痴や経営のしくみが含まれていたりします。

物があふれ、贅沢させようと思えばいくらでも贅沢させられる世の中ですが、本当に欲しい物は何かを見極め、手に入れるまでの苦労を味わい、時間をかけてやっと手に入れた時の喜びを知り、手に入れた物をいつまでも大切にする、という姿勢を身に付けてほしいものです。
親のようにお金に苦労することなく、お金に振り回されることなく、人生を楽しく有意義に過ごすためにはどうしたらよいか、という観点からお金について学んでほしいと思います。
そのためには、親も家計を見直し、経済について学ぶ必要があるのですが。

金持ち父さん貧乏父さん

THE BEST タカラモノ DXモノポリー

おいでよ どうぶつの森

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それぞれ、違っていていいんだよ



だから、僕は学校へ行く!



五体不満足

『五体不満足』の乙武洋匡さんが、今年の四月から小学校の先生になったそうです。
『だから、僕は学校へ行く!』では、スポーツライターから教師を目指すまでの経緯、世界中の学校を巡った体験、「新宿区子どもの生き方パートナー」として、新宿区の小中学校を巡った体験、二十代最後の一年間に通信教育で教職課程を取得した体験などが書かれています。
そこには、自分が体験した教育を振り返りながら、現在の様々な教育の問題が提示されています。
「ゆとり教育」「危機管理」「体罰」「セクハラ」「地域格差」「学力低下」「多国籍化」「障害児教育」「いじめ」「不登校」などの問題を、実際の教育現場で見て、現場から離れたところで、具体的に何も行動してない人達が教育問題を討議していることの無意味さを感じていきます。

体罰の問題。
いじめっ子だった乙武少年は、ほかの仲間同様に、車椅子から弾き飛ばされるほどのビンタを先生からもらい、初めていじめた女の子の気持ちがわかった、と言います。
でも今は体罰がまったくなく、忘れ物をしても、いじめをしても、大した叱られ方をしてないことに疑問を持ちます。

体罰は、戦時中の学校令から禁止されていてたのが、保護者の意識の違いから、現在のような絶対禁止という状況になったのでしょう。
私自身、中学などで見てきた体罰に納得のいくものは一つもなかったので、他人である教師が体罰をすることには無理があると思います。
だからといって、何をやっても許されるという環境は、決して子どもに良いとも思えません。
言ってもわからなければ、身を以ってわからせる必要もあるでしょう。
物は使わず自分の手を使って、叩いた方も痛みを感じること、耳や顔、背中など、後遺症が残る危険性がある場所は避けることなど、最低限のルールは守ることが絶対条件ですが。
いけないことは絶対いけない、ということを、熱意を持って体を張ってわからせることも時には必要であり、その役目は、今や親しか果たせないのです。
親子のコミュニケーションも取れず、体を張って子どもに向かえない親は、自分の保身しか考えてないと子どもから見透かされることになるでしょう。

障害児教育の問題。
ご自身は、周囲の人々の協力で、当然のように公立の普通学校で小、中、高と過ごされて、厳しくもあたたかい先生方に恵まれて、将来を見据えた教育を受けられたそうです。
ある小学校の運動会で、脳性マヒの女の子が、みんなの協力で競技に参加する姿を見て、涙が流れてしかたなかったそうです。
自分が子どもの頃、同じように運動会で大人たちが勝手に泣いているのを見て、腹が立ってしょうがなかったから、なんとか我慢しようと思っても無理でした。
重度障害者の自分が、何の疑問もなく学校に通い、遠足に行き、プールに入り、運動会に参加できた背景には、両親、先生、地域の大人たちが、どれだけアイデアを出し合い、協力してくれたかがわかり、その苦労と当時の自分を振り返ると、涙が止まらなかったそうです。

この方も、先生になるべくしてなった、という気がします。
自分が教師になった場合、生徒を守るどころか生徒に助けてもらうことが多いだろう、体育の指導はどうするか、災害が起きた場合どうするか、など様々な困難や不安がありました。
それらを補助教員や最新設備でフォローしてもらい、杉並区の公立小学校の先生に採用されました。
生徒や周囲の教職員へ迷惑をかけながら、教師として自分だからこそ与えられるものは何か?
あきらかに他人とは違う形で生まれてきたことで、「それぞれ、違っていいんだよ」ということを身を以て子どもたちに伝えたい。
それを実際の教育現場で実践するために、小学校の先生への道を選びました。

イタリアのナポリの学校を取材したときの話も素敵でした。
ナポリは、風光明媚な観光地ですが、マフィアの巣窟ともいわれ、学校も授業にならない騒ぎがあったり大変です。
学校からはみだした子ども達は、マフィアの予備軍となりやすいので、なんとか学校に呼び戻そうと先生方は必死です。
乱暴な子どもにも、身体を張って向かっていき、何度問題を起こしても見放しません。
「信頼して待つこと」がここの先生方の信条です。
教育の基本だと思います。

親は子どもが心配で、口を出したり、先回りしたり、先走ったりしてしまいがちです。
なかなか子どもを信頼して待つ、ということができません。
「時間間に合うの?」「忘れ物ない?」「ちゃんと勉強してるの?」「さっさとしなさい」「さっさと寝なさい」と、頼りない子どもの顔を見ると何か言いたくなってしまいます。
信頼しろって言われても、放っておいたらどうなるか・・・
いつまで待ったら成長してくれるのやら・・・
何度失敗しても反省しないし・・・

でも、口出ししても成長するわけじゃなし、結局は自分で気づいて、自分でなんとかする意志が生まれない限り無理なんですよね。
そろばん教室では、できる限り「待つ」という姿勢でやっていますが、自分の子となると難しい。
「待つ」というよりは「放任」(見ないようにしてるだけ)状態。
「信用」もおけない子どもに「信頼」はさらに難しい。
だけど、親が頼りなくて、子どもを頼ると、しっかりしてくれる面も出てきますけどね。

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オール1でいじめられっ子だった数学の先生

オール1の落ちこぼれ、教師になる



未来のきみが待つ場所へ 先生はいじめられっ子だった

先日、「徹子の部屋」にも出演されていましたが、23歳で小学二年生の勉強からやり直し、定時制高校に進学し、国立の名古屋大学に合格して大学院まで進み、母校の定時制高校で数学の先生になった方の話です。

小学二年の頃から中学までずっといじめられ続け、自殺未遂までする環境の中、両親も先生も助けにならないことを知り、ずっと耐えるだけの子ども時代。
成績はずっとオール1で、23歳まで、漢字は自分の名前しか書けず、九九は二の段しか言えず、英語はbookしか知らないという学習レベル。
当然高校には進学できず、専門学校から大工見習いとなっても、暴力的な扱いを受けるような職場環境。
しかも、ずっと貧しく、両親の夫婦喧嘩が絶えない家庭環境で、さらに16歳で母親、18歳で父親を亡くし、天涯孤独の身の上。

このような過酷な身の上から、新しい職場で親身になってくれる上司に出会い、今の奥さんに出会い、TVでアインシュタインを知ったことで、物理に興味を持ち、知的好奇心を育てていきます。
物理の勉強をしてみたい、という一心から、小学校低学年の算数ドリルから勉強を始め、高校三年の模擬試験では数学の成績が県内一番にまでなります。

一つのきっかけは、イジメに対抗するために始めた少林寺拳法。
イジメに対しては結局利用できなかったものの、目標を持って練習を重ねた結果、県代表の選手にまでなれたそうです。
そこで、目標を持って努力することの大切さを学んでいます。

そして、少林寺拳法を通して知り合った女性は、国立大出で、九九も知らないと知った時点で別れようとも思ったそうですが、未知の可能性を信じてくれました。
アインシュタインの番組をビデオで見せて知的好奇心を引き出してくれ、勉強を始めると、定時制高校への進学を勧め、今に至る道筋に導いてくれています。

大学院にまで進んだのですから、研究者になりたいという希望もあったのでしょう。
でも、自分にはもっとできることがあるのではないか、と思い直します。
勉強がまったくできない子の気持ちがわかり、どうやったらできるようになるかも知っています。
恵まれない家庭環境のつらさも知っています。
イジメたりイジメられたりする子の気持ちもわかり、どう解決すべきかも一緒に考えられます。
現在に至る自分を助けてくれた人達への恩返しの意味からも、昔の自分と同じ立場の子ども達を救うべきでは、ということで先生になる道を選びます。

小さい頃から優秀な人より、挫折を知っている人、わからないということがどういうことか知っている人、どうやったらわかるようになるかを知っている人こそ、先生になって欲しいものです。
家庭環境に恵まれなかったり、イジメられたり、つらい経験をたくさんして乗り越えてきた人こそ、先生になってほしいものです。

優秀な両親、恵まれた環境があってこそ、優秀な人間が育つと信じ、親がバカなら子どももどうしようもない、家庭が悪いんだから子どもが良くなるわけがない、という偏見を持っている人は、子どもを教えるべきではないでしょう。
親と子どもは別の人間だし、子どもは子どもなりの可能性があり、どんな環境にあっても、その能力を伸ばす権利があります。
目標を持って頑張れば、個人差はあっても、今以上の進歩は確実にあるはずだし、それぞれの能力を伸ばしてあげる熱意がない人は、教師をやめるべきです。

最近、次女の英語能力が低いのは親の遺伝と言われ、どうやって勉強したらいいか聞くなんて愚問だよ、と言われ、自分も子どもも優秀で英語の勉強で困ったことがない人は、できない子を教えることは無理なんだな、と気づかされました。
母親が優秀でなければ子どもが優秀に育つことは無理、という持論の元では、うちの子の可能性は否定されてしまいます。
能力以上にしてくれと言ってるわけではなく、勉強の面白さを教え、うちの子なりの能力を引き出してくれればいいと思っていたんですけどね。

確かに私は英語が苦手で、受験も英語で失敗してるけど、もし今から英語をマスターできたら、優秀な英語教師になれるんじゃないかと思ってしまいました。
英語が日本語とは別物だということを本当に理解することの難しさ、単語を覚えたり、文型を覚えることの大変さがわかっていますし、何より毎日コツコツ継続して積み重ねていく勉強が苦手ですから、怠け者でも身につけられる英語の勉強法が見つかれば、英語で困っている子ども達に伝授できるのに・・・
(っていう親の怠慢さをしっかり受け継いでることが、子ども達の不幸の始まりなんだろうな)

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子どものためのルールブック


みんなのためのルールブック ―あたりまえだけど、とても大切なこと」(子ども向け)
ロン・クラーク (著), 亀井 よし子 (翻訳)



あたりまえだけど、とても大切なこと―子どものためのルールブック
ロン クラーク (著), Ron Clark (原著), 亀井 よし子 (翻訳)



親と教師にとって、すごく大切なこと
ロン・クラーク (著), 松本 剛史

今年小学校入学の甥に、一番上の「みんなのためのルールブック」、母親である妹に「あたりまえだけど、とても大切なこと」という本をあげました。
全部守るのは大変だけど、「我が家のルール」を作るうえで参考になるでしょう。

この本は、28歳で「全米最優秀教師賞」を受賞した小学校の先生が書かれた本で、教室で子ども達に守って欲しいことを、いかに自主的に守らせるか、ということに工夫した、子どものためのルールをまとめたものです。
アーノルド・シュワルツェネッガーが「キンダーガートン・コップ」(刑事が教師に化けて、幼稚園で張り込むというコミカルなサスペンス)という映画で、幼稚園児を統制するのに軍隊式のやり方を取り入れてましたが、あんな強圧的な方法ではなく、何故このルールが必要なのか、を一つひとつ説明し、納得させながら、自分から守るようにさせていくのです。

ルールを守らせるには、例外を作らない、ということが大切です。
うちでは、買わないと言ったら絶対買わない、ということだけは子ども達にもよくわかっているので、オモチャの前でひっくり返ってダダをこねる、ということはありませんでした。
(もっともこのルールだけは、そんな余裕がないのだから、我が家の実情をわからせ、贅沢させないために絶対守らせる必要があり、子どもの方もわかってしまえば無駄なことをしないだけですが)
「今日だけよ」などと例外を一度作ると、子どもは絶対そこにつけいり、どうやったら親に「今日だけよ」と言わせるか、ということに全勢力をかけてきます。
ダメなことは絶対ダメ、ということは、親の方が徹底しないといけないのです。
子どもの方も、何度チャレンジしてわがまま言っても無駄、とわかればあきらめます。

この先生は、そのような飴とムチの原理を徹底的に守り、時には涙をのんで例外を作らないように頑張っています。
その成果はものすごいもので、何十人もの生徒全員が本当にこんなにルールを守り、宿題を毎日きちんとしてくるようになるんだ、と感心します。
また、やらねばならない規律ばかりでなく、前向きに生きるにはどうするか、みんなと楽しく過ごすにはどうするか、という生き方のルールも忘れないところが好感が持てます。

うちの場合、やらねばならないことをやる、というのが一番苦手です。
親が苦手なもので、子どもにも強力に守らせることができない、というのが実情です。
やりたいことより、真っ先にやるべきことから片づけるべきなのに、ダラダラと過ごしてギリギリになってあわてる、というのが親子共々悪い癖です。

それでも、親に頼らず生きていけるようにする、というのが最低限のルールですから、親がいなければ、炊事、洗濯と、掃除以外は三人が各自分担してこなしています。
金銭面でも長女はそろそろタイムリミットで完全自立をしてほしいところですが、一番学費がかかっていない分甘やかしてしまい、いまだパラサイトのままですが。

それと大事なことは、自分の身は自分で守るということ。
どんなに心配でも、親が四六時中子どもを守ることはできないのですから、自分の身を守る能力を磨いてほしいと思っています。危険な場所は避ける、危険を感じたら逃げる、助けを求める、何とかして助かる道を探す、という生命力が備わっていて欲しいと思います。

先日、電車の中で、21歳の女性が中年男性にトイレに連れ込まれ暴行されたのに、乗客は誰も不審に思わないか、思っても乗務員に連絡をしなかった、という事件がありました。
殺すぞと脅されて声も出せなくなってた女性も、かわいそうですが、言いたいことをはっきり言えるようにもっと教育されていれば、勇気を持って逃げられたかもしれません。
それにしても、脅されながら嫌がる女性をトイレまで連れて行く道すがら、見て見ぬフリをした乗客は、半分共犯者ではないでしょうか。
イジメを見ていて、止められなかったらイジメているのと同じ共犯者だと教えていますが、まったく大人達が同じようなことをやっているのですから、子どものイジメがなくなるわけありません。

悪いことは悪い、嫌なことは嫌、と言いたいことをはっきり主張することは、自分の身を守るための基本です。
勉強はできなくても、これだけは身につけておいてほしいと、願うまでもなく、親の血を引いているので大丈夫でしょう。

次女の女子高の生徒は、毎年何人も痴漢をつかまえているそうです。それも、自分が被害にあったからだけではなく、他人が被害にあっていても、見つけたら捕まえて駅員さんに引き渡すそうです。
これはひとえに、全国一を誇る性教育のおかげでしょうか。
避妊などの具体的な方法や、男性についても詳しく習い、誰よりも耳年増なだけでなく、性的被害、性同一障害など、あらゆる性的な差別についても学び、自由研究や発表も行っています。
そのおかげで、痴漢の被害にあって恥ずかしいなどとは思わず、そんな卑怯な行為をする犯人が悪いと認識し、許してはいけないと行動に移すことができるのでしょう。

子どもが今ある状態は、どう責任逃れをしようと、親の教育の結果です。
失敗したなあ、と思う点の多くは、自分の欠点をそのまま写しとってしまった結果で、親を反面教師にして逆に良く育ってくれる、ということはめったにありません。
成人してからでは、親の手は届かなくなります。あとは、自分で矯正してもらうしかありません。
まだ間に合う方は、ぜひ「我が家のルール」を見直してみてください。

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博士の愛した数式

先日、次女と「博士の愛した数式」のDVDを見ました。
一年くらい前に原作を読んで、次女にも勧めたのですが、数学嫌いの次女はイマイチ興味を示しませんでした。
けれど映画を見て、読んでみようかな、と言っています。
数学にも数字にも相変わらず興味は湧かないけど、登場人物が興味深いからみたいですが。

とは言いつつ、不思議な数字の関係には感動していました。
映画版では、数学の説明のためか、息子が中学の数学の先生として登場し、博士が話す内容の解説をしてくれます。
ところどころ設定は変わっていましたが、映画版も原作の良さを生かして作られていました。
自分の大好きなものをとことん愛し、大切にする姿勢を教えてくれるお話です。

以下は小説版の紹介で、ご自分で読もうと思われる方は、ご覧にならない方が良いかもしれません。

交通事故で、1972年以降の記憶は80分しかもたない元数学教授と、そこに雇われた家政婦と10歳の息子の交流のお話です。
子どもの頃から数学だけが友達で、数字や数式の美しさを愛し慈しむ博士が、とても愛らしい。
毎回会うたびに初対面となる家政婦に、靴のサイズや電話番号や出生時の体重を尋ね、それぞれの数字のすばらしさに感動しています。
「24とは潔い数字だ。4の階乗だ」
「素晴らしいじゃないか。それは一億までの間に存在する素数の個数に等しい。」
「君の誕生日は、僕の受賞記念の時計に刻まれた番号と友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。」

家政婦は、学生時代には数学なんて寒気がするほど嫌いだったのに、この博士の数字の解説に、自分に関わる数字がそんな偉大なものだったなんて、と驚きつつ、数字に関する博士の説明に関心を持っていきます。
そんな博士が、家政婦に10歳の息子がいることを知り、
「息子を放っておいて他人の食事を作っているなんて、いかんいかん」
と、普段の物静かな態度を一変させて、家政婦を追い返してしまいます。
次からは息子をここに来させなさい、忘れるだろうって見くびってはいけない、メモしておくからね、ということで、家政婦協会で禁止されている子連れのお世話を始めます。

息子が来ると、博士は満面の笑顔で迎え、両腕を広げて抱きしめて、歓迎します。そして、野球帽を取り、平らな頭をなでて、名前を聞く前に愛称をつけます。
「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号だ。」
それまでずっと母子二人だけで生きてきて、小さい頃から一人で留守番をさせ、息子が誰かに抱擁されることなどなかったので、博士から愛情一杯に抱擁されるのを見て、母親は幸せな気持ちになります。

子どもに対して、ものすごく真摯に向き合い、その存在を絶対的に尊重する、という博士の態度は、多くの親が反省させられるでしょう。

博士は、数字に関してはものすごい記憶力で、80分の記憶しかないにもかかわらず、身体中にメモを貼り付けることで、難しい数学の懸賞問題を解いて、何度も一等の懸賞金を獲得しています。
それなのに、自分が取るに足らない、つまらない小さな人間だと思っていて、ものすごく謙虚なのもかわいらしい。
いくらお金を儲けても、お金だけが目的でお金持ちになったり、自分を偉そうに見せようと他人を馬鹿にしたりする傲慢な人達には、何の魅力も感じないし、尊敬にも値しません。
自分の好きなものに夢中になり、情熱を燃やし、大切に愛して慈しむことができる人の方がずっと素敵です。

博士は毎朝起きると、
「僕の記憶は80分しかもたない」
というメモを見て、毎日その事実にショックを受け、そのために周りの人間に迷惑をかけることを恐れ、数学のためだけに控えめに生きています。
そんな博士が、野球好きで、息子と同じ阪神ファンだというのが意外でした。
中でも江夏の大ファンで、うっかり息子が、江夏は他の球団にトレードして今は引退したよ、という話をしたら、17年間の記憶のギャップを思い知らされ、江夏が阪神以外に行くなんて、とものすごいショックで、慰めようもないくらい落ち込んでしまいます。

でも実は、博士はテレビもない家に住み、誰もが野球場で試合を見られるということも知らず、野球の試合を一度も見たことがないのです。
博士にしてみれば、野球ほど数字に満ちたスポーツはなく、大学の図書館のスポーツ新聞で読む野球のデータだけで、ルールを知り、ひいき球団を作り、江夏の大ファンになったのです。
記憶がなくなる1972年以前の野球データは、小数の単位まで記憶され、その細かい数字の流れで試合を想像し楽しんでいるのです。
そして、野球カードを集め、几帳面に分類し、大切に缶に保管しています。
博士にとって、試合を見たこともやったこともないのに、野球は数学同様に大切な存在なのです。

博士が大切に野球カードをしまっている缶の底には、数学の論文が隠されていました。
その間に、若い頃の博士と、はにかみながら寄り添う女性の写真が挟んでありました。
その女性は、冷ややかで事務的に家政婦を雇った、博士のお兄さんの未亡人でした。
みすぼらしい博士の家とは別棟の、りっぱな家に住み、決して博士の家には顔を出しません。それでも、家政婦の休みの週末には、博士の世話をしているようでした。
論文の一番最初に、
「~永遠に愛するNへ捧ぐ。あなたが忘れてはならない者より~」
と手書きで書かれていました。
博士には、数学と野球以外にも、とても大切に慈しんでいるものがあったのです。

家政婦は、ある日突然解雇されます。博士が専門の医療施設に入ることが決まったからです。
家政婦は、施設でもお世話しましょうか、と申し出ますが、未亡人は、
「私がおります。義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません。」
と断ります。
夫の遺産で生活し、仕方なく義弟の援助をしている、と思われていた未亡人にも、永遠に変わらない想いがあり、博士への信頼からくる自信があったのです。

数学と野球と記憶喪失というかなり特異な状況設定はあっても、特別大きな事件が起きるわけでもなく、坦々と時間が流れていきます。
その中で、数学と野球と未亡人に対する、控えめだけど深く静かな博士の愛情、80分という細切れの時間に示す家政婦親子への愛情が、人も物も大切に慈しむ真摯な姿勢を教えてくれます。

  

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生きてくれさえすれば、いいんだよ

先週土曜の深夜、NHKで夜回り先生の特集番組の再放送を見ました。
以前にも別の局の番組で見たことがありましたが、壮絶な活動をしてらっしゃる方です。
長男のクリスマスプレゼントにあげた本(「夜回り先生」)も読んでみました。
ところどころに先生の生い立ちも書かれていて、一人で危険を冒してまで、病身に鞭打ってまで、他人の子どもたちのために尽くせる理由が、少しはわかりました。

夜回り先生(水谷修先生)は、大人たちのせいで夜の裏の世界に落とされ、暴走族、暴力団、薬物中毒、自傷行為、援助交際、売春などから抜け出せない子どもたちを、なんとか昼の明るい世界に引き戻そうとしています。
「イジメやってた」
「シンナーやってた」
「リストカットやってた」
「援助交際やってた」
「暴走族やってた」
「家に引きこもってた」
と告白し、本当は抜け出したいのにどうにもできない子ども達に、
「いいんだよ」
と一言、過去も現在も否定せず、ありのままの姿を受け入れます。
もがいても自分ではどうしようもなくて、苦しいから死にたいという子ども達に、
「それだけはダメだよ」
「今は、生きててくれるだけでいい。これからどうしたらいいか、一緒に考えよう。」
と説得し、話を聞きます。
児童相談所や薬物依存、性感染症のための病院の世話、安全に住む場所の確保など、様々な協力を要請しながら、危険な現状から、明るい世界での生活を目指させようします。

どんなに水谷先生や本人が頑張ろうとしても、裏の世界から抜け出すことは簡単ではなく、ほとんどが何度でも元に戻ってしまい、悲惨な結末を迎えることも多いそうです。
水谷先生自身、暴力団から指を詰めさせられています。組を抜けるために組長と交渉し、せっかく抜けられたのに、約束をやぶってつかまった少年の身代わりになったのです。
他人がこれだけ身体を張って子ども達を救おうとしているのに、身体を張って子どもを育てられない親が多いため、次々と苦しむ子どもが増えています。
身体的虐待や性的虐待をする、抹殺したいような親のせいばかりではありません。
一見何の問題もなさそうな、中流家庭以上の恵まれた環境でも、兄弟を激しく差別したり、子どもの悩みを無視したり体面を気にして隠したり、大人から見ればそのくらいのこと、と片付けてしまうことで、死ぬほど苦しんでいる子ども達もたくさんいます。
救いを求めた大人たちが、気付かなかったり、無視したり、逃げたりすることによって、さらに傷ついていきます。

二回見た夜回り先生の番組で、二回とも話された少女の話が壮絶でした。
少女は、ちょっとした興味本位から夜の集まりに参加した時に、集団暴行にあいました。
それで自分は汚れたと思い、将来が絶望的になり、それ以降もその犯人達とさらにその仲間から「雑巾」と呼ばれながら暴行され続け、ドラッグ購入のために売春もさせられ、ボロボロの状態で水谷先生に出会います。
薬物中毒と性感染症のために入院治療をさせようと思いましたが、エイズだとわかると、少女は男達への復讐のため、放浪の旅に出ます。
最初に見つかったエイズは、薬で抑えておける種類のもので、絶望することはないと説得したにもかかわらず、少女は行方不明になってしまいます。
しばらくして、何十人もの男性に(相手は気付いてないでしょうが)復讐して戻ってきた少女は、さらに深刻な別の種類のエイズを移されていて、治療は困難になっていました。
どんどん衰弱していくだけで、回復の見込みもなく、痛く苦しい毎日から救うには、一定量のモルヒネを打って、痛みをなくしつつ死を迎えさせるしかありませんでした。
モルヒネを打ち始めると、脳神経が麻痺するため意識がなくなります。
そのため、開始の前日に、やせ衰えて変色した顔に、精一杯のお化粧をしてもらい、お気に入りの服を着て、家族と水谷先生にお別れをしました。
両親も揃っていて兄弟もいる、普通の家庭の少女だったのです。
娘に、死に向かわせるための最後の別れをしなければならなかった両親の思いは、どんなだったでしょう。もっと早く気付いて、みんなで身体を張って救い出していれば、といくら後悔してもしきれないでしょう。
でも、それだけではありませんでした。
通常なら、何日かたつと自然に死を迎えられるはずが、いつまでたっても死ねません。
さらに、薬が切れると、意識がなくても激しい痛みにもだえ苦しみ、叫び続けます。
そんな拷問のような日々が何日も続いた後、ようやく息を引き取った少女に、
「死ねて良かったな」
とお父さんは声をかけたそうです。

水谷先生は、少女と約束をしていました。
「先生は、これからもいろんな所で講演するでしょう。そのとき、必ず私のことを話してほしい。こんな馬鹿な子がいたって。そしたら、同じ馬鹿なことをやってても、やめる子がいるかもしれないでしょ。」

夜の裏の世界は、はるか遠い世界ではありません。
ちょっとした興味本位、怖いもの見たさから、あっという間にはまっている子ども達が身の回りにたくさんいて、気付かないだけかもしれません。
罪悪感もなく、弱い子ども達を利用している大人たちも、たくさんいます。
社会が悪い、と他人のせいにして、子どもをストレス発散に利用する大人も、いくらでもいます。
そんな大人をなくすことは不可能でしょう。
でも、そんな大人にならないように気をつけることはできます。
夜回り先生のように、身体を張って夜の世界を見回り、知らない子ども達に声をかけて回る勇気はなくても、周囲の身近な子ども達の話を聞いてあげることなら誰にもできます。
最低限、自分の子どもの現状をまず受け入れ、これからの人生をどうしていくか、一緒に考えてあげることくらいはしなくてはなりませんね。
最低の成績をとってきては、これから真面目にやります、と言いながら何度でも裏切り、平気で大人をだまし、おちょくっているとしか思えないお調子者の娘でも、ゲンコで連打なんかしちゃダメで、あるがままの現状を受け入れ、見守るべきなんでしょうが・・・

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親って難しい

うちの子は、時々昔のことを持ち出して親を責めます。
「保育園のお迎え忘れて、すご〜く遅く迎えに来たよね。一人ぼっちで先生と遊んでたんだから」と次女が言えば、
「俺なんか、鼓膜が破れるかと思うほど殴られたことある。」
と長男が言います。
確かに、仕事が忙しくて時間を忘れてたこともあったし、お姉ちゃんを泣かせるようなことしたから殴ったこともあるけど、なんで今さら?
夫婦げんかや仕事のストレス発散のために幼児虐待をした覚えはないし、何もしてないのに叩いた覚えもないし、その後には必ず抱きしめてフォローしたはずなのに、そんなことは覚えちゃいないんだから。(よそのお子様には絶対手をあげませんよ!あとのフォローができませんから)
次女なんて、一歳から保育園に預けていたので、あまり手をかけてあげられない代わりに、毎日毎日抱っこしてお話したり、抱きしめ合って「大好き〜」ってやってたのになあ。長男は、それをうらやましそうに覗いてるから、「おいで」と言うと、そんなこと今さらできるか、って感じで逃げちゃうし。(その間、我関せずと黙々と一人でお絵かきしてる長女もそばにいたんですけど)
毎日一緒に遊んだり、本を読んだりしてあげたことは、親の当然の務めとして簡単に処理され、マイナス面だけが強調されて記憶されてるんだから、ひどいもんですよね。

でも、自分を省みても、縁側から転げ落ちるほど父親から殴られたり、母親にだまされて伸ばしていた髪を切られたり、という親のマイナス面はいつまでも忘れられないので、仕方ないのかな、とも思います。
子どもは、親がどう愚痴を言おうが、親の遺伝子を受け継いで、親が育てた結果ですから、仕方ないと受け入れることができます。
でも、親を選ぶことはできませんし、子どもは親をどうしようもないので、我慢しながら恨みを残すのかもしれません。

つい最近「2001年宇宙の旅」(我が家のビデオライブラリーの1本)を子ども達と見ました。
ちょっと前に「メタルギア」というゲームをやってて、ハルとデビッドという名前が出てきました。ハルといえば「2001年宇宙の旅」のコンピュータだけど、主役の名前はデビッドじゃなかったかな、とずっと気になってたのです。
長女はSF好きなので、「2001年宇宙の旅」は原作まで読んでます。
下二人は、そんな古い映画見るの、と最初は不服そうでしたが、やっぱり「メタルギア」と一緒だ、と言った途端興味を示し、最後まで楽しんで見てました。
前に「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ夕陽のカスカベボーイズ」を見た時、「荒野の七人」を見ていた上二人は、パロディに大受けしてました。クライマックスで七人が出てきて、ユル・ブリンナーとスティーブ・マックイーンとチャールズ・ブロンソンの吹き替えをやった声優がちゃんと吹き替えてるのです。次女だけ訳がわからずにいたので、お正月に「荒野の七人」を見てから「映画クレヨンしんちゃん・・・」を見直してました。
最近の映画はあまり知らないけど、ゲームや漫画のネタに使われている古い映画を教えてあげて、楽しさ倍増にしてあげたってことも、一生忘れないでほしいなあ。

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