お買い物ごっこ

ちょっと前までは、子どもに簡単な買い物を頼んだりすることも多く、小学生くらいになればお金の数え方を知っていることが多かったような気がします。
最近は子どもを一人で外に出さないせいか、お買い物の経験のない子が多く、お釣りや両替の観念がわからないことが多くなってます。
計算自体は問題集などでかなりできる子でも、実生活でお金の計算をしたことがないため、具体的なイメージを持てないことも増えています。

そろばんはお金を知っていると説明がしやすく、1円が10個で10円、10円が10個で100円ということを知っている子は、すんなりそろばんの珠を読めるようになります。
算数の繰り上がり、繰り下がりの計算も、お金の計算ができればすぐに理解できるようになります。

繰り上がり、繰り下がりがわかってないからと、算数の問題集をつきっきりでやらせる保護者もいらっしゃいますが、せっかくの親子の時間を勉強に費やすより、お買い物ごっこでもして遊んで過ごした方が子どもも喜びますし、問題集よりもずっと実生活に役立つ計算が身につきます。
子どもと一緒の時間をどうやって過ごしたら良いかわからずに、小さい頃から勉強をやらせてしまう保護者も多くなってますが、工夫次第でいくらでも遊べるはずです。

実生活でも絶対必要になるお金の数え方は、子どもも興味のあることですから、ぜひ遊びに取り入れてほしいと思います。
お買いものごっこのオモチャや銀行ごっこのお金なども売ってますが、スーパーやデパートの広告を切って商品を作ったり、画用紙に金額を書いてお金を作ったりして、手作りのお店屋さんごっこも安上がりで、親子で楽しめます。
商品は、持っているオモチャや手作りのもの、日用品など、身の回りにいくらでも見つけられます。

遊びながら、全部でいくらになるか足し算したり、お釣りがいくらになるか引き算したり、細かいお金をお札に交換してもらったりなど、具体的なものを使って計算をすることで、理解も早くなり、記憶に残ります。
低学年でも、家でたくさん勉強しなきゃならないから大変、という生徒もいますが、紙上の勉強を大量にやるより、身体を動かして実体験に基づいた勉強をもっと楽しんでほしいと思います。

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地下鉄(メトロ)に乗って

少し前に、テレビで映画版「地下鉄(メトロ)に乗って」を見て感動して、浅田次郎氏の原作を読みました。

地下鉄を通してタイムトラベルをするというSF的要素のある、親子の確執と恋愛の切ないお話です。
戦後一代で大企業を築いた横暴な父親に反発する主人公と不倫相手の女性が、地下鉄や夢を通して何度も戦時中と戦後の過去に運ばれ、過去で親の意外な姿を見せられます。
女性は、主人公が同居している母親と妻子を捨てられないことを悟っていて、淡泊な態度を取りながら何年も付き合ってきました。
過去を知り、二人が出会ってはいけない関係だったことを知ります。

その女性が、自分がお腹にいる、臨月の母親に質問します。
「私を産んでくれたおかあさんの幸せと、私の愛したこの人の幸せの、どっちかを選べって言われたら?」
その母親の答えは、
「親っていうのは、自分の幸せを子供に望んだりはしないものよ。そんなこと決まってるさ。好きな人を幸せにしてやりな」
その結果、
「ありがとう、おかあさん。ごめんね」
と言って、自分や自分の母親の幸せよりも、愛する人の幸せを最優先する道を選びます。

親子関係だろうと、男女関係だろうと、自分の欲や幸せよりも、どれだけ相手のことを考えられるか、というのが本当の愛情ですよね。

先日、母方の叔父が母の所に用事で来ることになりました。
叔父の孫に、うちの次女と同級生の優秀な女の子がいるのですが、
「また自慢されるよ。うちには自慢できるような優秀な孫がいないもんかね」
といつものように母は嘆きます。
幸か不幸か、大人の虚栄心の種になるような子どもは我が家にはいません。

それでも、劣悪な家庭環境に対する愚痴は一切言わず、
それぞれに好きなことを見つけ、生まれて良かったと思ってくれて、
家ではだらしなくても、外に出ればきちんと大人の対応ができているようだし、
お互いに無関心を装いながら、三人でにぎやかにしゃべってて仲良さそうだし、
親が死んでも、いざとなったら三人で助け合って生きていってくれそう、
というのが親としては自慢です。

親の方も、自分を犠牲にしてまで献身的に子育てしてきたわけではないので、
子どもに多くのことは望めません。
何も残せないけど、できるだけ子どもに頼らない自立した老後を目指すから、
子ども達にも親に頼らない自立した人生を望むばかりです。
できれば、多くの人と知り合い、損得抜きでつき合える関係を築き、
自分も他人も、常に楽しくさせることができる人間になってほしいと思ってます。

地下鉄(メトロ)に乗って (講談社文庫)

地下鉄(メトロ)に乗って―特別版

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夢中になれること

Inuyamajo_2 今年も、次女(高三)と毎年恒例の親子旅行に行って来ました。
(受験勉強中にもかかわらず)
次女の希望が「犬山城」だったので、ついでに近くの「明治村」にも行って明治時代の勉強もしてくることにしました。
(古代と戦国時代と幕末にしか興味のない次女は無関心でしたが)

犬山城は、小さいけれど、日本で数少ない天守閣まで現存する国宝級のお城だけあって、急な階段や部屋の造りまでリアルでした。
「小さっ!これ銀閣寺?」
とか言って親がからかっても、次女は感動しまくりでした。
「すごい!これって平城じゃなくて、平山城だよね?」(そんな専門的なこと知らないし)
「ここから石を落としたのかあ。本当に戦いに使ったって感じだよね。こんなお城欲しいなあ。」(まるでお城マニアのおじさんみたい)

一番の目的の犬山城巡りは初日にあっという間に終わり、親の目的の明治村に一日半を費やしました。
明治なんて好きじゃないけど、親に付き合ってやるか、程度についてきた次女は、ここでも感動しまくりでした。
小金井の江戸東京たてもの園で喜んでいた子ですから、その何十倍も古い建物があり、中にも解説付きで実際に入れたり、食事ができたりするのですから、喜ばないわけがありません。

夏目漱石、森鴎外、小泉八雲、幸田露伴などの文学者が住んだ純日本家屋、政治家の住居や公共の西洋風家屋、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルなど有名な建物以外にも、監獄など特殊な建物もたくさんありました。
次女が一番喜んだのが、昔の牢屋の中でお茶を飲めたことです。
お盆シーズンの特別イベントだったのですが、雑居房に二人だけ閉じ込められて、出るときは「ありがとうございました」ではなく「出所おめでとうございます」と言われました。
華麗な調度品に囲まれた西洋館ではなく、文学者達の執筆当時を再現した書斎でもなく、こんなところに喜ぶのがうちの子らしい。
(これでも史学科を目指してます)

何でも平均的にできる優秀な子ほど、好きなことが見つからないから進路が決まらないと聞きます。
うちみたいに歴史しか好きじゃないし、勉強もそれしかしない、と徹底してると迷いようもないのですが、どれも平均以上にできるけれど、これが好きだから徹底的に勉強する、ということがないと、勉強もつまらないものになります。

うちの子はアイドルにしか興味がない、ゲームばっかりやってる、マンガばかり読んでる、とよく言われますが、好きなものがあるなら止めてはダメです。
好きなことには、徹底的にのめり込ませれば良いと思います。
次女の歴史好きは親の影響というより(親は歴史や社会系が一番苦手です)、マンガやゲームの影響が大きいと思います。
マンガやゲームから興味を持って、本を読んだりネットを調べたり、どんどん興味を広げていくのです。
基本的に最低限の勉強さえやったら、あとは好きなことを思い切りやって良い、ということにすれば、いつか本当に好きなことが見つかると思うのです。
親の偏見で、そんなもの、と言って禁止したら、もしかしたら特殊な分野のパイオニアになったり、ものすごい専門家になる可能性をつぶしてるかもしれません。
そんな大成はしなくても、自分の好きなことがあって、夢中になれる人生ほど幸せなことはないと思います。

来年80歳になる母は、「千の風になって」のヒット以来秋川雅史の大ファンで、自分で何度も電話してコンサートのチケットを取った、と話してました。
誰もが、ビジュアル系追っかけの長女や、ロックバンドにはまってイギリスまで行った母親の源流は、祖母だったのか、と血筋を実感しました。
10年来乳癌やC型肝炎の治療を続けながらも、歌舞伎を見に行ったり、プリザーブドフラワーの講習に通ったり、老後を満喫してましたが、この年になって、ここまで音楽にはまるとは思いませんでした。(家にいると一日中同じCDがリピートされてます)

子どもに好きなものを見つけさせたいと思ったら、親が好きなことを見つけて夢中になって、その感動を子どもに伝えるのが一番です。
必ずしも直接的に効果が出るとは限りません。(勉強につなげようと露骨だと逆効果にもなります)
親がいろんな音楽を聴いてても、同じ曲に興味を持つとは限りませんが、音楽自体には興味を持つかもしれません。
感動した本や映画の話をしても、面白そうと言って話にのったり、実際に読んだり見たりするかどうかはわかりません。
(我が家の確率では、ほとんど3分の1です。)
それでも、長女と一緒にコンサートに行ったり、長男と海外ドラマに夢中になったり、次女と三国志のマニアックな話をしたり、と親子のコミュニケーションには困りません。

ただし、親が大人げなく夢中になることには、大抵の子どもは冷たい視線を向けてきます。
でも、子どもにとって親は「元気で留守がいい」という存在ですから、まったく気にすることはありません。
そのうち「まったくうちの親は」とあきれながらも、保護者的にあたたかく見守ってくれるはずです。

【明治村】

明治村ホームページ

【マンガで読む明治時代】


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いとこ会

Konotori 連休中に、コウノトリの里で有名な父の故郷に行ってきました。
父方の「いとこ会」をやることになり、生存しているいとこ全12人+母親4人(父親は誰も残ってません)+子どもと孫十数人(出入りが激しくて数不明)が集まりました。
普段は、お葬式か結婚式に、それぞれの家の代表が集まるくらいで、いとこ達全員が集まったのは初めてのことです。
「いとこ会」をやろうと言い出したのも、6年前の父のお葬式で何人かが集まった時ですし、具体的に今度のゴールデンウィークにやることが決まったのも、今年一月の父の七回忌でした。

父は、男六人女三人の九人兄弟の末っ子で、生きていれば80歳です。
父の兄弟で生存しているのは、上から5番目の93歳の伯母と、8番目の84歳の伯母だけ。
父と一番仲の良かった上から7番目の7歳年上の伯父は、父が先に亡くなったことで、家族の誰よりもがっくりと意気消沈してしまい、翌年追うように亡くなりました。
すぐ近所に住んでいて、一緒に釣りに行ったり、碁をやったり、商売をしたりして、大喧嘩をしたこともありますが、それだけ仲の良い兄弟でした。
残った二人の伯母達にも、
「一番下が先に逝くなんてねえ」
と嘆かれました。

そのような兄弟関係のいとこなので、妹と同じくらいの子どもがいたりと、かなり年上のいとこ達の集まりです。
私は、集めた会費の会計を任されたりしたので、使った額と残高を計算し、お世話になった人へのお礼をさらに集金し、などとやっていると、
「エライエライ」
などと頭をなでられたりしました。(こんな年になって!)
普段、仕事でも家庭でも実家でも、親以外はほとんど年下という環境で、あまり人様からかわいがられるという経験もなかったので、子どもに戻ったような感覚でした。

小さい頃は人見知りで、母親から挨拶が下手だとか怒られてばかりいたので、親戚つき合いも好きではなく、父の故郷には6歳の頃行ったきりです。
ほとんど初対面のような、あまりお付き合いのない人達と三日間も過ごすのはどうなんだろう、というのは杞憂でした。
言いたいこと言って、口は悪いけど、ざっくばらんで、父や自分と同じような人種だらけ。同じ血縁だということがつくづく実感できました。

また、私以外の家族が遊びに行った時の写真を見せてもらってびっくりしました。
うちの次女がいる、と思ったら9歳頃の妹でした。
常々、次女は妹に似てるとは思ってましたが(妹の実の娘よりもそっくりです)ここまで似てるなんて。
次女の写真は少ないので、もらってアルバムに混ぜておこうかと思いました。

たくさんの山に囲まれて、数年前氾濫して連日テレビに映った川が流れ、山を越えると日本海という、父の育った世界をたくさん見せてもらいました。
伯母達は害鳥だと非難してましたが、今は大事に保護されているコウノトリも、父が若い頃まではたくさん飛び交っていたそうです。

夜、宴会をやったお宅から数十キロ離れた別のいとこの家まで車で送ってもらいました。
まったく外灯のない真っ暗な道をどこまでも走っているとき、妹の小二になる長男が言いました。
「信号が全然ない!着くまでに何個信号あるの?」
「そうだね。多分一個もないね」
甥だけでなく、大人達もちょっとしたカルチャーショックでした。

伯母達は、大きな台風の度に洪水に遭ったり、苦労も多かったのですが、こんな大自然の中でたくましく生き抜いて来たんだな、と思いました。
農業をやりながら、様々な職業を兼業して子どもを育ててきた働き者なので、いくつになっても何もしないでぼんやりしていることができません。
手芸をしたり、色紙や千代紙で小さな三角を組み合わせた細かい細工の小物を作ったり、手先と頭を使い続けることが、口も身体も達者で長生きできる秘訣のようです。

もう二度と会えないかもしれないから、と別れを惜しんでくれた伯母達ですが、そんなことはないでしょう。
伯母達より先に逝かないようにするには、いかに頑張るか、というのが「いとこ会」の最大の課題でした。

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親子交換日記

何年ぶりかで押し入れの掃除をしたら、次女との親子交換日記が出てきました。
小学校入学前から小二くらいまでの期間で、一冊の半分も書いてないという、三日坊主を繰り返したような日記です。ですから、最初の頃は何を書いているか判読不能の文章だったのが、最後の方は漢字を使ったりして、成長の跡が読み取れます。

忙しくて保育園へのお迎えの時間も忘れ、最後まで残されたことを恨まれているような母親ですが、時にはこんなこともしてフォローしてたんだ、と懐かしくなりました。
小学校入学後も、学校が終わったら学童に行って、お友達とうちに帰ってきて、お友達のお母さんがお迎えに来るまで遊んで、それから姉や兄と留守番して、親が帰るのは通常8時過ぎという生活でした。
なかなかゆっくり相手をしてあげられないので、多少でもコミュニケーションをはかりたい、というささやかな努力の跡です。何ヶ月も続かずに、何度も挫折しているのが情けない話ですが。

それでも、一緒に交換日記を買いに行って、子どもは親が帰って来るまでに、親は子どもが寝てから、一日おきに書いていたことだけで、共通の思い出ができて良かったなと思います。
内容は同じようなことばかりで、毎日は書く事がなくなって、結局は出かけた時、何かのイベントがあった時になってしまうのですが。
最後の方は、親の方が疲れていい加減になって、子どもばかり続けて書いているのが、ちょっとかわいそうでした。
こんな親なのに、「おかあさんだいすき」「おかあさんがんばってね」「おかあさんいつもありがとう」なんてたくさん書いてあるのです。

高校生になった今でも、顔を合わせればずうっとしゃべり続け、年に一度の親子旅行を楽しみにしている、ちょっとマザコン気味の娘に育っているのは、こんなところから来ているのかもしれません。

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母の日

Usagi2007

母の日に、長女がプレゼントをくれました。
紫のタオルにくるまったウサギとボディジェルです。

去年もバラのバスバブルをくれたり、最近欠かさずプレゼントをくれるようになりました。
これも、一応稼げるようになって、自分の物以外に気遣いができるようになったということで、大人になったということでしょうか。

もっとも、うちの長女は2歳ですでに大人びていました。
2歳のお誕生日の頃には、長男がお腹にいてお姉さんになる自覚ができつつあったのか、どんなに疲れても抱っこやオンブをねだることはなくなっていました。
その頃、友人の家に遊びに行く途中道に迷って、二人でかなりの距離を歩き回りました。
身体は平均より小さめの2歳児が、こんなに歩いたらさすがに疲れただろうから、
「オンブしてあげようか?」
と聞くと、
「いい」
と頑なに拒絶します。
言葉を話すのは兄弟三人の中で一番遅く、3歳になるまでまともな文章でおしゃべりもできなかったような幼い娘が、お腹の大きな母親を気遣ってくれました。
この時以来、長女には絶大な信頼をおいています。

小学校5年くらいから、前の晩仕事で遅くなった母親より早く起きて、朝食を作ってくれたりもしました。
中学になると、一通りのことは自分で処理して、遠足のお弁当もゼッケンなどの縫い物も、一切母親を頼ることなく自分で何とかこなしていました。
決して家庭科が得意なわけでも好きなわけでもありません。忙しい母親に余計な負担をかけないように、気を遣ってくれたのでしょう。

そうなると、勉強ができなくたって、まともな職業にもつかず、いい年していつまでもフリーターでバンギャルだって、全く気になりません。
「姉ちゃんに甘過ぎる!いい加減独立させろよ」
という長男の非難も馬耳東風。
身体は一番小さいながら、1歳過ぎにはペラペラとおしゃべりを始めた次女など、16歳になった今でも、2歳の長女の大人っぽさを越してはいません。
(大体小学校入るくらいまで抱っこしてたくらいだし、今でも夜中にこれ縫ってなどと言い出すし)

夕食後、長女が買ってきてくれたショートケーキを食べながら、二人でお茶を飲みました。
子どもが三人いても、下二人は白米大好きの大食漢で、余計な間食するくらいならご飯をもう一杯、という反ケーキ党なので、唯一食後のデザートを一緒に楽しめる長女の存在も貴重です。

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博士の愛した数式

先日、次女と「博士の愛した数式」のDVDを見ました。
一年くらい前に原作を読んで、次女にも勧めたのですが、数学嫌いの次女はイマイチ興味を示しませんでした。
けれど映画を見て、読んでみようかな、と言っています。
数学にも数字にも相変わらず興味は湧かないけど、登場人物が興味深いからみたいですが。

とは言いつつ、不思議な数字の関係には感動していました。
映画版では、数学の説明のためか、息子が中学の数学の先生として登場し、博士が話す内容の解説をしてくれます。
ところどころ設定は変わっていましたが、映画版も原作の良さを生かして作られていました。
自分の大好きなものをとことん愛し、大切にする姿勢を教えてくれるお話です。

以下は小説版の紹介で、ご自分で読もうと思われる方は、ご覧にならない方が良いかもしれません。

交通事故で、1972年以降の記憶は80分しかもたない元数学教授と、そこに雇われた家政婦と10歳の息子の交流のお話です。
子どもの頃から数学だけが友達で、数字や数式の美しさを愛し慈しむ博士が、とても愛らしい。
毎回会うたびに初対面となる家政婦に、靴のサイズや電話番号や出生時の体重を尋ね、それぞれの数字のすばらしさに感動しています。
「24とは潔い数字だ。4の階乗だ」
「素晴らしいじゃないか。それは一億までの間に存在する素数の個数に等しい。」
「君の誕生日は、僕の受賞記念の時計に刻まれた番号と友愛数だ。滅多に存在しない組合せだよ。」

家政婦は、学生時代には数学なんて寒気がするほど嫌いだったのに、この博士の数字の解説に、自分に関わる数字がそんな偉大なものだったなんて、と驚きつつ、数字に関する博士の説明に関心を持っていきます。
そんな博士が、家政婦に10歳の息子がいることを知り、
「息子を放っておいて他人の食事を作っているなんて、いかんいかん」
と、普段の物静かな態度を一変させて、家政婦を追い返してしまいます。
次からは息子をここに来させなさい、忘れるだろうって見くびってはいけない、メモしておくからね、ということで、家政婦協会で禁止されている子連れのお世話を始めます。

息子が来ると、博士は満面の笑顔で迎え、両腕を広げて抱きしめて、歓迎します。そして、野球帽を取り、平らな頭をなでて、名前を聞く前に愛称をつけます。
「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号だ。」
それまでずっと母子二人だけで生きてきて、小さい頃から一人で留守番をさせ、息子が誰かに抱擁されることなどなかったので、博士から愛情一杯に抱擁されるのを見て、母親は幸せな気持ちになります。

子どもに対して、ものすごく真摯に向き合い、その存在を絶対的に尊重する、という博士の態度は、多くの親が反省させられるでしょう。

博士は、数字に関してはものすごい記憶力で、80分の記憶しかないにもかかわらず、身体中にメモを貼り付けることで、難しい数学の懸賞問題を解いて、何度も一等の懸賞金を獲得しています。
それなのに、自分が取るに足らない、つまらない小さな人間だと思っていて、ものすごく謙虚なのもかわいらしい。
いくらお金を儲けても、お金だけが目的でお金持ちになったり、自分を偉そうに見せようと他人を馬鹿にしたりする傲慢な人達には、何の魅力も感じないし、尊敬にも値しません。
自分の好きなものに夢中になり、情熱を燃やし、大切に愛して慈しむことができる人の方がずっと素敵です。

博士は毎朝起きると、
「僕の記憶は80分しかもたない」
というメモを見て、毎日その事実にショックを受け、そのために周りの人間に迷惑をかけることを恐れ、数学のためだけに控えめに生きています。
そんな博士が、野球好きで、息子と同じ阪神ファンだというのが意外でした。
中でも江夏の大ファンで、うっかり息子が、江夏は他の球団にトレードして今は引退したよ、という話をしたら、17年間の記憶のギャップを思い知らされ、江夏が阪神以外に行くなんて、とものすごいショックで、慰めようもないくらい落ち込んでしまいます。

でも実は、博士はテレビもない家に住み、誰もが野球場で試合を見られるということも知らず、野球の試合を一度も見たことがないのです。
博士にしてみれば、野球ほど数字に満ちたスポーツはなく、大学の図書館のスポーツ新聞で読む野球のデータだけで、ルールを知り、ひいき球団を作り、江夏の大ファンになったのです。
記憶がなくなる1972年以前の野球データは、小数の単位まで記憶され、その細かい数字の流れで試合を想像し楽しんでいるのです。
そして、野球カードを集め、几帳面に分類し、大切に缶に保管しています。
博士にとって、試合を見たこともやったこともないのに、野球は数学同様に大切な存在なのです。

博士が大切に野球カードをしまっている缶の底には、数学の論文が隠されていました。
その間に、若い頃の博士と、はにかみながら寄り添う女性の写真が挟んでありました。
その女性は、冷ややかで事務的に家政婦を雇った、博士のお兄さんの未亡人でした。
みすぼらしい博士の家とは別棟の、りっぱな家に住み、決して博士の家には顔を出しません。それでも、家政婦の休みの週末には、博士の世話をしているようでした。
論文の一番最初に、
「~永遠に愛するNへ捧ぐ。あなたが忘れてはならない者より~」
と手書きで書かれていました。
博士には、数学と野球以外にも、とても大切に慈しんでいるものがあったのです。

家政婦は、ある日突然解雇されます。博士が専門の医療施設に入ることが決まったからです。
家政婦は、施設でもお世話しましょうか、と申し出ますが、未亡人は、
「私がおります。義弟は、あなたを覚えることは一生できません。けれど私のことは、一生忘れません。」
と断ります。
夫の遺産で生活し、仕方なく義弟の援助をしている、と思われていた未亡人にも、永遠に変わらない想いがあり、博士への信頼からくる自信があったのです。

数学と野球と記憶喪失というかなり特異な状況設定はあっても、特別大きな事件が起きるわけでもなく、坦々と時間が流れていきます。
その中で、数学と野球と未亡人に対する、控えめだけど深く静かな博士の愛情、80分という細切れの時間に示す家政婦親子への愛情が、人も物も大切に慈しむ真摯な姿勢を教えてくれます。

  

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CAN(やればできる)

2月に会社の申告、3月に個人の申告があって、忙しい日々がようやく終わりました。
日常的に整理しておけばどうってことない作業を、ため込んでしまうがために、毎年苦労するのはわかってるんですけどね。

でも今年こそは、毎月帳簿整理して、きちんと仕事しよう、とつくづく思いました。
いつものごとくたまった領収証と新しく導入した経理ソフトの狭間で、なかなか本腰が入らず、100枚近くCDを用意して、ガンガン音楽をかけまくって外の世界から隔離されて集中して、もう間に合わないかも、という気分を吹き飛ばしながら、どうにか片づけました。

始めてしまえば、どうってことないのです。
書類を分類して、整理して貼って、仕訳しながら入力して、チェックして、決算書を作成する、というそれぞれの作業はさほど嫌いではないのですが、何事につけ始めるまでに時間がかかり、コンスタントに作業をこなすことが苦手です。
毎日の積み重ねが大切な英語などが苦手なのは、多分この性格のせいで、みんなに遺伝して苦労させて、子どもらゴメンよ、と思います。

そろばんで培った集中力がなければ、多分何もこなせないとは思いますが、こんなに早くできるなら、早く始めればたくさんの仕事がこなせるのに、とわかっていてもなかなか実行できません。
人生の敗因はこれだな、と反省はしてるんですけど。

先日テレビの「アンビリバボー」で、すごい親子を見ました。
全身マヒで生まれて来た男の子とお父さんの実話です。

ヘソの緒が巻き付いて生まれたため脳に損傷があり、全身マヒで知能の発達も望めないだろうと特殊施設へ預けることを勧められた赤ちゃんを、自分たちで普通の子と同じように育てようと決心した夫婦がいました。
手足も動かせず、声も出せず、何の反応もなかった男の子リックに、両親は毎日話しかけ続けていました。
ある日、父親ディックが目の前を通り過ぎると、それを目で追い、落ちたコップにびっくりして泣いたことで、リックは、耳も聞こえており、自分の意思もあることがわかり、両親は大喜びします。
それから、リックからの意思表示はなくても、いろいろな言葉を教えていきました。

ある大学で、頭の上下左右の動きで入力できる装置を研究していることを知ったディックは、5千ドルを寄付して研究の援助をします。
試作品が完成すると、リックは文章を入力し、ちゃんとコミュニケーションが取れることを証明しました。
一行を入力するのに10分もかかる作業でしたが、それで勉強ができるようになり、同年齢の子と同じ知的レベルであることを証明し、普通のハイスクールに通えるようになります。

友人の協力の元に、普通の子と同じように学校に通い勉強ができるようになると、リックは、自分が何かをできないかを考えるようになりました。
ある時、地元の大学のスポーツ選手が事故で全身マヒになり、その応援のための8キロのチャリティマラソンが開催されることになりました。
リックは、そのマラソンに出たいとディックに言いました。

同じ全身マヒになった選手のために何かしたい、というリックの意志を知って、ディックは車椅子を押してマラソンに出場することを決心します。
ディックはそのとき、運動不足で中年太りになりかけの38歳。マラソンの経験もありませんでした。
毎日、走る練習だけでなく、60キロ以上の車椅子とリックを押すための腕力を鍛え、二週間後、二人で8キロを完走します。
全身の筋肉痛でクタクタのディックでしたが、
「走っているとき、障害者だってこと忘れてたよ」
というリックの言葉に疲れも吹き飛びました。
そして、今度はフルマラソンに出たい、というリックの希望を叶えるため、車椅子を軽量化し、自分の身体を鍛え、各地のレースに出場するようになります。

息子のために日々努力してくれる父親に応えるように、リックは勉学に励み、名門ボストン大学に入学します。
そして父親のディックは、たるんでいた身体が鍛えられ、日増しにアスリート体型になっていきました。

マラソンを始めてから4年後、世界的なボストンマラソンの車椅子部門に申し込みました。
けれど車椅子部門は、自分で車椅子を動かせる人しか参加できません。
懸命に頼んでどうにか参加はできましたが、正式な出場ではありませんでした。
しかし、その2年後のボストンマラソンでは、一般部門での出場が認められました。
ディックは、車椅子を押しながらもタイムを伸ばし、リックと同じ20代男子の出場資格をクリアしていたのです。

アスリートとしての評価が高まってきたディックは、勲章が授与され、トライアスロンレースの招待選手に選ばれました。
それは、アスリートとして大変名誉なことでしたが、ディックだけ、ということだったので、それでは意味がないと出場を断ります。
するとリックは、トライアスロンに出たい、と言い出します。
水泳、自転車、マラソンという、とても過酷なレースです。
しかも、ディックはそのとき、ほとんど泳げませんでした。
とても無理そうなことに挑戦するときに、いつもリックが言ってくるのが、
「CAN」(できるよ)

それから5年後、49歳のディックとリックは、世界一過酷なトライアスロン、ハワイ・アイアンマンレースに出場します。
ゴムボートに乗せたリックを牽引しながら3.9キロを泳ぎ、前にリックが座れるカゴをつけた自転車で180.2キロを走り、車椅子を押しながら42.195キロのフルマラソンを完走しました。

その後もいろいろなレースに出ていた二人ですが、ディックが62歳のとき、レース直後に心筋梗塞で倒れます。
幸い処置が早かったため命に別状はありませんでしたが、医者から言われた言葉に驚きます。
「もし身体を鍛えていなかったら、50歳まで生きていられなかったでしょう。」
リックに言われてマラソンを始めていなければ、今まで生きていられなかったのです。

ディックは、66歳になった今でも、リックといろいろなレースに出ています。
リックは、猛勉強の末ボストン大学を卒業し、全身マヒを抱えた最初の学位取得者になりました。
そして45歳の今、大学のコンピュータ研究所で、障害者用の補助装置の研究をしています。
リックの一番の夢は、一回でいいから、お父さんを車椅子に乗せて押してあげること、だそうです。

普通に生活ができていると、普通であることが当然だと思い、感謝もしなければ、それ以上に頑張ろうとはなかなか思いません。
まして、毎日身体を酷使して、それを何年も続ける、ということは難しいでしょう。
すごい!と感動しても、子ども達に話して、共感し合うだけで終わってしまうところが、ダメ親子なんですけど。
でも、信じられないほどすごい偉業は達成できなくても、自分にももっと何かできるのでは、と思わせてくれません?

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親が苦手な子どもの特技

ここのブログを読んだ次女の友達から、次女を悪く書き過ぎでは、というクレームがあったので、たまには良い事も書きましょうか。

普段えらそうなこと言って大きな顔をしてる私ですが、一番の苦手がスピーチです。
交渉とか談判となると、どんなお偉いさん相手でも、平気で言いたい事を言えます。
それなのに、例え相手が少人数でも、何人かを目の前にして、自分から説明したり何かを話す、という状況が大の苦手です。足はガクガクするし、呼吸困難になり声もちゃんと出ないし、しどろもどろで、言おうと思った内容の半分も話せません。
仕事で、企画書を提出して、書類審査が通っても、ヒアリングの段階でスピーチがうまくいかず、いつも失敗します。自分の話す持ち時間が終わり、質疑応答となると、何故かすーっと落ち着き、質問にはかなり冷静に答えられるのですけどね。

こんなとき、次女に代わってほしい!と思います。
次女は、弁論大会に出たい、というほど人前で話すのが好きです。
こんなところも、おじいちゃん似だな、と思います。
(去年の11月に「遺伝」について書いたとき、背の低さしか受け継いでない、と嘆いていたけど、出たがりのところも遺伝してました)
授業中は、いるかいないかわからないほど、発言もほとんどなく、大人しくしているもので、スピーチとかディベートとかの時間に、嬉々として熱く語ったりする姿は、学校の先生方を驚かせます。
今の教育は、昔より内容が薄かったり、問題もいろいろありますが、スピーチとか発言の機会を与え、訓練してくれるのはいいですね。息子も、国語の時間に定期的にスピーチの順番が回ってきて、自分で考えたテーマで数分間話すという訓練をさせられたから、スピーチなんか平気だと言ってました。スピーチもまともにできないの、と子ども達から馬鹿にされてしまいました。

次女は、いくつも同好会を兼部し、部長をやってたりするので、予算申請をしたり、文化祭の企画申請をしたり、大会の原稿を書いたり、大忙しです。学校の勉強なんか、できようはずもありません。高校になったら一つに絞るという約束もそっちのけで、企画部長のように働いてます。
「企画書書けて、プレゼンできて、台本書けたら十分だ、将来うちの会社を任せよう」
と一緒に会社をやってる弟(私以上にスピーチ下手)が言いました。
そのことを伝えると、
「いつ潰れるかわからない会社のくせに」
と言われてしまいましたが。

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転がる石にはコケはつかない

ローリング・ストーンズのコンサートに行って来ました。
最初の来日コンサートのときは、お腹の中に次女がいました。
前回三年前の来日から、長女と弟夫婦と妹の五人で行くようになりました。
長女は、まだハイハイもしない赤ちゃんの頃から、ストーンズの曲をかけていると、嬉しそうに手足をバタバタさせて踊っていたほどのファンです。

63歳のミックは、スリムなスタイルと変わらない声を保ち、外野のポールからポールの距離を、歌って踊りながら走り抜けてました。
同い年のキースも、いたずらっぽい不良少年のような表情で、嬉しそうにギターを弾きまくってました。
65歳のチャーリーは、まだドラムできるのかなあ?と心配でした。でも、もともと激しい叩き方はしませんが、真面目に正確にリズムをきざんでて、元気でした。
その中で、ギターのロンは一番若くて、59歳。
こんな年になっても、相変わらずの元気さで、期待通りの演奏を見せてくれるだけで、嬉しくて涙が出そうになります。

1963年にデビューしてから、ずっと第一線の現役で活躍してきた人達です。
20代、30代のときに作った財産(作品)だけでも、充分に悠々自適の最高級の生活ができるはずです。
お金が目的だけの人間なら、還暦を過ぎた年になってまで、好きなお酒やタバコを控えたり、毎日走って体型と体力を保持したり、楽器の練習を続けたり、という努力なんかしないでしょう。
一世を風靡したミュージシャンでも、贅沢と不摂生のためか、40代で声の伸びがなくなったり高音が出なくなって、あのきれいな声はどこへ行っちゃったの?とがっかりさせられる人達がたくさんいます。
でもストーンズは、音楽が大好きで、自分たちの作品が大好きで、ファンを楽しませることで自分たちも楽しんでいます。
だから、いくつになっても、舞台に立つための努力を惜しまず、世界中のファンの期待に応え続けてくれるのだと思います。

多くのミュージシャンは、過去の栄光にすがりたくなくて、新曲中心のライブをしたり、過去のヒット曲を封印したりします。せっかく見に行っても、聞きたかった曲を聴けなくてがっかりさせられたりします。
でもストーンズは、みんなが絶対聴きたい曲ははずさず、できればやってほしいな、という曲を日によって織り交ぜてくれます。
結局は、全盛期のヒット曲が中心のラインナップになってしまい、せっかくの新譜発表の場なのに、本人達にとっては残念じゃないかな、と心配になります。
でも、見に来てくれる人が楽しんでくれること、を最優先している気がします。

ストーンズは、ビートルズと同時期に一世を風靡しました。
今では教科書にも載っている優等生的なビートルズとは、いろんな面で違っています。
ビートルズは、デビュー当時は大人達の反感を買っていましたが、次第に一般に受け入れられてきました。
でもストーンズは、教科書になんか載らないだろうし、排他的な人達に受け入れられることはないでしょう。
まだ黒人差別の激しかった時代に、黒人ミュージシャンを敬愛し、リズム&ブルースをベースにしたロック音楽を作ってきました。ですから、黒人の人達からも認められている数少ない白人ミュージシャンです。
マッシュルームカットで、お揃いの制服を着て演奏していたビートルズとは違って、メンバーがそれぞれ好き勝手な格好で舞台に出ています。
派手な服を取っ替え引っ替え着替えるミック。60年代のヒッピー風のままのキース。普段着のTシャツみたいなロン。チャーリーなんて、地味なポロシャツのそこらのおじさんです。
不本意なことを強制されず、それぞれの個性を認め合ってきたからこそ、多少のメンバー交代はあっても、43年もの長い間、喧嘩別れもせずに続いてきたのでしょう。

どんな批判にも負けず転がり続けることは、容易なことではありません。
過去の作品を上回る曲を作ることは難しく、同じ曲を何十年も高いテンションで演奏することも難しいことでしょう。
それでも彼らは、作りたい曲を作り続け演奏し、ファンを喜ばせるために、過去の曲も毎回アイデアを絞って演出しながら見せてくれます。
転がる石には、コケがつかないどころか、磨きがかかってどんどんツヤが出てきています。

無計画な生き方で、やることは鈍く、チャンスはつかめず、そんなことだからダメなんだ、将来どうするつもりだ、などと批判を浴びせられることも多々ありますし、自分でも多少の不安を感じることもありますが、転がり続けるっきゃないですね。
じっとしていると、他人のことばかり気になって、アラ探ししたり、批判的になったり、説教臭いことを言いたくなります。
転がり続ける人は、自分が転がることに夢中ですから、他人のことは気にならないし、楽しいことや面白いことも見つかります。楽しいことや面白いことが見つかったら、周りにも楽しい思いを伝えられます。
いつか、どこかにぶつかって大破するまで、デコボコ道に負けず、まわりのいろんな風景を楽しみながら転がり続けたいなあ、と思ってます。

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夢は自分で叶えるもの

オムツやミルクの世話から解放されると、動き回る子どもから目が離せなくなり、小学校に上がってようやく子育ても少し楽になったかと思うと、成績の心配が始まり、受験生の親となり、結局親は、ずうっと子どもを心配し続けなきゃならないみたいです。
でも、その間子どものことばかり考えて心配ばかりしていては、親の人生は子どものためだけに終わってしまい、子どもにとっても親がうっとうしいだけの存在になってしまう気がします。

うちの下の二人は危うく誘拐されそうになったり、息子などはさらに、ケガで救急車に乗ったり、迷子でパトカーに乗ったりという経験の持ち主です。長女だけは、知らない人に声をかけられても、答える気もないし、気づきもしないで通り過ぎるような子だったので、何事もなかったようです。(危険な目にあってても気付かないかも)
何度も血の気の引く思いをさせられています。
ですから、家でひたすら子どもの帰りを待つだけの生活を送っていたら、サイレンを聞く度に、うちの子ではと気になって、気が狂いそうになったでしょう。
何をしでかすか、どんな事に遭遇するかわからない子ども達ですが、親は子どもの生命力と判断力を信じて放任することにしました。危うい目に合っても、機転をきかせて逃げ帰って来たのですから、それぞれの能力を信じるしかありません。
どんなに頑張っても親が四六時中ついて回ることは不可能ですし、結局は自分で考えて判断して行動するしかないのですから。
その代わり、一緒にいるときは、できるだけ楽しく過ごしたいと思っています。
(そりゃあ、共同生活においてのモラルでキレることは多々ありますけど、基本的にこうすべきという指示はしません)

人間なんて、いつ運命が尽きるか誰にもわかりません。
だから、お母さんは美人薄命で永く生きられないはずだから、自分たちで生きていけるようにするんだよ、と小さい頃から言い聞かせてきました。(すでに十分生きてるから、美人でないこと証明しちゃったねえ、と言われてますが)
子どもだって、親より長生きできる保証はどこにもありません。
将来のことを見据えるのは必要ですが、将来のために今の生活をすべて犠牲にすることはないと思うのです。
だから、ほとんどの判断基準が、自分が好きかどうか、楽しいかどうか、自分にとって役に立つかどうか、です。
親が自分の夢を子どもに託すことはありえません。
例えば、親が東大に行ってたから子どもも東大へとか、親に学歴がないから子どもは東大へとか、親がレールを引くなんてナンセンスです。
子どもを東大に行かせたいと思うなら、親自身が自分で東大を目指せば良いでしょう。
子どもに何かをやらせたいと思うなら、親自身がやれば良いのです。
年齢なんか関係ありません。夢は、自分で作り自分で叶えるものです。

うちの息子も、二度目の大学受験真っ最中です。
浪人中勉強ばかりやれるわけもなく、ギターにゲームに映画と、十分な息抜きをしつつ迎えた本番です。(大丈夫かな〜)
それでも、勉強なんか大嫌いで、受験を決めた高三までほとんど勉強して来なかった息子にしてみれば、勉強の習慣がつき、勉強のコツがつかめ、やればやるだけ身に付くんだという実感を感じることができたのは、かなりの成長です。
浪人してまで大学なんか行く気はない、と言い切っていたのに、ある程度勉強して、もう少しという手応えを感じたのか、失敗したら、やっぱり浪人して勉強し直す、と言い出しました。
うちの子にしてみれば、画期的なことです。
父親は、ろくでもない大学なら行かなくてもいい、と言ってるようですが、大学は親の見栄で行くものではありません。
本人がやりたい学科を見つけ、行きたい学校を見つけたら、どんな学校でも勉強の場となるはずです。
成功するかどうかは際どいところですが、子どもが将来の夢を見つけ、勉強したいことを見つけ、そのために自分なりに頑張ってきたことは、誉めてあげたいなあ、と思ってます。

それにしても、うちはみんな勝手に息抜きだらけで緊張感のない受験生家庭ですが、真面目な受験生家庭の親御さんは、受験生本人より疲れてるでしょうね。
息抜きしてみてはどうでしょう。
「アイ・アム・サム」という映画をご覧になったことあるでしょうか。
七歳までの知能しかない父親が、七歳以上になる娘を育てられるか、ということで裁判になるお話です。
この父親は、親として根本的に必要なものを持っていて、こんな親子っていいなあ、と思わせてくれます。
ビートルズナンバーが効果的に使われていて、ビートルズを知っている人には別の楽しみもあります。

子育てって、こうすべき、こうあるべき、という枠を作ってしまうと楽しめないけど、こう育っちゃったか、と思いつつ今ある状態を受け入れていけば、案外楽しめるはずです。

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自分が自分を大切に思わないでどうする!

次女が、お正月におばあちゃんと叔父ちゃんと歌舞伎を見に行って、帰りに浅草の「今半」ですき焼きを食べた、という話を最近になってしました。
「今半」といえば、「異人たちとの夏」という映画を見なきゃ!
というわけで、昔録画した200本余りの我が家のビデオライブラリーの中から見つけ出して、二人で見ました。(長女は、前に見たことあると言ってました)

主役は、ある程度仕事には成功してるが、離婚したばかりの脚本家(風間杜夫)。
仕事の取材中に立ち寄った浅草で、12歳の時に死に別れた両親に出会います。
まず、郷愁に満ちた音楽と共に、寄席で父親(片岡鶴太郎)に出会うシーンがいい。鶴太郎がすごく良い味の父親をやってて印象的です。
その父親が、母親(秋吉久美子)の待つ、昔ながらの質素なアパートに連れていきます。
脚本家が住んでいる広々としたマンションとは大違いの、お風呂もない1Kの部屋で、明るい両親に歓待されて、今まで突っ張って頑なに生きてきた脚本家が変わっていきます。
腕は良いけど仕事が長続きしない鮨職人の父親だから、生活は貧しかっただろうけど、12歳までは、こんなにとてつもなく明るい両親に育てられ、楽しかっただろうと想像できます。
それが突然両親が亡くなり、おばあさんやおじさんたちにちゃんと育ててもらったとはいえ、それまでとのギャップは大きく、無理して取り繕い、気を遣いながら、気むずかしい大人に育ってしまったようです。

両親に悪気はなかったけれど、異世界の人間に会い続けることは脚本家を消耗させ、一気に老化していることがわかり、両親と別れることにします。
12歳のとき最後に両親と行った「今半」でご馳走するよ、ということで、異世界のテリトリーからははずれているので、長くは存在できないお店に、両親は行くことにします。
両親は、12歳までしか育ててやれないで、大事なことを何も教えてやれなかったのに、りっぱに育って嬉しいよ、と繰り返します。
脚本家は、自分はお父さんみたいに良い父親になれなかったし、良い夫にもなれなかったし、ダメな人間なんだと言います。
すると父親が
「自分が自分を大切に思わないでどうするんだ!」
と言い、母親も
「そうだよ。私たちはおまえを誇りに思っているよ」
と言いながら消えていきます。
せっかく煮えたすき焼きを食べる間もありませんでした。

リストカットや援助交際や、自分を粗末にしている子どもがたくさんいますが、親は生きている限り、「自分で自分を大切にしなさい」ということと「親は子どもを大切に思っているし、誇りに思っているよ」と言い続けてあげたいですね。
大人になってからだって、いろんなつらいことがあって、自分はダメ人間ではとか、誰からも好かれないのではとか、絶望的な気分になることもあるでしょう。
でも、誰がなんと罵倒しようが、自分だけは自分を大切に思いたいですよね。

勉強そっちのけで映画を見させたりして親失格なのですが、親子でボロボロ泣きながら感動を共有するのも大切ではないかな、と思ってます。
映画に限らず、テレビドラマ、アニメ、コミック、小説と何でも、これ良かったよ〜と教え合ったり、一緒に見て感動したりできるのも、子どもが自立して巣立つまでのことです。
子ども時代にしか楽しめないものもたくさんあるので、親子で大いに楽しみたいですね。

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