お買い物ごっこ

ちょっと前までは、子どもに簡単な買い物を頼んだりすることも多く、小学生くらいになればお金の数え方を知っていることが多かったような気がします。
最近は子どもを一人で外に出さないせいか、お買い物の経験のない子が多く、お釣りや両替の観念がわからないことが多くなってます。
計算自体は問題集などでかなりできる子でも、実生活でお金の計算をしたことがないため、具体的なイメージを持てないことも増えています。

そろばんはお金を知っていると説明がしやすく、1円が10個で10円、10円が10個で100円ということを知っている子は、すんなりそろばんの珠を読めるようになります。
算数の繰り上がり、繰り下がりの計算も、お金の計算ができればすぐに理解できるようになります。

繰り上がり、繰り下がりがわかってないからと、算数の問題集をつきっきりでやらせる保護者もいらっしゃいますが、せっかくの親子の時間を勉強に費やすより、お買い物ごっこでもして遊んで過ごした方が子どもも喜びますし、問題集よりもずっと実生活に役立つ計算が身につきます。
子どもと一緒の時間をどうやって過ごしたら良いかわからずに、小さい頃から勉強をやらせてしまう保護者も多くなってますが、工夫次第でいくらでも遊べるはずです。

実生活でも絶対必要になるお金の数え方は、子どもも興味のあることですから、ぜひ遊びに取り入れてほしいと思います。
お買いものごっこのオモチャや銀行ごっこのお金なども売ってますが、スーパーやデパートの広告を切って商品を作ったり、画用紙に金額を書いてお金を作ったりして、手作りのお店屋さんごっこも安上がりで、親子で楽しめます。
商品は、持っているオモチャや手作りのもの、日用品など、身の回りにいくらでも見つけられます。

遊びながら、全部でいくらになるか足し算したり、お釣りがいくらになるか引き算したり、細かいお金をお札に交換してもらったりなど、具体的なものを使って計算をすることで、理解も早くなり、記憶に残ります。
低学年でも、家でたくさん勉強しなきゃならないから大変、という生徒もいますが、紙上の勉強を大量にやるより、身体を動かして実体験に基づいた勉強をもっと楽しんでほしいと思います。

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子育て卒業!

Hamu090305 先日、次女の卒業式がありました。
6年間、成績不振で呼び出されるたびにお世話になった学年主任の先生は、壇上にいながら親以上にボロボロと泣かれて、生徒たちはそれに釣られて泣いていたそうです。
次女が大好きな社会の先生で、一見40代後半の普通のおじさん(失礼!)なのに、言うことやること全てかわいい!と年中次女の話題に上る先生でした。
これだけ親身になってくれる先生なら、と納得できました。

勉強は好きな社会しかやらず、いくら一つに絞るように言っても、とうとう三つの部活を6年間続け、好きな活動を思い切りやれた中高生活でした。
普通の女子高とは違って、自主自立を教育方針にかかげ、一見共学かと思えるような男の子のような活発な生徒が多く、うちの子のような女子高生らしくない子でも楽しんで通えて、本当に良かったと思いました。

受験の方は、大好きな先生の後輩になりたくて頑張ったはずが、英語が急に上達するはずもなく、目指した大学はほぼ全滅でした。
女子大三校とマンモス大学に合格し、女子大は嫌だと言って、学費が一番高いマンモス大に決めました。
(写真のハムスターは、従兄からの合格祝いです。)

レベルや世間体的に評価の高い女子大に未練が残る祖母や、英語だけがダメなら浪人すればという叔父の言うことには耳を貸さず、歴史の教育で評判の良い大学に行きたいという希望を通しました。
親としては学費だけがネックですが、調べると確かに歴史や文明に関する講座が充実していて、少人数制できちんと教育してくれそうです。多少遠くて毎日がフィールドワークでも体力はあるし、奨学金を取れるように頑張るという言葉を信じ、好きな道を選ばせました。

学歴社会で苦労した人や学歴信仰の高い人にとっては、大学のレベルで人生が決まってしまうような錯覚をしがちですが、20歳前後で何が決まるのでしょう。そのちょっと前の数年の成果に過ぎません。
実社会に出て勉強し直したいと思ったら、いくらでもやり直せば良いのです。
自分ができなかったことを子どもに託す、なんてナンセンスです。自分が後悔しているなら、自分がやり直せば良い事で、子どもは本人の意思でやりたいようにやれば良いでしょう。

子どもに楽をさせてあげたい、と安全なレールに乗せようと頑張るのも筋違いです。
できる限りの情報を提供し、いろんな選択肢を与え、人生にはいろんな道があって、いろんな世界があることを教え、試行錯誤を繰り返してもくじけない体力と気力をつけさせるのが親の役目だと思います。
その点で次女は、いろんな地図を持って、レールからはずれていろんな道を歩き回り、行く先々で新たな情報を手に入れ、失敗を繰り返しても人生を楽しんでいけそうな感じに育ちました。

夢に挫け気力に不安のある長女や、教師の勉強は片手間で熱心にミュージシャンを目指してる長男、歴史を勉強してミステリーハンターになりたいという次女と、世間的には真っ当な人生を歩みそうもない子どもばかりで、どんな子育てしてるんだ、と親族からは非難を浴びてますが、何にしても子育ては卒業です。
保護者会も、運動会も、学芸会も、入学式も、卒業式も、習い事の発表会も、一切の子どもの行事から解放されました。

三人の子どもの行事でスケジュール帳が埋まってたのは、遠い昔の話になりました。
カメラやビデオを片手に子どもの姿を追ってたのも、懐かしい思い出です。
あとは、あと何年かの教育費のために自分の予定を埋めていかなければ。
子どもたちがそれぞれに夢を追って、目標を持って生きていけるように、親も子どもに依存しないで、死ぬまで目標を持って進化し続けたいものです。

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受験開始

いよいよ今日から、次女の受験月間が始まりました。
顔を合わせると何時間でも親子でおしゃべりしていて、
「一体いつまでしゃべってる気?」
と(勉強とは無縁の)長女に注意されてしまう緊張感のない受験生ですが、とうとう本番が始まってしまいました。

一昨日長女は、受験生向けの合格祈願のお菓子をいろいろ買ってきました。
コンビニで買ったら、合格祈願の入浴剤をオマケにもらったそうです。
普段は時間がもったいないと、ほとんどシャワーですましてる子どもたちです。
当然、お風呂掃除もしたことがありません。
それなのに
「受験前日は風呂掃除してあげるから、この入浴剤使いな」
と言って、昨日夜遅く仕事から帰ってきた長女は、
実際に次女のためにお風呂の準備をしてくれました。
(自分は翌日朝早いからと、さっさと寝てしまいましたが)

長男は「ドラゴン桜」を熟読して受験指南をしたり、
日本史の問題を出してやったりしてたようです。
(本人にはまったく日本史の知識はありませんが)

普段は、バカにされてコキ使われてたりしますが、
結構姉兄に恵まれた妹だと思いました。

母親はというと、とうとう忙しさにかまけて放任のままでした。
栄養バランスを考えた食事なども作らず、
成績にも勉強時間にも特別関知せず、
いつまででもおしゃべりに付き合ってました。
その中で(ほとんど趣味に近い)歴史に関することや、
文学の話や、歌や映画に関わる英語の話などもしましたが、
受験には数パーセントも役立たないでしょうね。

親の仕事としては、どうにかこうにか塾代を出したくらいです。
塾では、気に入った先生を見つけたもので、
熱心に一番前で受講したり、質問に行ったりしてました。
兄のときとは比較にならない活用の仕方です。
もっと早く行かせていれば良かったと思いました。
同じ兄弟でも、個人指導が良いか集団の塾が良いか、
好みがはっきり違います。
ちゃんと見極めていれば、もっと早く勉強に取り組めたかもしれません。

受験校の選択も本人任せでしたが、
歴史の勉強ができればどの大学でも良いということで、
偏差値による大学への偏見もなく、
どの大学にどんな特性があるかをいろいろ調べてました。
一応高い希望はあるものの、
レベルも満遍なく選択したようなので、
無茶な受験校選択をしてません。
学校の面談では、アドバイスの必要がないと言われたそうです。

高二までは、勉強の方法がわからない、成績も上がらない、
いつも進級が危うく、親が毎学期学校に呼び出される、
という苦労をさせられました。
そんな調子ですから、中学レベルからのやり直しで、
一年間受験勉強をしてきたわけです。
信頼する塾の先生からは、受験が始まっても、
まだまだ伸びるはず、と指導されたそうです。
そのための、段階を踏んだ受験校選択など、
いろいろ工夫もしているそうです。

親は、子どもがやってみたい、という通り挑戦させるだけです。
見かけは子どもでも、もう大人のはずなので、
すべて子どもに任せました。
親は、受験当日のお弁当とおやつを用意してあげるくらいです。

少なくともこの一年間は、学校も塾も休まず、
それまでとは比較にならない位よく頑張ったと思うので、
なんとか希望通り大学生になってほしいものです。

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継続は力なり

小三から中三まで西教室に通って1級を目指しながら、高校受験で中断し、高校で復帰する予定が、学校が遠いため通えなかった生徒からメールが届きました。
大学進学も決まり、高校の授業ももうすぐ終わるので、また珠算と暗算の1級を目指したいということです。

一流といわれる高校から大学への進学が決まっても、それに安住することなく、今は資格が物をいう時代だから、やりかけていたことをやり遂げたい、ということです。
同級生である次女やその友人たちのおしゃべりにもめげず黙々と練習し、着々と実力をつけていった寡黙な男の子でした。
それが、自分からメールを寄越し、いろいろなアドバイスに礼儀正しく対応し、さわやかな文面で意欲を語る返事をくれたことに、ちょっとびっくりしました。
教室に通っていた6年間に話した以上に多くのことを話してくれた気がします。
いろいろな面でこんなにも成長して、と感動してしまいました。

一橋の学生さんで、証券会社に就職が決まってからの10ヶ月で、まったくの初歩から教室内のテストで準二級まで合格した生徒がいました。
優秀な生徒に共通するのは、非常に素直に指導に従い、忠実に練習を続けることができることです。
勝手な思い込みで指使いを変えたり、独自の方法を編み出したりせず、わからなくなったら何度でも聞き、基本には忠実に従うことが上達の早道だと知っているのでしょう。

去年、18年かかって公認会計士の試験に合格した友人がいます。
その間、結婚し、二人の女の子を出産し、子育てしつつ夫の会計事務所を手伝い、試験前には学校に通って受験する、という生活を毎年送ってきました。
普通ならとっくにあきらめて挫折するところですが、あきらめなかったことが合格につながりました。
「継続は力なり」の見本です。

何でもコンピュータで処理する時代に、珠算1級がどれだけの価値があるかといえば、実際にそろばんをはじくことで資格を生かす機会はほとんどないでしょう。
実生活で暗算は使えますが、実際の事務作業は、私でも全部パソコン任せです。
たまに検算を暗算でやるくらいです。

ただし、どんな資格でも1級などのトップランクの資格を取ることは簡単ではなく、勉強なり訓練なりを継続する必要があります。
特に珠算は一朝一夕で上達することは難しく、通常1級を取るまでには何年か訓練する必要があります。
一つのことに何年も取り組み、小さな目標を達成しつつ、最終的な目標に向かって努力したという経験は、ほかの勉強や仕事や人間関係など、人生の多くの場面で生かせるはずです。

多くの習い事に手を出し、何一つ最終目標を達成できないより、一つのことに何年も取り組むということが大事だと思います。
それには、遅過ぎるということはありません。
仕事でも人間関係でも、何やっても続かないという人は、何か一つの資格の最高レベルを取得する勉強を継続したら良いと思います。
何をやってもそつなくこなせる器用な人より、不器用で人の何倍も努力を必要とする人の方が、上達には時間がかかりますが、経験を有効に生かせるはずです。


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子どもに嫌われるのが怖いですか?

「たけしの日本教育白書2008」という番組で、今の親子関係の問題点を考えさせられました。

今の親子関係で一番ビックリしたのが、なぜこんなにも気を遣い合っているのか、ということと、子どもに嫌われることを怖がり過ぎている親がなんて多いのか、ということです。

子どもへのアンケートで、親とは友達のように仲が良いけど、何でも話せるわけではない、という意見が大部分でした。
当然でしょう。恋愛とか思春期の悩みを、何でも親に話せるなんて、ちょっと気持ち悪い。それより、何でも打ち明けられる友達を作りなよ、と思ってしまいます。
ところが、親に言えないというのは、そんな真剣な悩みではありませんでした。
親が作った料理がまずいとか、親が傷つくようなことは言えない、などという異常に親に気を遣った、なんということはない内容がほとんどでした。

「これまずい」とか言われたら、一発叩いて「それなら何も食べなくていい!」と言えば良いのでは、と乱暴な親は思ってしまいます。

親も子どもも、お互いに嫌われるのを異常に怖がっている感じがします。
子どもが親に気を遣って嫌われないようにするのは、生きていくための本能みたいなもので、小さい頃は誰でも親の顔色を伺うものです。

でも、親が子どもに嫌われないように気を遣い、ご機嫌を取ってばかりいたら、教育なんてできるはずありません。
褒めるのが一番の教育、としか教育評論家は言いませんでしたが、ダメなことは絶対ダメ、と言えなくてどうやって躾をするのでしょう。
時には、どんなに嫌われたって言うべきことは言わないと、親の本気が伝わらないと思います。

岡山駅から見知らぬ男性をホームから突き落とし死亡させた少年の父親が、子どもを犯罪者にしないための参考になればということで、インタビューに答えていました。
両親が揃ったきちんとした家庭で、しかもお父さんは子どもの面倒も良くみて、たくさん遊んであげていたそうです。我が家から見ると、羨ましいような家庭環境です。

ところが、いじめにあって、いくら抗議してもやめないので、親が家の中で守ってあげることにしました。
一切の友達から切り離し、マンガやゲームなど家の中でも退屈しないように気を遣い、時間があればお父さんも遊びに付き合います。
少年にとっては、お父さんが一番の支えで、絶対的信頼の対象でした。

高校に入学して、学校には通い出したものの、他人との付き合いにブランクがあったため、なかなか友達はできなかったようです。
そのため、勉強に熱中し始めます。
そして、東大などトップの大学を目指すようになります。

お父さんは、農業高校からトップの大学を目指すのは無理だと思いつつ、ずっと本音を言えず、見守ってきました。
そして、受験勉強に苦しむ息子を見かねて、「もう頑張らなくてもいいんじゃないか」と言ってしまいます。
この何気ない一言が、少年にとっては、大好きな父親から見放された言葉となって胸に刺さり、受験をあきらめ、犯罪のきっかけの一つとなります。

せっかく勉強に夢中になったなら、できるところまでやらせれば良いでしょう。
好きなところを受験して、ダメだったらあきらめるか、もう一度チャレンジするか、本人が選べば良いでしょう。
不合格になって落胆させたくないとか、無理に頑張り過ぎて病気にでもなったらとか、親が先回りして子どもの失敗を阻止することはないでしょう。
失敗しなければ、何の学習もできないし、何の進歩も望めません。

今の世の中、自分の子どもだけは絶対犯罪者になるはずがない、と自信を持って言える親は少数派です。
できるだけ成功者にしたい、快適な人生を送らせてあげたい、などいろいろな理想を持って子育てをしていても、空回りすることもあります。
親の思い通りに育たないことも多々あります。
誰も、他人に迷惑をかけるような人間や、犯罪者を目指して子育てしてるわけではありません。
それでも、無差別犯罪は後を絶ちません。

親は、ぬるま湯のような親子関係を守るだけでなく、子どもが自分で生きていける力をつけるために本気になるしかありません。
普段はだらしなくて頼りない親でも、いざという時は、本気で叱り、本気で守り、親はいつだって体張って育ててるんだぞ、ということを見せる必要があると思います。
嫌われたって、何されたって怖くないって度胸を見せることも必要です。

番組では、ソフトボールで金メダルを取った上野選手のお母さんが良かったですね。
お父さんがアメで、お母さんがムチのバランスの取れたご両親で、お母さんは嫌われ役を常に買って出ているようです。
「嫌われるのなんて、慣れているから全然平気」
と非常に潔いお母さんでした。





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夢中になれること

Inuyamajo_2 今年も、次女(高三)と毎年恒例の親子旅行に行って来ました。
(受験勉強中にもかかわらず)
次女の希望が「犬山城」だったので、ついでに近くの「明治村」にも行って明治時代の勉強もしてくることにしました。
(古代と戦国時代と幕末にしか興味のない次女は無関心でしたが)

犬山城は、小さいけれど、日本で数少ない天守閣まで現存する国宝級のお城だけあって、急な階段や部屋の造りまでリアルでした。
「小さっ!これ銀閣寺?」
とか言って親がからかっても、次女は感動しまくりでした。
「すごい!これって平城じゃなくて、平山城だよね?」(そんな専門的なこと知らないし)
「ここから石を落としたのかあ。本当に戦いに使ったって感じだよね。こんなお城欲しいなあ。」(まるでお城マニアのおじさんみたい)

一番の目的の犬山城巡りは初日にあっという間に終わり、親の目的の明治村に一日半を費やしました。
明治なんて好きじゃないけど、親に付き合ってやるか、程度についてきた次女は、ここでも感動しまくりでした。
小金井の江戸東京たてもの園で喜んでいた子ですから、その何十倍も古い建物があり、中にも解説付きで実際に入れたり、食事ができたりするのですから、喜ばないわけがありません。

夏目漱石、森鴎外、小泉八雲、幸田露伴などの文学者が住んだ純日本家屋、政治家の住居や公共の西洋風家屋、フランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテルなど有名な建物以外にも、監獄など特殊な建物もたくさんありました。
次女が一番喜んだのが、昔の牢屋の中でお茶を飲めたことです。
お盆シーズンの特別イベントだったのですが、雑居房に二人だけ閉じ込められて、出るときは「ありがとうございました」ではなく「出所おめでとうございます」と言われました。
華麗な調度品に囲まれた西洋館ではなく、文学者達の執筆当時を再現した書斎でもなく、こんなところに喜ぶのがうちの子らしい。
(これでも史学科を目指してます)

何でも平均的にできる優秀な子ほど、好きなことが見つからないから進路が決まらないと聞きます。
うちみたいに歴史しか好きじゃないし、勉強もそれしかしない、と徹底してると迷いようもないのですが、どれも平均以上にできるけれど、これが好きだから徹底的に勉強する、ということがないと、勉強もつまらないものになります。

うちの子はアイドルにしか興味がない、ゲームばっかりやってる、マンガばかり読んでる、とよく言われますが、好きなものがあるなら止めてはダメです。
好きなことには、徹底的にのめり込ませれば良いと思います。
次女の歴史好きは親の影響というより(親は歴史や社会系が一番苦手です)、マンガやゲームの影響が大きいと思います。
マンガやゲームから興味を持って、本を読んだりネットを調べたり、どんどん興味を広げていくのです。
基本的に最低限の勉強さえやったら、あとは好きなことを思い切りやって良い、ということにすれば、いつか本当に好きなことが見つかると思うのです。
親の偏見で、そんなもの、と言って禁止したら、もしかしたら特殊な分野のパイオニアになったり、ものすごい専門家になる可能性をつぶしてるかもしれません。
そんな大成はしなくても、自分の好きなことがあって、夢中になれる人生ほど幸せなことはないと思います。

来年80歳になる母は、「千の風になって」のヒット以来秋川雅史の大ファンで、自分で何度も電話してコンサートのチケットを取った、と話してました。
誰もが、ビジュアル系追っかけの長女や、ロックバンドにはまってイギリスまで行った母親の源流は、祖母だったのか、と血筋を実感しました。
10年来乳癌やC型肝炎の治療を続けながらも、歌舞伎を見に行ったり、プリザーブドフラワーの講習に通ったり、老後を満喫してましたが、この年になって、ここまで音楽にはまるとは思いませんでした。(家にいると一日中同じCDがリピートされてます)

子どもに好きなものを見つけさせたいと思ったら、親が好きなことを見つけて夢中になって、その感動を子どもに伝えるのが一番です。
必ずしも直接的に効果が出るとは限りません。(勉強につなげようと露骨だと逆効果にもなります)
親がいろんな音楽を聴いてても、同じ曲に興味を持つとは限りませんが、音楽自体には興味を持つかもしれません。
感動した本や映画の話をしても、面白そうと言って話にのったり、実際に読んだり見たりするかどうかはわかりません。
(我が家の確率では、ほとんど3分の1です。)
それでも、長女と一緒にコンサートに行ったり、長男と海外ドラマに夢中になったり、次女と三国志のマニアックな話をしたり、と親子のコミュニケーションには困りません。

ただし、親が大人げなく夢中になることには、大抵の子どもは冷たい視線を向けてきます。
でも、子どもにとって親は「元気で留守がいい」という存在ですから、まったく気にすることはありません。
そのうち「まったくうちの親は」とあきれながらも、保護者的にあたたかく見守ってくれるはずです。

【明治村】

明治村ホームページ

【マンガで読む明治時代】


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『坊っちゃん』の時代(第3部) 【啄木日録】 かの蒼空に ―凛烈たり近代なお生彩あり明治人  アクションコミックス



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最悪の子育ての結末

『強育論』(宮本哲也著)に
「最悪の子育ての結末とは、親が子を殺す、子が親を殺す、です」
という文章があります。
最近頻発している「誰でも良かった」という動機の無差別殺人は、親を殺したいけど実行できずに殺意が他人に向けられた代償殺人、という説もあります。

子どもが犯罪をを犯したら、それはやはり最悪の子育ての結果だと思います。
二十代の若者が事件を起こすと、親がテレビで謝っている場面がありますが、
「もし俺が何かしても、もう成人なんだから親が出なくていいからな」
と息子は言います。
でも、二十歳過ぎてもまともな判断力も自己責任能力も身につけていないとしたら、親の責任以外のなにものでもないでしょう。

たった二十年で、的確な判断力、生活能力、社会適応力などを身につけさせて自立させるのは簡単ではありません。
実際我が家でも、扶養期限がとっくに過ぎているのに自活できず、微々たる生活費を入れるだけで好き勝手なことして居候している娘がいます。
親も、出来の悪い子に産んでしまった負い目があって、なかなか強力に追い出すこともできません。
なんとかまともな生活力が身に付くまではと、多少でも勉強意欲を見せている間は仕方ないか、と甘やかしてます。
本人も負い目があるので、主婦業の半分を請け負ってます。
(といっても、母親自身がろくな家事をしていないので、微々たる仕事ですが)
遅くとも24歳までには自立させることを目標に育ててきたのに、一人目はもう無理そうです。

先日の秋葉原の事件では、犯人がネット書き込みしたという言葉が印象的でした。
「親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。親が周りに自慢したいから完璧に仕上げたわけだ」
親の過干渉の最悪の結末です。

私も、父親に対して一番むかついたのは、小学校5~6年の頃、図工の宿題を勝手に仕上げられたことです。
ロウの直方体で、人間の頭を彫るのが宿題でした。
美術が得意だった父は、不器用に彫刻刀を使っているのが見ていられず、
「ちょっと貸してみろ」
と言って取り上げて、やり方を教えてくれるだけならまだしも、目鼻立ちの整った頭蓋骨の形まで完璧な人間の顔なんかを彫ってしまいました。
モアイ像みたいに四角い頭部に目と鼻と口らしきものがついてれば上等なのに。
こんなの小学生の作品に見えない、学校に持っていけやしない、と必死に崩す作業をしましたが、翌日、美術の得意な同級生に
「おまえ、親に作ってもらっただろう」
と言われても何も言い返せず、とてもくやしい思いをしました。

親は、子どものためとか言いながら、結局は自己満足のために余計なことをしがちです。
そのせいで子どもがどれだけ苦労するかなんて、思いも及ばないのです。
子育てなんて、親の自己満足のかたまりです。
こうしてあげたい、ああなってほしい、自分がこうだったから子どもだけは、など親の欲求のままに子どもは育てられます。
でも、一番子どものためになることは、親は極力手を出さないことです。
その方が親の我慢が必要で、忍耐力を試されますが、子どもにとっては、自分で考え、判断し、行動することが、一番能力を伸ばせるのです。

とは言っても、『強育論』の作者のように、算数の難しい問題を、やり方も教えず、質問も受け付けず、ただひたすら考えさせるというのは、かなり優秀な子どもでないと実行は難しいでしょう。
うちの子ども達では、すぐに別世界にとんでしまい算数の問題などに真面目に取り組まず、あっという間にやめさせられそうです。
子どもにはそれぞれ向き不向きがあり、能力の違いがあり、発育の仕方や時期も違います。
同じ年齢でも、兄弟でも、比較するのはナンセンスです。
それぞれの子どもが、自分で自分の能力を伸ばし、活かしていけるようにするのが教育です。
そのためには、最低限の手助けをし、能力に合わせて徐々に手を離していき、自分でやらせていくことが必要だと思います。

今は、エリート校に入学しても、一流企業に就職しても、堅実な将来が約束されるわけではありません。
そのおかげで親が子どもにレールを敷きにくくなったのは、良い傾向です。
親は、子どもの能力と生きる力を信じて、過干渉にならないように気を付け、極力手をかけないようにすべきです。
子どもは、親が思っている以上にいろんな能力を持っていますが、親が関わっている限り能力を発揮できません。
親は、子どもの成長と共に、子育ての時間を仕事や趣味の時間に移行させ、子どもだけの時間を増やすことです。

といっても、贅沢な個室を与え、引きこもりが可能な環境を提供することはありません。
自分の自由になる個室が欲しければ、自分で稼いだ収入で払える部屋を借りて独立すれば良いのです。
親と一緒に住む限りは、完全な自由はなくて当然だし、親兄弟との共同生活における最低限のルールを守る必要があります。

もっとも、環境に恵まれなければさっさと自立してくれるかと思えば、そう期待通りにはいきません。
男女混合の狭い子ども部屋で、夕方はたくさんの子ども達が出入りする教室になってて共同スペースは使えないという、うちみたいな最低な環境にあっても、早く独立したいと思わない子がいますからねえ。

強育論-The art of teaching without teaching-

強育論
  • 強育論
  • 著者:宮本哲也
  • 価格:1470円(税込)

【目次】

第一章 賢い子育て 愚かな子育て

最悪の子育ての結末とは?
優秀児の壊れ方
ゆとり教育の「ゆとり」とはゆとり返済の「ゆとり」と同じ
中学入試を子どもの自立に「活用」する

第二章 自立を見守るまともな母親 自立を阻む有害な母親

追い風には乗れない
誰のための学習か?
わが子をよその子と比べるということは……
弱虫ママの負け犬語録集
優しさより強さを
心の傷 身体の傷

第三章 学習に王道はあるか?  

学問の王道
学習は本能である
効率的で無駄のない勉強法?
楽は得か?
筋力と学力

第四章 頭のよくなる学習法 悪くなる学習法

中学入試とワールドカップ
努力はつらいのか?
生きるための学力
善意は正義か?

付録 実践 試行錯誤型学習と手順暗記型学習

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そろばんを学ぶ意義

幼児が珠算検定で1級を取ったことが話題になることが時々ありますが、そろばんを英才教育の一種と考える人がいます。
確かに、小さな子どもに加減乗除を教えたり九九を教えれば、記憶力は抜群に良い時期ですから、反射的に覚える場合もあるでしょう。
そうすると、この子は天才だということで、周囲の大人も熱心に特訓して、たちまち上達することもあるでしょう。
そういう子の家庭では保護者も熱心で、毎朝早く起きて、朝食前に1時間そろばんをやり、そろばん教室へも毎日のように通うそうです。

その熱心さには脱帽ですが、一体何がそこまで親子を駆り立てているのかが理解できません。
せっかく才能があるんだから、最大限に伸ばしてあげたい、という親心はわかります。
けれど、それって本当に子どものためでしょうか?
うちの子ってすごいでしょう、って自慢したい気持ちの方が大きくないんでしょうか?
幼児期にしか持てない子どもの大切な時間を奪ってないでしょうか?

小さな子どもは、親が唯一の頼りで生きていますから、本能的に親のために一生懸命になれます。
親が喜ぶ顔が見たくて、一生懸命ハイハイしたり、歩いたりして発達していきます。
その延長で、親が勉強を教えて、良くできたとき喜んでくれれば一生懸命頑張りますし、逆にできなくてがっかりしたり、怒られたりしたら、萎縮して、なんとか機嫌を取ろうとするでしょう。
子どもの方が、親よりもずっと献身的だと思います。

でも、中には私のように反抗的な子どももいるでしょう。
自意識過剰で、親なんか頼らず生きていけると信じてるような子は、親が干渉すると反抗してやらなくなります。
いろんなことに反抗してた子ども時代ですが、そろばんなどの習い事には、通わせるだけで、家でやらされたり、習っていることに干渉はされませんでした。
そのおかげで、小三の一年間で6級まで進んだので、小四のうちに3級、五年の二学期までに2級が受かれば、小学校のうちに1級は合格するだろう、と自分で計画をたてました。
そして、2級まではほぼ計画通り進みましたが、1級の検定試験で何度も失敗し、中一までかかってしまいました。

子どものくせに生意気ではありましたが、特別優秀だったわけではなく、昔は週に4~5日と毎日のようにそろばん塾に通ってましたから、小学生のうちに3級以上合格するのは普通でした。
ご両親の中には、大した苦労もなく検定試験に合格した経験から、週1~2回で同じように検定に受かるだろう、と勘違いされる方も多いのですが、今はそう簡単ではありません。
いろいろな習い事や塾に忙しい子どもにとって、そろばんにだけ集中できる環境ではなくなっています。

ことに優秀な生徒に限って、早くから進学塾に通ったり多くの習い事で忙しくなり、途中でやめるケースが多いようです。
また、最初は簡単過ぎることから始めるので順調に進んできたのに、急に難しくなって行き詰まると、「できない」ということに慣れていないために、やる気をなくしてしまう場合もあります。
そろばんの良いところは、どんなに優秀な人でも、いずれどこかでつまずき、スランプに陥り、それを乗り越えることで成長できる点だと思うのですが。

今、検定試験の上級まで目指す生徒の多くは、特別優秀というわけではなく、多くの失敗にもへこたれることなく、地道に継続できた子ども達です。
特別早く進むことにもこだわりませんし、できなくてもあまり落ち込むことなく受け止め、何度でもわからないと聞き、間違いを繰り返しながらも、いつの間にか進んでいることが多いようです。
ですから、中学、高校になっても自分の意思で続けることができます。
そういう子の保護者のほとんどが、普段はあまり深く干渉せず、いま何級で何をやっているかも知りませんが、途中で嫌になってやめたいという時だけ、目標までは続けるように勧めています。

保護者の方があきらめが早い場合も多いのですが、本人と保護者があきらめた時点で、何事も終了してしまいます。
目標に達成しないでくじけそうになっている時は、何とかフォローすることも必要です。
指導する側としても、決してあきらめないことが鉄則です。
何十回でも何百回でも、同じ生徒に同じ事を教える場合があります。
時には、このままで大丈夫だろうかと不安になることもありますが、絶対どこかでスルッと抜け出してくれます。

自分がそろばんをやって良かったと思うことは、計算が速くなったことだけではありません。
目標を達成するためには、あきらめずに続けることを身を持って実感できたことです。
最初の頃は周囲より早く進んで得意になってた時期もありますが、後から入った一年下の天才的な子にあっという間に抜かれ、世の中甘くない、ということも学べました。
昔は段位検定というのがなかったのですが、珠算塾で指導助手のバイトをしてた時、先生に受けてみないかと勧められ、何年ぶりかで珠算練習を再開しました。
20歳を過ぎて段位を取った時、教室で初めての段位検定合格者だと喜ばれました。
その時は、教えながら自分も練習するという体験ができたので、指導者講習に参加するよりも指導の勉強になりました。

計算が得意だからさらに伸ばしたい、計算が苦手だから何とか克服したい、とそろばんを始める動機はいろいろです。
元々計算が得意な人は、そろばんができなくても数字に強く、頭の中で独自の計算方法を編み出している場合もあるでしょう。
だから、必ずしもそろばんが計算力を伸ばす一番の方法とは限りません。
ただ、そろばんは数字を珠に置き換えて、目で見て指で動かして頭でイメージしてと、人間の感覚を駆使して計算を身につけます。誰にでも簡単にできるのです。
ただし、習ったことを忠実に繰り返して、反射的に指が動くまで身体で覚える必要があります。
とても時間がかかるので、途中であきらめてしまう人が多いのです。

本人が嫌になってあきらめるのではなく、保護者の方が何年もやってて級が進まないから他の塾や習い事に変える、という場合もあります。
進学塾などでどうしても続けられなくなって、という場合もあります。
そんな場合、現在挑戦している級を合格することを目標にして、合格したらやめる、というように目標達成した時点でやめることで、挫折感を減らすことができると思います。
6級に受からなくてやめたんだ、というより、6級に合格してやめたんだという方が、自分を否定せず肯定的に生きられると思うのです。

最近はそろばんが再認識され、計算力をつけるにはそろばんが一番という関心の高さは嬉しいのですが、毎日何時間も練習している天才児と同じように、週に1~2時間で飛躍的に上達できるわけがありません。
週に1~2時間でも、休まず何年も続けることで、少しずつ上達するのです。
その間には、必ず停滞する時期もあり、飛躍的に伸びる時期もあります。
何を学ぶにも一朝一夕では達成できず、上達には山あり谷ありで、自分のモチベーションをどうコントロールしていくかを知ることが大切です。

たかがそろばんですが、長期間学ぶことで、いろんな勉強、仕事、人生の縮図のような体験ができると思います。
親に言われて嫌々続けてたような子でも、検定を取るまで継続できた子は、きっと自分のことをよくわかっていて、自分の人生を大切に考えることができるでしょう。

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読書の環境

子どもを本好きにしたい、とは多くの親が思うことでしょう。
とりあえず、手近に本があって、小さな時は親が本を読んであげること、大きくなったら親が本を読む姿を見せること、などは必要かと思います。

そうはいっても、同じ環境に育っても同じように育つとは限りません。
次女はかなり本好きで、長女も海外の文学なら読みますが、長男はライトノベルくらいしか読みません。
それでは、次女に一番本を読んであげたかというと、そうでもありません。
次女の小さい頃は、いろいろと忙しい時期で、夜になると親の方が眠くなってしまいます。読みながら半分寝ぼけてデタラメを読むので、年中子ども達から訂正されていました。
まあ、それで親は頼りにならない、と自分で読むようになったのかもしれません。

我が家には、昔実家が本屋だったおかげで、ちょっとした本屋が開けるほど本はあります。(全部読んだの?と言われると積ん読の方が多いのですが)
文庫なら日本文学、西洋文学、古典までいろいろ揃ってます。
それなのに、そのほとんどは誰も読んでくれません。

たまに、話の流れで、こんな本があってね、などと話すと興味を持ってくれます。
カフカの「変身」などは、マンガやいろんなところにパロディとして使われていたりして、元ネタはカフカだよ、なんて話すと、長女などは飛びつきます。

先日は、次女と国語の話をしていて、それにしても夭折の作家って二十年くらいの人生で普通の人の一生分の体験をするのかね、という話になり、ラディゲの話をしました。
「肉体の悪魔」なんて、十代の子が書いたとは思えないよ、なんて話をしたら、下ネタ好きの親父ギャルは俄然興味を示します。
親がそんな本読ませて良いのか、という批判は気にしません。(次女が「蛇とピアス」を友達に貸したら、なんて本貸してくれるのよ、と驚くようなお堅い親じゃないもので。)
多少際どい描写があっても、それを上回る感動があれば、ぜひ読ませたいとも思います。
しかも、同年代の17歳くらいで書いている作品であれば、文学部などで多少でも小説らしきものを書いている次女にとっては、相当な刺激になるでしょう。

普段から、興味を持ったら読んでほしいと思い、読んだ本は食卓近くに置いておきます。
(特に、勉強法などの本は、次女に読ませたいと思いつつ)
先日ご紹介した「脳を活かす勉強法」の本も、消えていたので、次女が読んでくれたか、と思ったら、珍しく長男が読んでいました。
マンガなら、少年マンガ青年マンガから、少女マンガまで制覇する長男で、ライトノベルは読んでも文学書などはほとんど読まず、ベストセラーにも興味がありません。親としてもあまり期待していなかったので、ちょっとびっくりしました。

そろそろ勉強しようかなと思って、それには効率的にやった方がいいかな、と読んでみたそうです。(大学の二年間は何やってきたんだか・・・)
自分がやってる方法が結構あって、それが科学的に解説されてて面白かったそうです。

初めて、本のある環境は必要なんだ、と実感しました。
自分は、あんなに本に囲まれた贅沢な環境に育ちながら、マンガばかり読んでまともな本は少ししか読まず、なんてもったいないことをしてたんだろう、とつくづく後悔してます。
それでも、本の知識だけは人並みに持てて、子ども達に多少は教えることができただけでも無駄ではなかったのでしょう。

本をたくさん読んだからって偉くなれるのか、成功できるのか、と聞かれると、定かではありません。
だけど、成功している人のほとんどは、確実に大量の本を何度も読んでいますし、読書は必要条件であることは確かだと思います。
そのうえで大量の行動を起こさなければ、十分ではないのでしょう。

でも読書は、いろんな世界を体験でき、感動できるってことだけで価値があるでしょう。
せっかく、読もうと思えばいくらでも本が手に入り、小さい頃から働かなければならないとか戦わねばならない、などの過酷な環境でもない日本にいるのです。
毎日10分でも15分でも時間があれば、本は読めます。
たくさんの子ども達が、たくさんの感動を味わってほしいなと思います。

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サボり方教えて?

「お姉ちゃんったら、学校ってどうやってサボるの?仮病とか?なあんて聞いてくるんだよ。
あの年になって聞いてくる時点で、才能ないし無理だよね。仮病使える演技力もないし」
いやいや、才能とか演技力の問題じゃないでしょ。
バイトの合間に専門学校に通う長女が、どうしても行きたいライブがあって、次女に相談したんだそうです。

長男と次女の下二人は、小学校からずっと、お腹が痛いとか、気持ち悪いとか、不特定の体調不良でひと月に一回以上は休んでいました。担任の先生も、自分で調整してストレス発散になってるようだから、と大目に見てくださったので、あまりうるさくは言いませんでした。
ところが、一番勉強嫌いで学校嫌いの長女は、めったに風邪も引かない丈夫な子で、休みたくても休む理由がつけられず、ほとんど欠席をしたことがありません。
弟や妹のように平気な顔してウソをつくこともできず、年中風邪を引いてる弟妹をうらやましそうにしながらも、サボることは思いもつきません。

と言っても、休まない、というだけで、授業を真剣に聞いているわけではなく、常に別世界に飛んで行ってるような子なので、学習効果は非常に低いのですけどね。
それなら、たまに休んでも、普段は真面目に授業を受けた方が効率は良いともいえます。
それでも、要領悪く生真面目な子に、要領よく生きることを求めても無理なんでしょうね。

同じように産んで、同じように育ててるつもりでも、遺伝子が微妙に違って、親の接し方も微妙に違うことで、三人いれば三人とも違って育っていきます。
三人共同じなのは、世間一般のみんなと同じであることに興味がないこと、好きなことには夢中になり、嫌いなことにはまったく無関心なこと、と親自身と同じです。
自分と同じだったり、それぞれまったく違ったり、という子ども達が、いろんなことをやらかしてくれて、それぞれに育っていくのを見るのは、面白いですね。

一般常識から見るとはずれっぱなしで、常識的な親だったら、一体これからどうするつもりなの?と詰め寄りたいところですが、一歩引いて傍観者になってみると、なかなか楽しめます。
お互い無関心なようで、何となく仲が良い時もあるし、親がいなくても関わりを持っていてくれるのは、何となく安心でもあります。
予定では、中学卒業の頃までには、みんな自分の身の回りの衣食住の始末はできるようになっていて、長女はそろそろ自立して、というはずでしたが、どうも予定通りにはいきません。
それでも、パラサイトになれるほど頼れる親じゃないということはわかっているはずなので、そのうち何とかやっていってくれることを期待しています。
なんといっても、一番サボってるのが、親自身の親業なんですから。

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「1日30分」を続けなさい!

「1日30分」を続けなさい!人生勝利の勉強法55

大学受験まで一生懸命勉強して良い大学を出てもその後勉強しない人より、学歴はなくても勉強を続けることで成功する、というビジネス本ですが、勉強をする習慣のない人が、どうやったら勉強の習慣をつけられるか、というコツを教えてくれます。

この手の本は、やりたいと思うことが大事とか、精神論に終始するものが多いけれど、具体的に何をやれば良いか、という実践的な方法を売りにしています。
テレビを見る時間を減らす、通勤・通学などは電車を利用して読書や勉強時間に当てるなど、ありきたりのことも多いですが、さらに具体的に何をするか、どんな用具を使うと便利かなど、実行を促す内容になってます。

午前中は果物だけ食べるなどは、どうかなあ、とも思いますが。
別の脳関連の本では、朝食では炭水化物をとらなければ脳が活性化しないと書かれてたので、その方が説得力がありそうな気がします。

凡人には「続ける」ということ自体が難しいわけで、何度もやろうと思って挫折してることだらけです。
すると、三日坊主でも何回も続ければ何時間分か勉強したことになり、何もやらないよりマシと励ましてくれます。
今まで継続的に勉強したことはないけれど、何かやりたいと思った人に、とにかく実行させようという方針です。

ただし、やる気のない人は対象にしてません。
義務教育が終わった人に勉強を強制することはできませんし、自分が今のままで良いと思っている人には、誰が何を言っても無駄だからです。
ただ、どんなに優秀な人でも、現状のままで現在の生活が保障される時代は終わりましたし、今以上の生活を確保するためにも、誰にでも勉強は必要、と具体的な数字データも使って解説しています。

著者は現在英語も教えているということで、英語の勉強法にもページを割いてます。
勉強しなきゃ、という意識はあるものの、どうやったらよいかわからず、結局趣味の世界に走ってしまう次女にも読むことを薦めました。
「結構面白かった。
30分勉強したら15分休憩ってのがいいね」
う~ん、30分だけでそのまま趣味の世界に突入しそうだなあ・・・

一番参考になったのは、本の買い方です。
「本は一冊だけ買って、その日のうちに読み始めること」
読みたいと思った本を見つけたら、後で買っておけば良かったと後悔することも多いので、とにかく買っておくのが基本方針でしたが、積ん読が多くなります。
確かに、すぐに読み始めた本はたいていすぐに読み終わりますが、そのうち読もうと思っていると、結局読まないまま新しい本に走っています。
少し自重しなければ・・・

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キンモクセイの香り

「キンモクセイのいい匂いがするね」
と言いながら、小三の男の子が入ってきました。

自宅の玄関の前に大きなキンモクセイの木があり、窓と玄関を開け放っておくと、キンモクセイの香る秋らしい空気が入ってきます。
ちょっと前まであんなに暑かったのに、気持ちの良い凛とした空気にキンモクセイが香り、一番好きな季節です。

前の日、実家で母とお墓の話をしました。
5年前に亡くなった父のお墓がいまだに決まらず(多磨霊園の高倍率の抽選に何度もはずれて)、母はいい加減どこかにお墓を作りたいようです。
私は宗教行事に一切関心がなく、自分の時は墓も仏壇も戒名も何もいらないから、と子ども達に言ってます。
弟は、法事やお墓参りなどは一応熱心にやってますが、自分の墓はいらないから、作るなら母と二人分でいい、と言ってるようです。
そこで母はいろいろ調べ、樹木葬っていうのもあるんだって、と話してくれました。
お骨を土に混ぜ、そこに好きな木の苗を植えるそうです。

それはいいね。(墓石に何百万もかけなくて済んで)
あとの手入れもいらないし。(掃除や草取りなど、お任せとはいえ、お墓参りには必要でしょうから)
などと、不信心の親不孝者なもので、適当に答えてました。

でも・・・自分もそうしてもらおうかな・・・
キンモクセイとか植えてもらったら、秋には良い香りを広げることができるかも。

そんなことを考えながら夕飯を作っていると、次女がやってきて
「トイレ臭くてやんなっちゃう!」

「はあ~?」
長女と二人で顔を見合わせました。
「キンモクセイが臭いって、どっかおかしいんじゃないの?」
すかさず長女が非難しましたが、親としては、ここまで情操教育が欠如してたか、と唖然としました。
小三の男の子でさえ、挨拶代わりにあんな気の利いたセリフを言えるのに・・・
文芸部で小説書いたり、アフレコ部で台本書いたりしてるみたいだけど、こんな情緒のない人間に何が書けるんだろう?

小さい頃、動物園は喜んだけど、植物園は「花ばっかりでつまらない」などと言ってた子です。人体とか歴史とか、とにかく人間に関するものは好きだけど、それを取り巻く環境には関心がありません。
我が家で唯一宗教行事も好きで、みんなが忙しい時は、一家の代表として法事などに積極的に参加します。
おじいちゃんの仏壇購入にも参加してて、いらないって言うのに、親の仏壇も用意する気満々です。(まだ生きてるって!)

自然のものより、人間が作ったものが好きみたいです。
次女に死後の事は託したくないなあ。
何百万の御影石より、何百円のキンモクセイの苗がいいんだけどなあ・・・

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文化祭活動

次女の文化祭に行って来ました。

アフレコ部、文芸部、天文部と三つも掛け持ちしている上に、図書委員までやって、まさに勉強以外の活動のための中学・高校生活を送ってきましたが、今年が実質的な活動は最後(のはず)の文化祭でした。

文芸部は小説のようなものを提出して終了、天文部は夏の合宿に参加して多少展示物のお手伝いをして終了、図書委員は古本市の店番を一時間程度するだけですから、文化祭当日はアフレコ部がメインの活動です。
アフレコ部は、毎年アニメなどの動画に声を合わせて録音したものを発表します。

例年メジャーなアニメを借用していましたが、著作権管理が厳しくなって処理が大変になったため、今年はマイナーな動画を探したそうです。
今やかなりメジャーになってしまいましたが、「やわらか戦車」のような個人が制作したものなら許可が得られやすいのでは、というので次女が探したのが、「アガリスクエンターテイメント」という企業の動画です。

http://www.agarisk.com/product/

「そのとき歴史がウゴイタ?」

http://www.agarisk.com/product/history/

アニメ自体はそれほど動きのない簡単な動画ですが、歴史をネタにしたコント風の脚本が面白くできています。
これをそのままお借りして、声だけ部員達が吹き替えたのですから、面白いのも当然で、結構受けてました。

アフレコ部に対しての積極的活動には、まったく感心します。
ネットで面白いと思って、文化祭で使用できないか問い合わせたら、快く了承してくれただけでなく、台本まで貸してくださったそうです。
しかも、実際に会って制作の話なども聞かせてもらって、感動して帰ってきました。いつもなら、自分で聞き書きして台本を起こすところを、今年はかなり手間も省け、練習もできたようです。

次女の学校は、文化祭や運動会のような行事をすべて生徒の自主性に任せ、運営・管理などの実質的な勉強をさせてくれます。
著作権処理などにも厳しく、自分たちで処理できないものは使わないように、ということなので、生徒自身が何を取り上げて、どう処理していくかを考え、実行します。
少し前までは著作権についての認識が甘い先生が多く、授業で使うなら構わないだろうと平気でコピーしたり生徒に見せたりするケースが多々ありましたし、現在もあるでしょうが、かなり意識が高まってきたようで、制作会社としても喜ばしい状況です。

アフレコ部の発表の難点は、映像と音声が別々で、数編の動画もバラバラの状態で、いちいち動画をパソコンで立ち上げ、音を合わせるという作業をするため、時々音と絵が合わなかったりしたところ。
どうせなら、身内に映像の専門家がいるんだから、ソフト借りて使い方習って、映像と音声を合わせて、それぞれの話をつなげれば良いのに、と気になりました。
まあ、映像業界に入ることは、生活の保障ができないので勧めませんが。

文化祭が終わったら、実質的に部活動は卒業のはずなので、それまでの精力を勉強に傾けることができたら相当なものです。が、実際には無理でしょうね。
成績がどん底で、家でも学校でも部活動の掛け持ちはやめるように何度も言われ、本人もやめますと、その場しのぎで言ってたにもかかわらず、とうとう最後まで兼部を続けてきました。
それだけいろんな人間関係を築いたり、興味を広げたり、幅広い勉強にはなってきたんだろうな、とも思います。
ただ、今のように好きなことを思い切り続けるには、嫌いな勉強にも開眼しないと無理だということを、いい加減気づいてほしいものです。

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お金の教育~一生お金に困らない子に育つ本

6歳からのお金入門

お小遣いをいつから与えるか、子どものお金の管理をどうするか、ということから、親子で経済についてどう学んでいくか、ということまで丁寧に説明されている本です。
親でさえ家計簿が続かないのに、子どもにお小遣い帳をつけさせるのは難しいし、親戚の家に行くたびに余分なお小遣いをもらって、親は管理しきれないし、と子育て中に子どものお金で悩むことは多いものです。
そんな悩みの参考になると思います。

日本では、子どもにお金の話はタブー、という風潮がありました。
現在でも、早期教育で二桁、三桁の計算は教えても、お金の数え方は教えていない、という家庭もあります。

そろばんでは、そろばんの珠をお金で置き換えると説明が簡単なのですが、一円が五個で五円、十個で十円などの感覚がわからない場合、お金の説明から始めたりします。
どうせ計算を教えるなら、簡単な買い物をさせてお釣りの計算をさせたり、お金の数え方から教えてほしいと思うことがあります。

また、早期教育で計算を覚えた子の中には、数字の変換だけが素早く、数をイメージでとらえることができない場合があります。
そうすると、目で見て手で動かすそろばんの計算になかなか慣れないことになります。
当然お金の両替の感覚もなく、お買い物でお釣りがいくらか、という計算もできず、実生活には使えない計算力となっています。

親が自営業の場合は、物を仕入れて売ったり、技術やサービスでお金をもらうという収入の流れ、事業を運営していくために資金を貯めたり、借金をしたり、帳簿をつけたりというお金の運用管理などを身近にみることができます。
時には子どもも直接手伝い、経済活動に参加する機会もあります。

ところがサラリーマン家庭では、労働の現場も見えず、お給料も銀行振込で、給料明細も紙ではなくネットで確認という時代になっています。
さらに通信販売で物を選び、カードで支払い、銀行から引き落とされる、というようにお金の動きが昔以上に見えにくくなっています。

そんな中でお金の価値をきちんと教え、お金を得るためにはどうするか、苦労して得たお金をどう使うか、ということは、子どものうちから身を持って学ぶ必要があると思います。

何年か前にベストセラーになった「金持ち父さん貧乏父さん」では、小学生の頃から働いてお金を稼ぐ経験をさせ、ゲームの「モノポリー」で経済教育をする、ということが書かれていました。

DSのゲームで「おいでよ どうぶつの森」というのがありますが、これもちょっとした経済の流れを経験できます。
よくあるゲームのように、戦いに勝ったり、宝物を探すことでお金をもらうのではなく、果物を育てて収穫したり、虫や魚を捕ったりして、それを売らないとお金になりません。
長く続けると、事業家のタヌキや博物館のフクロウ、喫茶店のハトからいろんな苦労話が聞けるのですが、子どもにわかるかなあ、というような愚痴や経営のしくみが含まれていたりします。

物があふれ、贅沢させようと思えばいくらでも贅沢させられる世の中ですが、本当に欲しい物は何かを見極め、手に入れるまでの苦労を味わい、時間をかけてやっと手に入れた時の喜びを知り、手に入れた物をいつまでも大切にする、という姿勢を身に付けてほしいものです。
親のようにお金に苦労することなく、お金に振り回されることなく、人生を楽しく有意義に過ごすためにはどうしたらよいか、という観点からお金について学んでほしいと思います。
そのためには、親も家計を見直し、経済について学ぶ必要があるのですが。

金持ち父さん貧乏父さん

THE BEST タカラモノ DXモノポリー

おいでよ どうぶつの森

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頭が良いということ

天才柳沢教授の生活 25 (25)

三年ぶりに新刊が出た、我が家の愛読コミックの一つです。
少年時代の逸話二編は、いつもながらホロリと感動させられます。
その他、携帯メールの話など笑える話、父親を亡くした学生の話など、傑作揃いでした。

柳沢教授は、9歳で大学レベルの学力を持ち、シェイクスピア研究家であるお父さんの大学の講義を聴きに行ったりしています。
お父さんの講義だけでは物足りないから、他の講義も聴けるようにしてくれと言ってお父さんを困らせます。
まだ子どもだからダメだと言われると、もう大人だと主張するところが子どもらしいのですが。

生真面目な息子とは正反対のタイプのお父さんは、大人の世界に息子を連れて行きます。
裸体像を描く画家や、キャバレーを経営する親友にも会わせます。
9歳の少年には理解できない世界、理解できない友情の絆、本を読んだだけでは理解できないことがたくさんあることを教えようとします。
論理的な思考を身につけ、それに従って行動できるのが大人だ、と思っていた柳沢少年は、わけがわからなくなります。

学校では、休み時間にも本を読み、友達と無邪気に遊ぶことができません。
本人は、読みたい本があるから外で遊ばない、と言ってますが、遊ぶ楽しさを理解できないのでしょう。
学校の成績はトップで、さらに大学生レベル以上の本を読む柳沢少年は、クラスでも一目おかれ、(戦前の話なので)軍事教練に参加しなくても誰も文句言いません。

ところが、勉強もできないで、誰とも遊ばない目立たない友達が、
「柳沢くんは、頭が良くない」
と言います。
周りの友達はびっくりして怒り、本人もショックを受けます。
(と言っても、本人はみんなと違って思慮深い大人、と思っていますから、なぐろうとする友達を一応止めますが)

何故だろう、どういうことだろう、と疑問を持つと、解明せずにはいられない柳沢少年は、自分の気持ちを抑え、どうしてあんなことを言ったのか尋ねます。
「君は、曖昧なことがわからない。
だから、人が言った裏側の気持ちがわからない。
劣等感がわからない。
普通の人が、普通にわかることがわからない。
でもこれは、欠点ではないよ。
君の特質なんだ」

まさにそうだ、と思い当たりました。
論理的に証明できないこと、感情的な行動など、まわりの人間の不可解な行動(普通の人にとっては普通の反応)、また、自分に時々わき上がる嫌な感情が、柳沢少年には理解できません。
そう言い当てた友達は、人間観察に優れ、クラスの友達のそれぞれの特徴を見抜き、将来はどんな大人になるだろうと想像することを楽しんでいました。

それでは自分は将来どうなると思うか、と尋ねると、
「柳沢くんは、頭良くないし、器用じゃない。
だけど、目の前の問題から決して目をそらさず、まっすぐ受け止めるから、
学校の勉強を超えて、ずっと、本当の意味の勉強を続けていくんじゃないかな」

友達と無心に遊ぶこともできず、喜怒哀楽の感情も理解できず、周囲にとけ込むこともできない不器用な柳沢少年は、こんなユニークな友達にたくさん出会い、それぞれの人間性をまっすぐ受け止めながら、育ちます。
そして、交通ルールなどの規則はきっちり守り、一日のスケジュールもしっかり守る杓子定規な大学教授ですが、ビジュアル系ロックに傾倒した派手な格好の学生(ちなみに娘の彼氏)でもヤクザの学生でも、どんな学生でもまっすぐ受け入れる人間に育ちました。

そんな教授には、難しい本を読むおじいちゃんに憧れる幼稚園児の孫娘がいます。
経済学の本を借りて、ひらがなを拾い読みし、おじいちゃんの四角四面の行動をマネし、おじいちゃんと同じになろうとします。
でも、中身は天真爛漫な子どもで、教授と違っておちゃらけて無邪気に遊べる子どもなのが、とっても嬉しい。
おじいちゃんみたいな天才的頭脳はなさそうだけど、普通に子どもらしく遊べて、普通の感覚が普通に理解できるって、ある意味幸せです。

天才柳沢教授の生活 (24)

天才柳沢教授の生活 (23)

天才柳沢教授の生活 (22)

天才柳沢教授の生活 (21)

天才柳沢教授の生活 (20)

天才柳沢教授の生活 (19)

天才柳沢教授の生活 (18)

天才柳沢教授の生活 (17)

天才柳沢教授の生活 (16)

天才柳沢教授の生活 (15)

天才柳沢教授の生活 (14)

天才柳沢教授の生活 (13)

天才柳沢教授の生活 (12)

天才柳沢教授の生活 (11)

天才柳沢教授の生活 (10)

天才柳沢教授の生活 (9)

天才柳沢教授の生活 (8)

天才柳沢教授の生活 (7)

天才柳沢教授の生活 (6)

天才柳沢教授の生活 (5)

天才柳沢教授の生活 (4)

天才柳沢教授の生活 (3)

天才柳沢教授の生活 (2)

天才柳沢教授の冒険 (1)

天才柳沢教授の生活傑作集 (1)

天才柳沢教授の生活傑作集 (2)

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それぞれ、違っていていいんだよ



だから、僕は学校へ行く!



五体不満足

『五体不満足』の乙武洋匡さんが、今年の四月から小学校の先生になったそうです。
『だから、僕は学校へ行く!』では、スポーツライターから教師を目指すまでの経緯、世界中の学校を巡った体験、「新宿区子どもの生き方パートナー」として、新宿区の小中学校を巡った体験、二十代最後の一年間に通信教育で教職課程を取得した体験などが書かれています。
そこには、自分が体験した教育を振り返りながら、現在の様々な教育の問題が提示されています。
「ゆとり教育」「危機管理」「体罰」「セクハラ」「地域格差」「学力低下」「多国籍化」「障害児教育」「いじめ」「不登校」などの問題を、実際の教育現場で見て、現場から離れたところで、具体的に何も行動してない人達が教育問題を討議していることの無意味さを感じていきます。

体罰の問題。
いじめっ子だった乙武少年は、ほかの仲間同様に、車椅子から弾き飛ばされるほどのビンタを先生からもらい、初めていじめた女の子の気持ちがわかった、と言います。
でも今は体罰がまったくなく、忘れ物をしても、いじめをしても、大した叱られ方をしてないことに疑問を持ちます。

体罰は、戦時中の学校令から禁止されていてたのが、保護者の意識の違いから、現在のような絶対禁止という状況になったのでしょう。
私自身、中学などで見てきた体罰に納得のいくものは一つもなかったので、他人である教師が体罰をすることには無理があると思います。
だからといって、何をやっても許されるという環境は、決して子どもに良いとも思えません。
言ってもわからなければ、身を以ってわからせる必要もあるでしょう。
物は使わず自分の手を使って、叩いた方も痛みを感じること、耳や顔、背中など、後遺症が残る危険性がある場所は避けることなど、最低限のルールは守ることが絶対条件ですが。
いけないことは絶対いけない、ということを、熱意を持って体を張ってわからせることも時には必要であり、その役目は、今や親しか果たせないのです。
親子のコミュニケーションも取れず、体を張って子どもに向かえない親は、自分の保身しか考えてないと子どもから見透かされることになるでしょう。

障害児教育の問題。
ご自身は、周囲の人々の協力で、当然のように公立の普通学校で小、中、高と過ごされて、厳しくもあたたかい先生方に恵まれて、将来を見据えた教育を受けられたそうです。
ある小学校の運動会で、脳性マヒの女の子が、みんなの協力で競技に参加する姿を見て、涙が流れてしかたなかったそうです。
自分が子どもの頃、同じように運動会で大人たちが勝手に泣いているのを見て、腹が立ってしょうがなかったから、なんとか我慢しようと思っても無理でした。
重度障害者の自分が、何の疑問もなく学校に通い、遠足に行き、プールに入り、運動会に参加できた背景には、両親、先生、地域の大人たちが、どれだけアイデアを出し合い、協力してくれたかがわかり、その苦労と当時の自分を振り返ると、涙が止まらなかったそうです。

この方も、先生になるべくしてなった、という気がします。
自分が教師になった場合、生徒を守るどころか生徒に助けてもらうことが多いだろう、体育の指導はどうするか、災害が起きた場合どうするか、など様々な困難や不安がありました。
それらを補助教員や最新設備でフォローしてもらい、杉並区の公立小学校の先生に採用されました。
生徒や周囲の教職員へ迷惑をかけながら、教師として自分だからこそ与えられるものは何か?
あきらかに他人とは違う形で生まれてきたことで、「それぞれ、違っていいんだよ」ということを身を以て子どもたちに伝えたい。
それを実際の教育現場で実践するために、小学校の先生への道を選びました。

イタリアのナポリの学校を取材したときの話も素敵でした。
ナポリは、風光明媚な観光地ですが、マフィアの巣窟ともいわれ、学校も授業にならない騒ぎがあったり大変です。
学校からはみだした子ども達は、マフィアの予備軍となりやすいので、なんとか学校に呼び戻そうと先生方は必死です。
乱暴な子どもにも、身体を張って向かっていき、何度問題を起こしても見放しません。
「信頼して待つこと」がここの先生方の信条です。
教育の基本だと思います。

親は子どもが心配で、口を出したり、先回りしたり、先走ったりしてしまいがちです。
なかなか子どもを信頼して待つ、ということができません。
「時間間に合うの?」「忘れ物ない?」「ちゃんと勉強してるの?」「さっさとしなさい」「さっさと寝なさい」と、頼りない子どもの顔を見ると何か言いたくなってしまいます。
信頼しろって言われても、放っておいたらどうなるか・・・
いつまで待ったら成長してくれるのやら・・・
何度失敗しても反省しないし・・・

でも、口出ししても成長するわけじゃなし、結局は自分で気づいて、自分でなんとかする意志が生まれない限り無理なんですよね。
そろばん教室では、できる限り「待つ」という姿勢でやっていますが、自分の子となると難しい。
「待つ」というよりは「放任」(見ないようにしてるだけ)状態。
「信用」もおけない子どもに「信頼」はさらに難しい。
だけど、親が頼りなくて、子どもを頼ると、しっかりしてくれる面も出てきますけどね。

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オール1でいじめられっ子だった数学の先生

オール1の落ちこぼれ、教師になる



未来のきみが待つ場所へ 先生はいじめられっ子だった

先日、「徹子の部屋」にも出演されていましたが、23歳で小学二年生の勉強からやり直し、定時制高校に進学し、国立の名古屋大学に合格して大学院まで進み、母校の定時制高校で数学の先生になった方の話です。

小学二年の頃から中学までずっといじめられ続け、自殺未遂までする環境の中、両親も先生も助けにならないことを知り、ずっと耐えるだけの子ども時代。
成績はずっとオール1で、23歳まで、漢字は自分の名前しか書けず、九九は二の段しか言えず、英語はbookしか知らないという学習レベル。
当然高校には進学できず、専門学校から大工見習いとなっても、暴力的な扱いを受けるような職場環境。
しかも、ずっと貧しく、両親の夫婦喧嘩が絶えない家庭環境で、さらに16歳で母親、18歳で父親を亡くし、天涯孤独の身の上。

このような過酷な身の上から、新しい職場で親身になってくれる上司に出会い、今の奥さんに出会い、TVでアインシュタインを知ったことで、物理に興味を持ち、知的好奇心を育てていきます。
物理の勉強をしてみたい、という一心から、小学校低学年の算数ドリルから勉強を始め、高校三年の模擬試験では数学の成績が県内一番にまでなります。

一つのきっかけは、イジメに対抗するために始めた少林寺拳法。
イジメに対しては結局利用できなかったものの、目標を持って練習を重ねた結果、県代表の選手にまでなれたそうです。
そこで、目標を持って努力することの大切さを学んでいます。

そして、少林寺拳法を通して知り合った女性は、国立大出で、九九も知らないと知った時点で別れようとも思ったそうですが、未知の可能性を信じてくれました。
アインシュタインの番組をビデオで見せて知的好奇心を引き出してくれ、勉強を始めると、定時制高校への進学を勧め、今に至る道筋に導いてくれています。

大学院にまで進んだのですから、研究者になりたいという希望もあったのでしょう。
でも、自分にはもっとできることがあるのではないか、と思い直します。
勉強がまったくできない子の気持ちがわかり、どうやったらできるようになるかも知っています。
恵まれない家庭環境のつらさも知っています。
イジメたりイジメられたりする子の気持ちもわかり、どう解決すべきかも一緒に考えられます。
現在に至る自分を助けてくれた人達への恩返しの意味からも、昔の自分と同じ立場の子ども達を救うべきでは、ということで先生になる道を選びます。

小さい頃から優秀な人より、挫折を知っている人、わからないということがどういうことか知っている人、どうやったらわかるようになるかを知っている人こそ、先生になって欲しいものです。
家庭環境に恵まれなかったり、イジメられたり、つらい経験をたくさんして乗り越えてきた人こそ、先生になってほしいものです。

優秀な両親、恵まれた環境があってこそ、優秀な人間が育つと信じ、親がバカなら子どももどうしようもない、家庭が悪いんだから子どもが良くなるわけがない、という偏見を持っている人は、子どもを教えるべきではないでしょう。
親と子どもは別の人間だし、子どもは子どもなりの可能性があり、どんな環境にあっても、その能力を伸ばす権利があります。
目標を持って頑張れば、個人差はあっても、今以上の進歩は確実にあるはずだし、それぞれの能力を伸ばしてあげる熱意がない人は、教師をやめるべきです。

最近、次女の英語能力が低いのは親の遺伝と言われ、どうやって勉強したらいいか聞くなんて愚問だよ、と言われ、自分も子どもも優秀で英語の勉強で困ったことがない人は、できない子を教えることは無理なんだな、と気づかされました。
母親が優秀でなければ子どもが優秀に育つことは無理、という持論の元では、うちの子の可能性は否定されてしまいます。
能力以上にしてくれと言ってるわけではなく、勉強の面白さを教え、うちの子なりの能力を引き出してくれればいいと思っていたんですけどね。

確かに私は英語が苦手で、受験も英語で失敗してるけど、もし今から英語をマスターできたら、優秀な英語教師になれるんじゃないかと思ってしまいました。
英語が日本語とは別物だということを本当に理解することの難しさ、単語を覚えたり、文型を覚えることの大変さがわかっていますし、何より毎日コツコツ継続して積み重ねていく勉強が苦手ですから、怠け者でも身につけられる英語の勉強法が見つかれば、英語で困っている子ども達に伝授できるのに・・・
(っていう親の怠慢さをしっかり受け継いでることが、子ども達の不幸の始まりなんだろうな)

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子どものためのルールブック


みんなのためのルールブック ―あたりまえだけど、とても大切なこと」(子ども向け)
ロン・クラーク (著), 亀井 よし子 (翻訳)



あたりまえだけど、とても大切なこと―子どものためのルールブック
ロン クラーク (著), Ron Clark (原著), 亀井 よし子 (翻訳)



親と教師にとって、すごく大切なこと
ロン・クラーク (著), 松本 剛史

今年小学校入学の甥に、一番上の「みんなのためのルールブック」、母親である妹に「あたりまえだけど、とても大切なこと」という本をあげました。
全部守るのは大変だけど、「我が家のルール」を作るうえで参考になるでしょう。

この本は、28歳で「全米最優秀教師賞」を受賞した小学校の先生が書かれた本で、教室で子ども達に守って欲しいことを、いかに自主的に守らせるか、ということに工夫した、子どものためのルールをまとめたものです。
アーノルド・シュワルツェネッガーが「キンダーガートン・コップ」(刑事が教師に化けて、幼稚園で張り込むというコミカルなサスペンス)という映画で、幼稚園児を統制するのに軍隊式のやり方を取り入れてましたが、あんな強圧的な方法ではなく、何故このルールが必要なのか、を一つひとつ説明し、納得させながら、自分から守るようにさせていくのです。

ルールを守らせるには、例外を作らない、ということが大切です。
うちでは、買わないと言ったら絶対買わない、ということだけは子ども達にもよくわかっているので、オモチャの前でひっくり返ってダダをこねる、ということはありませんでした。
(もっともこのルールだけは、そんな余裕がないのだから、我が家の実情をわからせ、贅沢させないために絶対守らせる必要があり、子どもの方もわかってしまえば無駄なことをしないだけですが)
「今日だけよ」などと例外を一度作ると、子どもは絶対そこにつけいり、どうやったら親に「今日だけよ」と言わせるか、ということに全勢力をかけてきます。
ダメなことは絶対ダメ、ということは、親の方が徹底しないといけないのです。
子どもの方も、何度チャレンジしてわがまま言っても無駄、とわかればあきらめます。

この先生は、そのような飴とムチの原理を徹底的に守り、時には涙をのんで例外を作らないように頑張っています。
その成果はものすごいもので、何十人もの生徒全員が本当にこんなにルールを守り、宿題を毎日きちんとしてくるようになるんだ、と感心します。
また、やらねばならない規律ばかりでなく、前向きに生きるにはどうするか、みんなと楽しく過ごすにはどうするか、という生き方のルールも忘れないところが好感が持てます。

うちの場合、やらねばならないことをやる、というのが一番苦手です。
親が苦手なもので、子どもにも強力に守らせることができない、というのが実情です。
やりたいことより、真っ先にやるべきことから片づけるべきなのに、ダラダラと過ごしてギリギリになってあわてる、というのが親子共々悪い癖です。

それでも、親に頼らず生きていけるようにする、というのが最低限のルールですから、親がいなければ、炊事、洗濯と、掃除以外は三人が各自分担してこなしています。
金銭面でも長女はそろそろタイムリミットで完全自立をしてほしいところですが、一番学費がかかっていない分甘やかしてしまい、いまだパラサイトのままですが。

それと大事なことは、自分の身は自分で守るということ。
どんなに心配でも、親が四六時中子どもを守ることはできないのですから、自分の身を守る能力を磨いてほしいと思っています。危険な場所は避ける、危険を感じたら逃げる、助けを求める、何とかして助かる道を探す、という生命力が備わっていて欲しいと思います。

先日、電車の中で、21歳の女性が中年男性にトイレに連れ込まれ暴行されたのに、乗客は誰も不審に思わないか、思っても乗務員に連絡をしなかった、という事件がありました。
殺すぞと脅されて声も出せなくなってた女性も、かわいそうですが、言いたいことをはっきり言えるようにもっと教育されていれば、勇気を持って逃げられたかもしれません。
それにしても、脅されながら嫌がる女性をトイレまで連れて行く道すがら、見て見ぬフリをした乗客は、半分共犯者ではないでしょうか。
イジメを見ていて、止められなかったらイジメているのと同じ共犯者だと教えていますが、まったく大人達が同じようなことをやっているのですから、子どものイジメがなくなるわけありません。

悪いことは悪い、嫌なことは嫌、と言いたいことをはっきり主張することは、自分の身を守るための基本です。
勉強はできなくても、これだけは身につけておいてほしいと、願うまでもなく、親の血を引いているので大丈夫でしょう。

次女の女子高の生徒は、毎年何人も痴漢をつかまえているそうです。それも、自分が被害にあったからだけではなく、他人が被害にあっていても、見つけたら捕まえて駅員さんに引き渡すそうです。
これはひとえに、全国一を誇る性教育のおかげでしょうか。
避妊などの具体的な方法や、男性についても詳しく習い、誰よりも耳年増なだけでなく、性的被害、性同一障害など、あらゆる性的な差別についても学び、自由研究や発表も行っています。
そのおかげで、痴漢の被害にあって恥ずかしいなどとは思わず、そんな卑怯な行為をする犯人が悪いと認識し、許してはいけないと行動に移すことができるのでしょう。

子どもが今ある状態は、どう責任逃れをしようと、親の教育の結果です。
失敗したなあ、と思う点の多くは、自分の欠点をそのまま写しとってしまった結果で、親を反面教師にして逆に良く育ってくれる、ということはめったにありません。
成人してからでは、親の手は届かなくなります。あとは、自分で矯正してもらうしかありません。
まだ間に合う方は、ぜひ「我が家のルール」を見直してみてください。

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人生は時間でできている

クリスマスが終わると、子どもの年中行事も終わったという感じですね。
今年は、6歳の甥っ子と3歳の姪っ子へのプレゼント選びに時間がかかり大変でしたが、私のプレゼントしたものが一番受けたようで、ちょっといい気分でした。
母や弟夫婦は、知育玩具のような教育的なものを選んだので、子ども達だけでは遊べないで、すぐに飽きてしまったようです。
姪っ子の代わりに母親の妹が、熱心に織物をしていました。

私は、散々探し回って迷った末、妹に子ども達の好きな動物を聞きました。甥はライオンとトラ、姪はウサギとリスだそうです。(強い動物とかわいい小動物で、それぞれの理想が見えて面白い)
ライオンとトラは見つからず、甥には前に好きだと言っていた虫キングのカブトムシをあげました。一匹では虫相撲ができないけど、リモコンで動かしていろんな物を角で投げ飛ばせて、面白そうでした。
姪には、バッグに入った柔らかいウサギのぬいぐるみとシルバニアファミリーのリスをあげました。
「ウサギ大好き!だってかわいいんだもん」
と喜んでくれました。そう言って遊んでいる姪っ子の方がかわいいんですけどね。

こんなかわいかった時期も遠い昔で、問題山積のうちの子ども達三人には、図書カードと「7つの習慣プランナー」という手帳をプレゼントしました。
それぞれに好きなことがあり、目指したいことがありながら、どう見ても的確に実現させようとしているとは思えません。
特に次女は、休みの日は放っておくと日暮れまで寝ていたり、嫌いな学科からは逃げてばかりいたり、自分の反省すべき点を認めず、勉強に対する姿勢がなかなか改善できません。
そのうちできるようになる、という脳天気さから、時間を浪費してばかりいます。
根本的に自分を見直さなければ、絶対に向上は無理なことを理解していません。

この手帳は、「時間を浪費してはならない。人生は、時間でできているのだから」というベンジャミン・フランクリンの言葉を標語に掲げています。
ベンジャミン・フランクリンは、凧で雷の実験をしたことで有名ですが、印刷業で成功してから、物理学者、気象学者、外交官、政治家など様々な分野で活躍した人です。
この手帳は、それだけの活動を実践した時間管理術、ライフプランの作成システムを取り入れたフランクリン・プランナーというシステム手帳のコンパクト版です。
単に予定を書き留めるだけでなく、ロングセラーとなった、スティーブン・コヴィー著「7つの習慣」の成功への原則を実行するための手帳です。
まず、自分が本当にやりたいこと、なりたい人、目指したいことを見つめ直します。
そのためにはどうしたらよいか考え、飽きずに、あきらめずに、最後までやり通すために、実現への習慣を身に付けるための手帳です。

簡単には実行はできないでしょうし、なかなか自覚もできないでしょう。
どこまで活用してくれるか、多少の意識改革だけでもしてくれないかと思うのですが・・・
予想はしていましたが、長女はすぐにそこらに放りっぱなし、長男はふ〜んという感じ。次女は、こういう手帳欲しかったんだ、と言いつつ、相変わらず生活改善はできず、自己管理もできず、塾をすっぽかそうとします。

親がいくら口うるさく言っても無駄で、先生方に親身に注意され、諭されても馬耳東風。
本人も、どうにかしたい、とは思いつつも、頑なでルーズな性格と、体力はあるのに精神力がないために年中具合が悪くなり、そのためにどんどん奈落に落ちていってます。
生まれ変わったから、と何度口先で言っても当てにならず、気長に待つしかないかな、と思ってます。

それでも、若い人たちには時間がたっぷりあるので、いくらでもやり直しがきくからいいですよね。
そんな余裕をかました人たちに構ってばかりはいられません。
こっちはそれほど時間の余裕はないのですから、やりたいことを目一杯楽しんで、自分の目標を達成していかなくては。


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子どもと戦争の話をしてますか?

12月8日は、65年前太平洋戦争が始まった日でした。
子ども達と戦争の話をすることはありますか?
今の子ども達は、戦争体験者から直接戦争の話を聞くことができる最後の世代でしょう。
子ども時代に戦争を体験した人たちは60代後半、実際に戦地に行った経験者は、ほとんどが80歳以上になります。
思い出したくない事実も多いでしょうから、話したがらない方も多いでしょうが、機会があったら子ども達にはできるだけ聞いてほしいと思います。

私の父は、特攻隊の生き残りで、あと一ヶ月戦争が続いていたら出撃して死んでただろうという話です。
母は、東京大空襲の三日前に、荒川区から茨城に疎開しています。
どちらも、ほんのちょっとした幸運で生き残ったわけで、そのおかげで、三人の子どもが生まれ、五人の孫が存在しています。

父は、九人兄弟の末っ子で、年の離れたお兄さん達は優秀で、軍隊でも将校クラスにいたそうです。
戦争の状況も一般家庭より現実的に伝わっていて、日本が勝てる見込みがあるとは思っていなかったようです。
しかも、飛行機ごと人間が突っ込んでいくような作戦に参加していたのですから、先があるとは思えないでしょう。

志願した当時15〜16歳の旧制中学生で、終戦当時は18歳、今の高校生くらいです。
体育と美術が得意で、兄たちほど勉強の成績が良くなかった自分が偉くなるには志願していくしかない、と思ったのかもしれません。
徴兵の場合、どこに配属されるかわからないけれど、志願すると陸軍か海軍かが選べたそうです。
どうせ死ぬなら、地べたを這いずって苦しみながら死ぬより、空から一気に落ちて死んだ方がマシだ、という理由で海軍の航空部隊に志願したそうです。
一番若いくせに、志願していったため、徴兵で強制的に兵隊になったずっと年上の人たちが部下になった、と威張っていました。
とはいえ、仲間が次々と出撃していき、次は自分の番かと何度も死の覚悟をしながら、結局生き残ってしまった、というのは、ある種のトラウマとしてずっと残っていたようです。

戦争映画などを見ていて、「天皇陛下万歳」などと叫びながら突っ込んでいく場面を見ると、
「あんなこと言って死ぬ奴がいるか!みんな、お母さんって言いながら死んでいったんだ」
とよく話していました。
自分が志願すると母親に言うと、何も言わずに送り出してくれたから、偉いお母さんだった、という話もしていました。
そのたびに、
「馬鹿じゃないの。言えない時代だったからじゃない。どこの親が、子どもに守って欲しいと思うもんか」
と反論してました。
ディベートのようなことをさせたがる親でしたから、わざと子どもが反論するような発言をしたのかもしれません。
でも、自分は母親を守るために戦争に行ったんだ、という自慢話を聞かされるたびに、そんなの自己満足だろう、と思ってました。
親にとってはいくつになっても小さいと思える末っ子で、まだ十代半ばの子どもに、命をかけて守ってもらって生き延びて、何が嬉しいでしょう。
親なら、自分より子どもが先に死ぬほどの不幸はないでしょうし、いくつになっても、命をかけても守りたいと思うのが普通でしょう。
そんな普通のことも発言できない時代だったのです。

普通に考えれば、戦争をしたい人間なんているわけないと思えます。
けれど現実には、いつまでたっても戦争はなくなりません。
日本の経済成長も、よその国で起きた戦争のおかげであるように、戦争でお金儲けができるしくみがなくならない限り、戦争をしたい人達は確実に存在し、戦争はなくならないでしょう。
日本では、戦争が60年以上も過去の話となり、いまさら戦争なんて関係ないとも思えます。
でも、戦争をしたい人達が支持してる人がたくさん政治家となり、少しずつ国民の自由を奪っていき、いつのまにか管理され、戦争に巻き込まれていく可能性もあります。
それを実際体験した人達がいるわけで、同じ間違いをしないためにも、今の子ども達にもしっかり伝えていく必要があると思います。

戦争を扱った映画やテレビを親子で見て、いろんな話をしてもいいと思います。
親も子どもも、それぞれに自分で感じ、考えたことを話し合うことで、世の中の動きにも敏感になり、怪しい状況には間違っていると発言し、対処できる人間に育つのではないでしょうか。
今では、直接聞かせられなくなった父の戦争体験は、私から子ども達に話して聞かせています。それをさらに、友達や子どもに話していってくれるといいな、と思ってます。

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ハムスターの手術

手術前のハム
Ham_1

ひと月ほど前、うちで飼っているジャンガリアン・ハムスターの左耳の下に、大きな円形脱毛症ができました。
ジャンガリアン・ハムスターの寿命は2〜3年で、飼い始めて1年半になるので、そろそろ年なのかな、とは思いましたが、一応動物病院に連れて行きました。
どうやら、ガンのような腫瘍ができているようで、3日間薬を飲ませて、小さくなれば問題ないけれど、変化がないようなら「手術」ということになりました。
手のひらに乗ってしまうほど小さいのに、どうやったら手術なんてできるんだろうと思いますが、結局腫瘍は小さくならず、手術決行となりました。

ところが、手術は失敗。
腫瘍がかなり取りにくい位置にあったのと、出血が多くて危険だったため、腫瘍を取りきれずに途中で縫合したそうです。(一時は仮死状態にまでなったとか)
戻ってきたハムは、3cmくらいの傷(人間でいえば、肩から背中半分位を切った感じです)を作っただけで、ぐったりした状態。
もう、フワフワの愛らしいハムには戻らないのかと思うと、大人でも悲しくなってきます。
次女などは、ずっと半ベソ状態です。
仕方ないので、薬を飲ませて、エサを食べさせてやって、
「薬も飲んだし、エサも食べられるから、大丈夫だよ。こんな傷くらい、大したことないさ。海賊みたいで、カッコいいじゃない。」
と言ってやりました。

あとから、上の二人に次女のようすを聞くと、二人とも、
「傷は男の勲章みたいで、カッコいいじゃん」
とか、同じようななぐさめ方をしたとかで、血は争えません。

でも、手術代に、本来は1万5千円かかるところを、中断したので、麻酔代の1万円払ったという話をしたら、長男は、
「え〜、ハムが10匹は買えるじゃない」
なんてひどいことを言ってました。
実際、動物の医療費は高くて、病院に連れて行くのも悩むのですけどね。
飲み薬なんて、1回1滴で、10滴分で1500円〜2000円かかります。
そろばんの生徒にその話をしたら、
「ジェネリックにしてください、って言えば?」
ですって。

手術直後は、今後どれくらいもつかわからないとか、さらに腫瘍が大きくなるようなら再手術とか、担当医からさんざん脅されたようで、そのせいでメソメソしながら戻ってきた次女ですが、現在ハムは全快してます。
手術後、耳から膿みが出てきて、いつのまにか腫瘍は縮まり、抜糸後は毛も生え揃って、傷跡も全然わかりません。
回し車を以前より元気よく回し、よく動き回り、エサもよく食べ、すっかり元気です。
二度と見られないかと思った、フワフワハムに戻ってくれました。

手術をしたのは、良かったのかどうか、もう二度と小さな身体を切ったりさせたくはありませんが、とにかく貧しくてもケチらずに病院に連れて行って良かったとは思います。
あのまま放っておいたら、今頃こんなに元気かどうかわかりませんから。
医療費を10匹のハムに使ったら、1匹くらい死んでしまっても、こんなに大騒ぎすることないのかな、という意見も出ましたが、そんなの無理でしょうね。
子どもと同じで、たくさんいれば、それだけ心配の種が増えるだけでしょう。
それでも、1匹だけ飼っているので、これだけ人間になついて、ハムも構ってほしいし、人間もハムに癒されて、相互依存の関係が成り立っています。
こんなに小さくて、あとどれくらい生きられるかもわからないハム(四代目なので、ハムヨン様)ですけど、しっかり家族の一員です。

手の中で熟睡中のハム(手術後1ヶ月)
Nemuriham

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親子旅行(聖徳太子の史跡を巡る会)

夏の間ちょっと忙しくてブログの更新をサボっている間に、もうキンモクセイの香る季節になってしまいました。

ここ数年、夏には毎年次女と旅行をしています。
かつては家族旅行をしてましたが、上の二人は大きくなり、家庭の事情もあり、次女だけ連れて旅行することにしました。
子どもが三人揃うと、食べ物の趣味から行きたい所からなかなか意見が合わず、旅先でいつももめていましたが、一人だけなら行きたい所、食べたい物につきあえば良いだけなので、その点はとても楽になりました。
だけど、それほど甘い旅行ではありません。

最初は大阪のユニバーサルジャパンに始まって、静岡、奈良、京都、仙台と続いて、今年はまた奈良へ行ってきました。
前回は、飛鳥の古墳巡りをしたので、今年は前回行けなかった斑鳩中心に回りました。
いつも、歴史と博物館好きの娘が綿密に組んだハードスケジュールに、暑い中つきあわされます。

新幹線の中でガイドブックを見ながら、次女が言いました。
「今年は、聖徳太子の史跡を巡る会ね」
「何それ?いつの間にそんな会ができたの?いつの間にかお母さん会員なわけ?」
「会じゃなかった。旅だった。ま、いいじゃないの。」
というわけで、いつの間にかマニアックな会の一員にさせられてました。
聖徳太子は嫌いじゃないけど、中学・高校の歴史の本と、美術史の本と、ほとんどが山岸凉子の「日出処の天子」の怪しげな知識しかないのに・・・

奈良ではいつも、レンタサイクルで観光します。
運転ができないので仕方ないのですが、交通の便が良くない地域ではレンタサイクルが便利です。地元に密着した旅ができます。地図を見て、自力で移動するわけですから、一番思い出にも残ります。
だけど、奈良は暑いんです!
一箇所目で、
「暑い〜、疲れた〜。少し休もうよ〜」
などと言ってしまうと、
「はあ?もう年じゃないの?こんな所でゆっくりしてたら、今日中に全部回れないよ」
「いや、どう考えても、このスケジュール全部は無理だと思うけど・・・」
でも、前回の奈良のように、行きそびれた場所に翌日行くことになっても大変なので、暑い中頑張って自転車を走らせました。(毎年思うけど、これだけ汗かいたら絶対やせてるはず!と、いつもはずれる淡い期待を抱きつつ)

娘は、興味のある博物館では、全部の説明を読み、音声解説まで全部聞きます。
飛鳥の博物館や仙台の歴史博物館では、ただざっと眺めて通り過ぎる親とのタイムラグが大きく、かなり待たされました。出口付近のソファで、ずっと読書してました。
今年は、仏像中心の博物館が多かったので、一緒に眺めながら、すんなり出てこられました。

その分、時間に余裕ができて、ファミレスや喫茶店でゆっくりしゃべったり、夜のお祭りが始まるのを待ちながら、ずいぶんおしゃべりしました。
娘は学校のこと、先生のこと、友達のこと、家族のこと、私は、自分や子ども達の子ども時代の思い出話や、娘にとってはおじいちゃん、おばあちゃんの親のことなど。
うちはおしゃべり一家なので、いつもみんなよくしゃべりますが、子どもが二人、三人と揃うと、発言チャンスが減るのと、それぞれ個々に共通の話題が発生するので、会話が大変忙しくなります。
二人で旅行に来ると、一対一でゆっくり話ができるのも良い所です。

普段まったくの放任状態にしている罪滅ぼしの意味もある二泊三日の旅行ですが、来年くらいで最後かな、と思ってます。
本当は、中学くらいになったら、普通は親になんか付き合わないだろう、と思ってたんですけどね。
末っ子は、やっぱりいつまでも精神年齢が低いのか、それとも他の兄弟より必然的に親との年月が少ないから一緒にいたがるのか、高校生になっても旅行する気満々でした。

子どもには、財産を残すより、自分で生きていく力と思い出を残したい、と思ってきました。(残せる物なんか何もないけど、例え万が一すごい財産が築けたりしても、遺産なんか残しません。って、誰も期待してないだろうけど)
ですから、どんなに経済状態が苦しくても、家計の許す範囲で、年一回は旅行をしてきました。
旅行嫌いの息子にとっては、面倒でしかなかったようですが、普段忙しい親が、一日中一緒にいて遊んであげる機会はめったにないわけですから、三人それぞれに何らかの影響が残ってるはず、と思ってます。

海外旅行も、飛行機旅行もなく、関東近辺をうろつく旅行がほとんどでした。
飛行機に乗らないと旅行でないと思ってるような次女の同級生からは、修学旅行で初めて飛行機に乗ってはしゃいでたら、
「旅行行ったことないの?」
と言われたそうです。
来年は思い切って、娘の大好きな土方歳三の最後の地、函館に行こうかと思ってます。
娘が真面目に学校の勉強をして、ちゃんと結果を出したら、という条件付きです。
何より、親の方が、今までになく贅沢な旅行を目指して、仕事を頑張らなくてはなりませんが。

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親が苦手な子どもの特技

ここのブログを読んだ次女の友達から、次女を悪く書き過ぎでは、というクレームがあったので、たまには良い事も書きましょうか。

普段えらそうなこと言って大きな顔をしてる私ですが、一番の苦手がスピーチです。
交渉とか談判となると、どんなお偉いさん相手でも、平気で言いたい事を言えます。
それなのに、例え相手が少人数でも、何人かを目の前にして、自分から説明したり何かを話す、という状況が大の苦手です。足はガクガクするし、呼吸困難になり声もちゃんと出ないし、しどろもどろで、言おうと思った内容の半分も話せません。
仕事で、企画書を提出して、書類審査が通っても、ヒアリングの段階でスピーチがうまくいかず、いつも失敗します。自分の話す持ち時間が終わり、質疑応答となると、何故かすーっと落ち着き、質問にはかなり冷静に答えられるのですけどね。

こんなとき、次女に代わってほしい!と思います。
次女は、弁論大会に出たい、というほど人前で話すのが好きです。
こんなところも、おじいちゃん似だな、と思います。
(去年の11月に「遺伝」について書いたとき、背の低さしか受け継いでない、と嘆いていたけど、出たがりのところも遺伝してました)
授業中は、いるかいないかわからないほど、発言もほとんどなく、大人しくしているもので、スピーチとかディベートとかの時間に、嬉々として熱く語ったりする姿は、学校の先生方を驚かせます。
今の教育は、昔より内容が薄かったり、問題もいろいろありますが、スピーチとか発言の機会を与え、訓練してくれるのはいいですね。息子も、国語の時間に定期的にスピーチの順番が回ってきて、自分で考えたテーマで数分間話すという訓練をさせられたから、スピーチなんか平気だと言ってました。スピーチもまともにできないの、と子ども達から馬鹿にされてしまいました。

次女は、いくつも同好会を兼部し、部長をやってたりするので、予算申請をしたり、文化祭の企画申請をしたり、大会の原稿を書いたり、大忙しです。学校の勉強なんか、できようはずもありません。高校になったら一つに絞るという約束もそっちのけで、企画部長のように働いてます。
「企画書書けて、プレゼンできて、台本書けたら十分だ、将来うちの会社を任せよう」
と一緒に会社をやってる弟(私以上にスピーチ下手)が言いました。
そのことを伝えると、
「いつ潰れるかわからない会社のくせに」
と言われてしまいましたが。

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生きてくれさえすれば、いいんだよ

先週土曜の深夜、NHKで夜回り先生の特集番組の再放送を見ました。
以前にも別の局の番組で見たことがありましたが、壮絶な活動をしてらっしゃる方です。
長男のクリスマスプレゼントにあげた本(「夜回り先生」)も読んでみました。
ところどころに先生の生い立ちも書かれていて、一人で危険を冒してまで、病身に鞭打ってまで、他人の子どもたちのために尽くせる理由が、少しはわかりました。

夜回り先生(水谷修先生)は、大人たちのせいで夜の裏の世界に落とされ、暴走族、暴力団、薬物中毒、自傷行為、援助交際、売春などから抜け出せない子どもたちを、なんとか昼の明るい世界に引き戻そうとしています。
「イジメやってた」
「シンナーやってた」
「リストカットやってた」
「援助交際やってた」
「暴走族やってた」
「家に引きこもってた」
と告白し、本当は抜け出したいのにどうにもできない子ども達に、
「いいんだよ」
と一言、過去も現在も否定せず、ありのままの姿を受け入れます。
もがいても自分ではどうしようもなくて、苦しいから死にたいという子ども達に、
「それだけはダメだよ」
「今は、生きててくれるだけでいい。これからどうしたらいいか、一緒に考えよう。」
と説得し、話を聞きます。
児童相談所や薬物依存、性感染症のための病院の世話、安全に住む場所の確保など、様々な協力を要請しながら、危険な現状から、明るい世界での生活を目指させようします。

どんなに水谷先生や本人が頑張ろうとしても、裏の世界から抜け出すことは簡単ではなく、ほとんどが何度でも元に戻ってしまい、悲惨な結末を迎えることも多いそうです。
水谷先生自身、暴力団から指を詰めさせられています。組を抜けるために組長と交渉し、せっかく抜けられたのに、約束をやぶってつかまった少年の身代わりになったのです。
他人がこれだけ身体を張って子ども達を救おうとしているのに、身体を張って子どもを育てられない親が多いため、次々と苦しむ子どもが増えています。
身体的虐待や性的虐待をする、抹殺したいような親のせいばかりではありません。
一見何の問題もなさそうな、中流家庭以上の恵まれた環境でも、兄弟を激しく差別したり、子どもの悩みを無視したり体面を気にして隠したり、大人から見ればそのくらいのこと、と片付けてしまうことで、死ぬほど苦しんでいる子ども達もたくさんいます。
救いを求めた大人たちが、気付かなかったり、無視したり、逃げたりすることによって、さらに傷ついていきます。

二回見た夜回り先生の番組で、二回とも話された少女の話が壮絶でした。
少女は、ちょっとした興味本位から夜の集まりに参加した時に、集団暴行にあいました。
それで自分は汚れたと思い、将来が絶望的になり、それ以降もその犯人達とさらにその仲間から「雑巾」と呼ばれながら暴行され続け、ドラッグ購入のために売春もさせられ、ボロボロの状態で水谷先生に出会います。
薬物中毒と性感染症のために入院治療をさせようと思いましたが、エイズだとわかると、少女は男達への復讐のため、放浪の旅に出ます。
最初に見つかったエイズは、薬で抑えておける種類のもので、絶望することはないと説得したにもかかわらず、少女は行方不明になってしまいます。
しばらくして、何十人もの男性に(相手は気付いてないでしょうが)復讐して戻ってきた少女は、さらに深刻な別の種類のエイズを移されていて、治療は困難になっていました。
どんどん衰弱していくだけで、回復の見込みもなく、痛く苦しい毎日から救うには、一定量のモルヒネを打って、痛みをなくしつつ死を迎えさせるしかありませんでした。
モルヒネを打ち始めると、脳神経が麻痺するため意識がなくなります。
そのため、開始の前日に、やせ衰えて変色した顔に、精一杯のお化粧をしてもらい、お気に入りの服を着て、家族と水谷先生にお別れをしました。
両親も揃っていて兄弟もいる、普通の家庭の少女だったのです。
娘に、死に向かわせるための最後の別れをしなければならなかった両親の思いは、どんなだったでしょう。もっと早く気付いて、みんなで身体を張って救い出していれば、といくら後悔してもしきれないでしょう。
でも、それだけではありませんでした。
通常なら、何日かたつと自然に死を迎えられるはずが、いつまでたっても死ねません。
さらに、薬が切れると、意識がなくても激しい痛みにもだえ苦しみ、叫び続けます。
そんな拷問のような日々が何日も続いた後、ようやく息を引き取った少女に、
「死ねて良かったな」
とお父さんは声をかけたそうです。

水谷先生は、少女と約束をしていました。
「先生は、これからもいろんな所で講演するでしょう。そのとき、必ず私のことを話してほしい。こんな馬鹿な子がいたって。そしたら、同じ馬鹿なことをやってても、やめる子がいるかもしれないでしょ。」

夜の裏の世界は、はるか遠い世界ではありません。
ちょっとした興味本位、怖いもの見たさから、あっという間にはまっている子ども達が身の回りにたくさんいて、気付かないだけかもしれません。
罪悪感もなく、弱い子ども達を利用している大人たちも、たくさんいます。
社会が悪い、と他人のせいにして、子どもをストレス発散に利用する大人も、いくらでもいます。
そんな大人をなくすことは不可能でしょう。
でも、そんな大人にならないように気をつけることはできます。
夜回り先生のように、身体を張って夜の世界を見回り、知らない子ども達に声をかけて回る勇気はなくても、周囲の身近な子ども達の話を聞いてあげることなら誰にもできます。
最低限、自分の子どもの現状をまず受け入れ、これからの人生をどうしていくか、一緒に考えてあげることくらいはしなくてはなりませんね。
最低の成績をとってきては、これから真面目にやります、と言いながら何度でも裏切り、平気で大人をだまし、おちょくっているとしか思えないお調子者の娘でも、ゲンコで連打なんかしちゃダメで、あるがままの現状を受け入れ、見守るべきなんでしょうが・・・

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転がる石にはコケはつかない

ローリング・ストーンズのコンサートに行って来ました。
最初の来日コンサートのときは、お腹の中に次女がいました。
前回三年前の来日から、長女と弟夫婦と妹の五人で行くようになりました。
長女は、まだハイハイもしない赤ちゃんの頃から、ストーンズの曲をかけていると、嬉しそうに手足をバタバタさせて踊っていたほどのファンです。

63歳のミックは、スリムなスタイルと変わらない声を保ち、外野のポールからポールの距離を、歌って踊りながら走り抜けてました。
同い年のキースも、いたずらっぽい不良少年のような表情で、嬉しそうにギターを弾きまくってました。
65歳のチャーリーは、まだドラムできるのかなあ?と心配でした。でも、もともと激しい叩き方はしませんが、真面目に正確にリズムをきざんでて、元気でした。
その中で、ギターのロンは一番若くて、59歳。
こんな年になっても、相変わらずの元気さで、期待通りの演奏を見せてくれるだけで、嬉しくて涙が出そうになります。

1963年にデビューしてから、ずっと第一線の現役で活躍してきた人達です。
20代、30代のときに作った財産(作品)だけでも、充分に悠々自適の最高級の生活ができるはずです。
お金が目的だけの人間なら、還暦を過ぎた年になってまで、好きなお酒やタバコを控えたり、毎日走って体型と体力を保持したり、楽器の練習を続けたり、という努力なんかしないでしょう。
一世を風靡したミュージシャンでも、贅沢と不摂生のためか、40代で声の伸びがなくなったり高音が出なくなって、あのきれいな声はどこへ行っちゃったの?とがっかりさせられる人達がたくさんいます。
でもストーンズは、音楽が大好きで、自分たちの作品が大好きで、ファンを楽しませることで自分たちも楽しんでいます。
だから、いくつになっても、舞台に立つための努力を惜しまず、世界中のファンの期待に応え続けてくれるのだと思います。

多くのミュージシャンは、過去の栄光にすがりたくなくて、新曲中心のライブをしたり、過去のヒット曲を封印したりします。せっかく見に行っても、聞きたかった曲を聴けなくてがっかりさせられたりします。
でもストーンズは、みんなが絶対聴きたい曲ははずさず、できればやってほしいな、という曲を日によって織り交ぜてくれます。
結局は、全盛期のヒット曲が中心のラインナップになってしまい、せっかくの新譜発表の場なのに、本人達にとっては残念じゃないかな、と心配になります。
でも、見に来てくれる人が楽しんでくれること、を最優先している気がします。

ストーンズは、ビートルズと同時期に一世を風靡しました。
今では教科書にも載っている優等生的なビートルズとは、いろんな面で違っています。
ビートルズは、デビュー当時は大人達の反感を買っていましたが、次第に一般に受け入れられてきました。
でもストーンズは、教科書になんか載らないだろうし、排他的な人達に受け入れられることはないでしょう。
まだ黒人差別の激しかった時代に、黒人ミュージシャンを敬愛し、リズム&ブルースをベースにしたロック音楽を作ってきました。ですから、黒人の人達からも認められている数少ない白人ミュージシャンです。
マッシュルームカットで、お揃いの制服を着て演奏していたビートルズとは違って、メンバーがそれぞれ好き勝手な格好で舞台に出ています。
派手な服を取っ替え引っ替え着替えるミック。60年代のヒッピー風のままのキース。普段着のTシャツみたいなロン。チャーリーなんて、地味なポロシャツのそこらのおじさんです。
不本意なことを強制されず、それぞれの個性を認め合ってきたからこそ、多少のメンバー交代はあっても、43年もの長い間、喧嘩別れもせずに続いてきたのでしょう。

どんな批判にも負けず転がり続けることは、容易なことではありません。
過去の作品を上回る曲を作ることは難しく、同じ曲を何十年も高いテンションで演奏することも難しいことでしょう。
それでも彼らは、作りたい曲を作り続け演奏し、ファンを喜ばせるために、過去の曲も毎回アイデアを絞って演出しながら見せてくれます。
転がる石には、コケがつかないどころか、磨きがかかってどんどんツヤが出てきています。

無計画な生き方で、やることは鈍く、チャンスはつかめず、そんなことだからダメなんだ、将来どうするつもりだ、などと批判を浴びせられることも多々ありますし、自分でも多少の不安を感じることもありますが、転がり続けるっきゃないですね。
じっとしていると、他人のことばかり気になって、アラ探ししたり、批判的になったり、説教臭いことを言いたくなります。
転がり続ける人は、自分が転がることに夢中ですから、他人のことは気にならないし、楽しいことや面白いことも見つかります。楽しいことや面白いことが見つかったら、周りにも楽しい思いを伝えられます。
いつか、どこかにぶつかって大破するまで、デコボコ道に負けず、まわりのいろんな風景を楽しみながら転がり続けたいなあ、と思ってます。

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夢は自分で叶えるもの

オムツやミルクの世話から解放されると、動き回る子どもから目が離せなくなり、小学校に上がってようやく子育ても少し楽になったかと思うと、成績の心配が始まり、受験生の親となり、結局親は、ずうっと子どもを心配し続けなきゃならないみたいです。
でも、その間子どものことばかり考えて心配ばかりしていては、親の人生は子どものためだけに終わってしまい、子どもにとっても親がうっとうしいだけの存在になってしまう気がします。

うちの下の二人は危うく誘拐されそうになったり、息子などはさらに、ケガで救急車に乗ったり、迷子でパトカーに乗ったりという経験の持ち主です。長女だけは、知らない人に声をかけられても、答える気もないし、気づきもしないで通り過ぎるような子だったので、何事もなかったようです。(危険な目にあってても気付かないかも)
何度も血の気の引く思いをさせられています。
ですから、家でひたすら子どもの帰りを待つだけの生活を送っていたら、サイレンを聞く度に、うちの子ではと気になって、気が狂いそうになったでしょう。
何をしでかすか、どんな事に遭遇するかわからない子ども達ですが、親は子どもの生命力と判断力を信じて放任することにしました。危うい目に合っても、機転をきかせて逃げ帰って来たのですから、それぞれの能力を信じるしかありません。
どんなに頑張っても親が四六時中ついて回ることは不可能ですし、結局は自分で考えて判断して行動するしかないのですから。
その代わり、一緒にいるときは、できるだけ楽しく過ごしたいと思っています。
(そりゃあ、共同生活においてのモラルでキレることは多々ありますけど、基本的にこうすべきという指示はしません)

人間なんて、いつ運命が尽きるか誰にもわかりません。
だから、お母さんは美人薄命で永く生きられないはずだから、自分たちで生きていけるようにするんだよ、と小さい頃から言い聞かせてきました。(すでに十分生きてるから、美人でないこと証明しちゃったねえ、と言われてますが)
子どもだって、親より長生きできる保証はどこにもありません。
将来のことを見据えるのは必要ですが、将来のために今の生活をすべて犠牲にすることはないと思うのです。
だから、ほとんどの判断基準が、自分が好きかどうか、楽しいかどうか、自分にとって役に立つかどうか、です。
親が自分の夢を子どもに託すことはありえません。
例えば、親が東大に行ってたから子どもも東大へとか、親に学歴がないから子どもは東大へとか、親がレールを引くなんてナンセンスです。
子どもを東大に行かせたいと思うなら、親自身が自分で東大を目指せば良いでしょう。
子どもに何かをやらせたいと思うなら、親自身がやれば良いのです。
年齢なんか関係ありません。夢は、自分で作り自分で叶えるものです。

うちの息子も、二度目の大学受験真っ最中です。
浪人中勉強ばかりやれるわけもなく、ギターにゲームに映画と、十分な息抜きをしつつ迎えた本番です。(大丈夫かな〜)
それでも、勉強なんか大嫌いで、受験を決めた高三までほとんど勉強して来なかった息子にしてみれば、勉強の習慣がつき、勉強のコツがつかめ、やればやるだけ身に付くんだという実感を感じることができたのは、かなりの成長です。
浪人してまで大学なんか行く気はない、と言い切っていたのに、ある程度勉強して、もう少しという手応えを感じたのか、失敗したら、やっぱり浪人して勉強し直す、と言い出しました。
うちの子にしてみれば、画期的なことです。
父親は、ろくでもない大学なら行かなくてもいい、と言ってるようですが、大学は親の見栄で行くものではありません。
本人がやりたい学科を見つけ、行きたい学校を見つけたら、どんな学校でも勉強の場となるはずです。
成功するかどうかは際どいところですが、子どもが将来の夢を見つけ、勉強したいことを見つけ、そのために自分なりに頑張ってきたことは、誉めてあげたいなあ、と思ってます。

それにしても、うちはみんな勝手に息抜きだらけで緊張感のない受験生家庭ですが、真面目な受験生家庭の親御さんは、受験生本人より疲れてるでしょうね。
息抜きしてみてはどうでしょう。
「アイ・アム・サム」という映画をご覧になったことあるでしょうか。
七歳までの知能しかない父親が、七歳以上になる娘を育てられるか、ということで裁判になるお話です。
この父親は、親として根本的に必要なものを持っていて、こんな親子っていいなあ、と思わせてくれます。
ビートルズナンバーが効果的に使われていて、ビートルズを知っている人には別の楽しみもあります。

子育てって、こうすべき、こうあるべき、という枠を作ってしまうと楽しめないけど、こう育っちゃったか、と思いつつ今ある状態を受け入れていけば、案外楽しめるはずです。

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義務教育もあと少し

学習意欲が今ひとつで、何度も個人面談に呼び出されながら、どうにか高校に進学できそうな次女も、あと三ヶ月で義務教育終了です。
本来ならもうすぐ高校受験で、中学三年間の範囲をしっかり復習した上に、受験勉強に臨んでいるべき時期に、提出物も満足に仕上げられず、中学一、二年の基礎力もないまま高校進学なんてねえ〜。
とはいえ、怒ってもやる気を出すわけもなく、本人がこのままじゃいけないと本気で自覚しなくては、根本的に問題は解決しませんからね。

自分がヒステリックなほどの教育ママに育てられた反動か、子ども達がひどい成績を取ってきても、あまり怒る気にはなれません。
怒っても効果がないことは、自分で経験しているからです。
でも、教育的に正しい態度が取れているわけでもなく、
「何、これ?」
と嫌みを言ってしまうこともあります。
とは言っても、ここまで成績が悪いと、もっと出来の良い子に生んであげられなくて申し訳ないと内心思ってます。

まったくやっていないわけでもないのに、なんでここまで覚えていないのか、不思議なほどです。
授業を聞いて、日常生活でもいろんなことを見て、聞いて、体験して、というだけでも、もう少しいろんなことを身に付けても良さそうなものですが、教科書以外の基礎的な教養さえ身に付いていないことに愕然とさせられます。(親は何やってたんだ?)

つい最近、
「お醤油入れの、片方の穴をふさいだら、お醤油は出るでしょうか」
という小学生向けの問題を出したら、
「もう一つ穴があるから出るんじゃない?」
との答えでした。
「え?残った穴は小さくて、蓋は密着していて、空気の入る隙間もないのに?」
「なんで?出ないの?」
実際に片方の穴をふさいで、お醤油入れを傾けてみて、いつものようにスーッとは出てこないのを見てびっくりしていました。
こんなこと、ずっと前にもやったと思うんだけど・・・

水蒸気や結露や、自分のわかる範囲での理科的な話、好きな文学の話、歴史の話、雑学的で勉強とは直接関係なくても、面白いと思う話をいろいろしてきたつもりでも、ほとんど身に付いてはいないんですね。
効果といえば、長女がカフカの「変身」に興味を持って愛読書にしたくらいでしょうか。

学校の成績は悪くても、三人三様に取り柄はあって、人間的に価値が劣るとは思っていないので、親としてはことさら何かを強要しようとは思いません。
もうすぐ受験の息子がゲームやギターで息抜きしようが、ようやっと進学を許された娘が、口先だけで三学期は勉強するからと言いつつ、毎日遊びやクラブで出歩こうが、放任してます。
これで人生失敗したら、自分でもう一度やり直せば良いことで、失敗しなければわからない人間は失敗するしかありません。
「あの時お母さんがもっと注意してくれれば良かったのに」
とは言わせませんし、そんなことだけは言わないように育っているはずです。
普通の家庭とは比べ物にならないほどの自由がある代わりに、自分に対する責任は自分で背負うことになっているからです。

義務教育が終わるまでに、一人で社会に出ても自分の始末は自分でできるように育てるのが目標でした。
長女は、中学に入ってからは、行事の時にお弁当を作ってくれとも、運動会用のゼッケンを縫ってくれとも言ったことがなく、何でも自分でやっていました。
親が忙しかったので、かなり気を遣ってくれたということもあります。
それに比べると次女は、ギリギリになってから、ゼッケンが作れないとか、家庭科のパジャマが作れないとか、暗に親にやらせようとします。
信じがたいほどの不器用さなので、仕方なくゼッケンを作ったり、ミシンの使い方の指導をしつつ家庭科を手伝ったりしてしまいますが、
「いい年して、そんなこと親にやらせるな」
と長女から怒られています。

こんな調子では、いつまでたっても親を頼っていて、掃除・洗濯・調理だけでなく勉強まで、いざとなったら親を利用しよう、という子どものままでは、という不安がよぎります。
でも合宿などでは、食費を浮かせるために自分たちでメニューを考えて、調理してと、部長らしいことをやってきたようです。
同じ場所で合宿していた別のクラブでは、お母さん方がはるばる来て、夕食の準備をしていたそうです。
「親にそんなことまでしてもらって、いい年して恥ずかしくないのかな」
って、そりゃ自分がいつも言われていることでしょ。

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本のプレゼント

オモチャを卒業する頃になると、子ども達はプレゼントに、物ではなく現金を欲しがるようになります。つまんないですね〜。
小さい頃から、オモチャ類を買ってあげるのは、お誕生日とクリスマス(サンタさんがくれるんですけど)だけです。
誕生日プレゼントは、本人の希望を予算内で聞いて買っていましたが、クリスマスは内緒の買い物なので、普段の様子を伺って、何を欲しがってるか予想して、それに近い物をできるだけ安く買う、というスリリングな買い物をしてました。
当たれば、サンタさんに願いが届いたということになり、はずれたら、あら〜よその子と間違ったのかね〜、とすっとぼけます。

最近は、欲しい物があるからとか行きたい所があるからと言われ、現金をあげたりしてましたが、今年から図書カードと本をあげることにしました。

数年前まで、実家が近所で本屋をやっていたので、本や漫画は読み放題でした。
実家が本屋をやめてからも、本なら欲しがれば大抵のものは買ってあげてました。
だから本は、プレゼントとして認められてないところがありました。
でも、何に消えるかわからない現金より、図書カードならコミックにしろ小説にしろ確実に本に使ってもらえます。
それにプラスして、子ども達の好きそうな本を探して、あげることにしました。

長女には、「月の本」を見つけました。
今では目標が不安定になってる漫画家志望の長女ですが、いつかは絵に関する仕事をして欲しいと思って、インスピレーションを刺激するような本を探しました。
月に関する写真やイラストが満載で、月に関する情報も詰まったキレイな本です。
思った通り、気に入ってくれました。

長男には、「夜回り先生」をあげました。
漫画は少年・青年から少女コミックまで幅広く読みますが、子ども達の中では一番読書量が少なく、好きな本の趣味もつかみにくいので、一番迷いました。
子ども好きで、小学校か保育園の先生が志望なので、これなら興味を持って読んでくれるかな、と選んだのですが・・・
何度かテレビで特集されているのを見て知っていたようで、読んでみたかったそうです。
予想が当たった!

次女は、すでにお友達とディズニーランドに行くお小遣いとして現金を渡してあったので、本来なら何もなしです。
けれど、前からねだられていた「ナルニア国ものがたり」のボックスを見て、買ってしまいました。(文庫だけど7冊セットで一番高い!あま〜い!)
でも、本ならいいかな、と思ってしまって・・・

わざわざ買わなくても、狭い我が家には、すぐにでも古本屋ができるほど本があふれているのに、本屋に行くとつい財布のヒモがゆるんでしまいます。
次女なんて、図書室の貸し出し冊数の順位を競うために、家にある本まで学校で借りて来るくらいだから、買う必然性は低いんですけどね。
でも、本当に気に入った本は、読み返したいときすぐに読めるように、手元に置いておきたいものです。
子ども達にも、何度でも読みたくなる本を、たくさん見つけて欲しいと思っています。

プレゼント探しと称して本屋を徘徊してきましたが、本屋のあらゆる分野の本を隅々まで見て回ること自体が楽しくて、落ち着きます。
実際は、子ども達より本を読む速度が一番遅くて、読書量も決して多くはないんですけどね。
生まれた時から本の中で育って、中味は読まなくても、本の背表紙から表面的な知識だけを吸収してきたので、本当は知らないのに名前だけ知ってる、という薄っぺらな知識だらけです。
それでも、嫌なことがあったりすると、本屋に行ってグルグルといろんな本を見て歩き回って、本を買い漁って、読み漁って、本に囲まれているのが、一番のストレス解消法になってます。
だから、誰かが喜ぶことを予想して、いろんな本を見て周り、何冊もの本を選んで買う、ということが、自分へのプレゼント。


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遅れてる?

次女の学校は、都内で一番性教育の歴史が古いそうで、かなり熱心に行われています。
正しい知識は、正しい行動を生むという理念に基づいているようです。実際、近所の公立中学の様子を聞くと、中三で体験してないと遅れてると言われるそうで、自分の学校とは全然違うと言ってます。
「小学生並で何が悪いんだ!」
と別の私立中学に通っている友人と二人で意気投合してました。

最近学校で、性体験のアンケートがあったそうです。
その回答の選択肢が細かくて、現実はこんなとこまできてるのか、と愕然とする内容です。

性的体験をしたことがあるか?
1ある
2ない
3言ってる意味がわからない
4意味はわかるが、わからない

体験した人が最初に体験した年齢は?
1小四以下
2小五
3小六
4中一
5中二
6中三
7わからない

体験した目的は
1愛情
2お金
3性的欲求を満たすため
4その他

など「意味がわからない」質問がたくさんあったそうです。(カマトトぶって!)

ちなみに、初体験の平均年齢は15歳だそうです。
平均というのは真ん中であって、中には相当成長するまで未経験の人もいるわけで、ということは・・・
次女の友達の話では、友人の友人(同級生)で来年赤ちゃんを産む人がいるそうです。
「お母さんに話したら、泣いてたって」
そりゃあ、自分の子に限って、ってどの親も思ってますからね。
「でも、東京都じゃ中学生はやっちゃいけないんだよね」
と優等生的ご意見。
確かに、青少年条例で18歳未満は行為を禁止されてますね。

それにしても、漫画や映画やドラマでのイメージしかない未体験の娘達が、やっただやらないだって・・・
まあ、親の前でも、これだけあっけらかんと話してるうちは、まだ安心かなという気もしますが、子どもを育てる生活力がつくまでは、安易な行動に走らないでほしいものです。
学校の授業でも習っているので、感染症や避妊の知識もあるはずで、親世代よりも詳しいくらいなんだから、きちんと活かしておくれ。

「おばさん達は、最近の若い子は、なんて言うけど、そういうふうに育てたのは自分たちだって自覚してほしいよ!」
ですって。

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きれい!!

週二回自宅でやるそろばん教室の日はいつも、三十分前位に帰宅して、泥棒が入ってもわからないくらいものすご〜く散らかった部屋を大急ぎで片づけ、掃除します。
脱ぎっぱなしの服や靴下、ゴミ箱から完全にはずれたゴミ、食べっぱなしの食卓などの悲惨な状況を一挙に片づけるわけです。

先日、いつもより帰りが遅れ、あせって玄関を開けると、食卓はきれいに拭いてあり、床は掃除機がかけられ、もう一つの教室用の机も準備され、流しまで食器も鍋も何もない状態に片づいていて、びっくりしました。
こりゃあ、次女が何かやったな、と思いきや、案の定、姉や兄に何度も起こされながら起きられず、学校に行っていませんでした。
月に一度位ずつ学校に行けない日がある次女なので、またか、と思いましたが、期末試験直前の失態に、自分でもかなりまずいと思って、家族の一斉攻撃を回避する手段に出たようです。
でも、いつもは自分の部屋さえ一日かけても満足に掃除できないくせに、やればできるんじゃない、と内心見直しました。たまに掃除しておいてくれる上の二人は、食卓に何か残っていたり、どこか中途半端なのですが、ずっと完璧に片づいていました。

少しして、今度はお友達とディズニーランドに行く費用をねだるために、また次女が掃除してくれていました。でも、台所は片づけていません。
一度完璧にできることがわかってしまうと、やってあることより、できていないことの方に目がいってしまいます。
「なんだ。食器は洗ってないんじゃない!」
と文句をつけてしまいました。
すると、いつもは親以上に妹に対する小言が多い口うるさい長男に
「せっかく掃除してたんだから、そんなこと言うなよ!」
と怒られてしまいました。

まあ、その日もギリギリに帰ってたので、掃除してくれてただけでもかなり助かったんですけどね。
それにしてもうちの長男、19歳にしてオヤジ臭過ぎ!
別れて約四年の、子育てに無関心だった実の父親以上に父親らしいぞ。
次女の躾がなってないと
「ちゃんと躾し直せよ!」
と年中怒るけど、その役目任せるよ!

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無知の知

生徒の中には、とても優秀で、学校の勉強はさぞ退屈だろうなと思える子がいます。
実際、算数の少人数クラスで一番上のクラスにいても、簡単過ぎてつまんないそうです。
「あんなのわかんない奴はみんな馬鹿だ」と言い出す子もいます。
その発言には問題ありますが、授業のあり方にも問題があると思えます。
簡単にできる問題ばかりでなく、学年に関係なく、できる子にはどんどん難しい問題を与えれば良いと思うのです。できることばかりやらせていると、子どもは何やっても簡単にできると勘違いする場合もあります。
能力格差を恐れて、伸ばせる能力を押さえているとしたら、ナンセンスです。子どもはいつでも同じように伸びるとは限りません。低学年で伸びてた子が、高学年でもずっと伸びるとは限らないのです。それなら、伸びる時期を見逃さず、伸ばせるだけ伸ばすのが、それぞれの子どもの能力を活かす上で平等ではないでしょうか。

高校の時、倫理社会でソクラテスの「無知の知」というのを習いました。倫理社会なんて全然真面目に勉強してなかったのですが、これだけは印象に残っています。
ソクラテスは、自分が一番優れていると言われて、本当にそうだろうか、と確かめるために、たくさんの優秀な人達に会います。結果、優秀と思えた人は、自分が知ってることばかり話して、知らないことがあることを知りません。ソクラテスは、自分にはたくさん知らないことがあることを知っていることで、神から一番優れていると評価されたのだろうと気づくのです。

本当のお金持ちは、お金があることをひけらかしたり、お金がないことを馬鹿にしません。
本当に偉い人は、謙虚で、絶対威張ったりしません。
本当に頭の良い人は、知ったかぶりをしたり、知識をひけらかしたり、人を馬鹿にしません。

優秀な子どもには、「無知の知」を学んで、本当に優秀な人になってほしいと思います。
もっともうちの子の場合は、知らないことだらけ、できないことだらけなので、自分を卑下せず、自分のできることを伸ばして、できるだけ活かして、何とか自分なりに生きていってくれればいいんですけど。

ろくに哲学書も読んだことないくせに、ソクラテスなんて語ってしまったり、疲れて家に帰ったとき部屋が散らかし放題になってると、子ども達に「何度言ったらわかるの!馬鹿じゃないの?脳みそないんじゃない?」などと罵倒しまくってしまう私自身が、一番「無知の知」を学ぶ必要あるのですけどね。

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習い事

今の子は塾や習い事で忙しいと言いますが、私も小学生の頃、一週間毎日どこかに通ってました。
昔はそろばん教室の日数が多く、月曜から金曜まで毎日通っていました。そして、土曜日はピアノ、日曜日はお習字で一週間が埋まります。
実家は決して裕福ではなかったのですが(物や洋服は買ってもらえません)、本屋をやっていたので、年中無休で日曜もなく、子どもが邪魔だったということもあるかもしれません。教育熱心な親だったとはいえるでしょうが。

一見大変なようですが、家にいると手伝いをさせられるか怒られているかのどちらかだったので、習い事に行っていた方が気楽でした。
それに遊びが苦手な子どもだったので、やればやるだけ上達する習い事は嬉しくて、毎日あったそろばんも苦ではありませんでした。
競技会の前などは、日曜も練習がありました。それでも嬉々として通っていたので、そろばんの先生から「おまえは本当にそろばんが好きだなあ」と言われたりしてました。
こんな風にほめられれば、家にいるよりずっと楽しくなります。
とは言っても、家では練習したことなどありませんけど。

ピアノみたいに本当は毎日練習しなければならないものも、レッスンの直前1時間だけ練習してごまかしてました。そんなですから、小六まででソナチネまでしか終えられず、ショパンとか弾けるまで頑張れば良かったなあ、と後悔してます。
お習字は、教室で練習するだけで良かったので楽でした。
けれど、展覧会では特賞とか金賞とか何度も取っていながら、普段の字は乱暴で下手なままだったので、実用的には役に立っていません。
そろばんみたいに究極まで集中して、これ以上は無理だと見極めるまで頑張ったものは満足感が得られますが、中途半端に終わったものは、もっとやっておけば、と絶対後悔しますね。

子ども達にも、本人がやりたい、と言ったものは(ピアノ、バレエ、スイミング、書道、学習塾など)、その時どんなに経済的に苦しくても、何とか希望通り習わせてきました。(時には一年待たせたこともありますが)
子どもは、今やりたいと言っても、時間が経過すると気が変わります。やりたいという気持ちのまま始めないと、親が無理矢理やらせても絶対続きません。
自分でやりたいと言って始めても、壁に突き当たって伸び悩むと、やめようかなとか、やりたいなんて言ってないのに親にやらされた、とか勝手なことを言い始めます。
そこでやめさせては絶対ダメです。一生、壁に突き当たるたびに挫折する人間になりかねません。
最低三年以上は続けないと、何をやってもかじっただけで終わりますし、中途半端に終わった後悔だけが残ります。

子ども達は三人ともピアノを習ってましたが、下二人は塾に行きたいと言って通い始めてからは、日程的にも経済的にも無理になってきたので、(四年以上やったのに)初歩段階でやめてしまいました。
ですから今でも、もっと続ければ良かった、また習いたい、と言っています。
長女は、成人になった今でも続けています。高校を卒業してからは、自分で月謝を払ってまで通っています。
そんなですから、相当上達してショパンでも弾けるかというと、まだ中級レベルにもいけない下手さ加減です。
全然練習もしないで、通ってるだけ、といういい加減さなので当然なのですが、やめたくはないそうです。

全然上達しないので、実家では「生活も苦しいのに月謝の無駄だからやめさせたら」とずっと言われ続けてきましたが、本人の続けたいという意思が堅かったので(だったらもっと練習してほしいけど)なんとか続けさせてきました。
普通、上達すれば面白くてもっとやりたいと思うものですが、これだけ成果が上がっていないにもかかわらず続けられるのは不思議です。
暇なときに楽しみでピアノを弾く、というのも見たことありません。(誰もいない時に、隠れて弾いているかもしれませんが)
でも、「継続は力なり」と言いますから、いつかは好きな曲を自由に弾けるまでに上達するのかも、とかすかに期待しています。

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高校受験

こんな地味なブログを読んでくださってる方がいらっしゃるなんて思いもよらず、レス表示が正常に機能してないことに気づかずすみませんでした。

国立に住んでいらっしゃる三人のお子さんのお母さんで、うちの末っ子と同じ中学三年生がいらっしゃるんですね。
うちの中三は受験しないですむのですが、長女の時高校受験を経験しました。今の高校受験は昔とは違った大変さがあるので、頑張ってください。
昔は、受験に親がそれほど関わることはなかったような気がしますが、今は、学校の選定から親も学校説明会などに行かねばならず、大変ですよね。

うちの長女は、公立中学で楽しい学生生活を送れなかったので、高校では楽しんで通えることを願ってました。
本人は、勉強も学校も大嫌いで、高校なんか行かないと言っていたのですが、好きな美術で受験できる美術コースのある学校を見つけ、こんな学校があるよと勧めると、受験する気になりました。
夏休み、冬休みに行われる受験生向けのデッサン講習にも通い、すっかり行く気満々になってしまいました。
偏差値的にはどうひいき目に見ても届かない学校で、担任の先生は絶対無理と思ってたようで、別の高校を勧められました。
それでも本人の意思は堅く、最初の自己推薦入試がダメでも、一次、二次まで何度でも受ける、と言って受験しました。
内申は全然足りないので自己推薦ですから、デッサンだけでなく学科試験もありました。熱意だけで受かるのは無理だろうなあ、と誰もが思ってました。
でも、熱意で受かってしまったんですね。発言などの自己表現がうまいとは思えない子でしたが、面接で、どうしてもこの学校に通いたいと訴えたのがきいたようです。

中学の先生は、成績だけで学校選定をしがちなので、本人が行きたくもない高校だと、通い続けるのが大変になる場合も多くなります。
ある程度の可能性の判断は必要ですが、学校を選ぶときは本人が行って見て、気に入るかどうかが一番大事だと思います。
受験に前向きでない子でも、気に入った学校を見つけたら、例え成績が追いついていなくても、勉強する意欲が出てきます。
本人にやる気さえ出れば、受験までの二〜三ヶ月の間に驚くほど成績を上げることもできます。
特に、それまで全然勉強をしていなかった子ほど、中学一〜二年の範囲をマスターするだけで点数は上がります。(勉強の習慣がついていないで、勉強の仕方がわからない子には、ある程度の強制力と指導が必要ですが)
高校や学校なんてどうだっていい、と言ってたような子でも、気に入った学校に受かり、実際に肌に合った学校だと、本当に楽しんで通うことができます。

だからといって、勉強も熱心になるか、というと別問題で、うちの長女は、本当に三年間お友達と楽しく過ごせたようですが、初心を忘れてデッサンさえマスターできずに終わってます。自分の夢まで忘れて、生活に流されていくようなことだけはないように、と願ってますが。
優しく、暖かく、辛抱強く見守っていられるのもあと一年だぞ〜、と言ってるのに、わかってるのかなあ。

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小中一貫教育賛成!

品川区で、小中一貫教育が取り入れられるそうです。能力別クラス分けで、小学生と中学生が一緒に学べるということです。
教材の選択や指導の方法を工夫し、ぜひ成果を上げて全国的に取り入れてほしいものです。

中学生で授業についていけない子は、小学校でつまづいた子が多く、学校では指導の範囲外なので見捨てられる場合が多いのではないでしょうか。
小学校の範囲はマスターしているのに、中学でついていけない子は、中1から復習すれば良いので本人のやる気次第で追いつきます。
けれど、数学などは、小学校の分数・小数段階でつまずいているために、中1から何も理解できない状態で始まっています。中3の受験期になってからあわてても、簡単には間に合いません。

そろばん教室では、そろばんだけでなく、算数計算もやっています。
見学の時に算数のプリントを何枚かやってもらい、完全にマスターできたレベルでテキストを決めます。
算数が苦手で来ているお子さんの中には、4〜5年生でも2年生レベルからやり直す場合もあります。九九が素早く正確にできなければ、九九のテキストからやり直す場合もあります。
学年で分けられたテキストではないので、抵抗は少ないと思いますし、最初はできるレベルからやっているので、間違いも少なく、気分良く進められることが多いようです。
算数でつまずいている子は、わり算の答えの出し方からわからない子がたくさんいます。
けれど、ちょっとしたコツを教えればすぐにマスターしますし、大抵の子が、学校のレベルに追いつくまでには、それほど時間はかかりません。

中3の受験期に入って、勉強をやり直したいと思う子はたくさんいます。
それなのに、今の学校制度では、その子達に指導できる体制を作るのは難しいと思います。
子どもはみんな、得意不得意も違えば、成長する時期も違います。同じ年齢だからといって、同じ内容を教えて、同じようにマスターできるわけないのです。
低学年で伸びる子もいれば、高学年で伸びる子もいて、中学から伸びる子もいます。
順調に伸びている子でも、必ず伸び悩む時期があります。
学校は、本人がやる気になった時は伸ばせるだけ伸ばし、スランプのフォローをし、本人がやり直したいと思った時、いつでもそれぞれの能力に応じたレベルからやり直せる体制を整えてほしいと思います。

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